執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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カテゴリ : 食の安全 : 
2012/05/17 (11:00 am)
何らかの新しい成分を食品として使用してよいかどうかということについては、かなり詳しい当局(厚生労働省)による検討を経て行われます。

L−カルニチンは2002年の年末に食品としての使用認可判断が得られましたので、今年末で10年になります。

この10年間にたいへん多くの方にご利用頂きましたが、幸いにもL−カルニチンを原因とする健康障害問題ということは起きていません。

どんなものであっても新しい成分に許可が与えられるためには事前にさまざまな安全性試験が厳重に行われるわけですが、そのとき何といってもモノを言うのは「ヒトにおいて長年の食経験がある」という実績です。

ところで、アルコールの安全性について改めて考えてみると面白いことに気付きます。

もしアルコールという成分が新しいものであって、それを食品として用いてよいかどうかということを国が判断しようとしたとします。

アルコールはそれを摂取すれば明らかにある種の「体感」が得られます。












血行が良くなる、陽気になる、といった好ましい面だけではなく気分が悪くなる、寒気がする、鼓動が速くなる、飲みすぎるとやめられなくなる等々かなり危険な側面も挙げることができます。

これらはすべてアルコールの薬理作用ですし、飲んで出てくる反応に相当な個人差があることも私たちはよく知っています。

もしこれが新しい食品成分だとすれば「そんな危ないものは絶対に認めない」という結論になること必定だと思われます。

実際、アルコールには中枢神経作用、末梢神経作用、消化管作用など用量に応じてかなり明確な薬理効果があります。

とくに脳に対する作用は特徴的で、それに対する人体のレスポンスは過激といってもよいくらいです。

そういうものが毎日あたりまえのように販売され、使用されているわけです。

「食の安全」というイメージから行けば言語道断の食品成分だということになるでしょう。

それなのに、私たちはお酒の存在を完全に認めていますし、むしろ生活にはなくてはならないものの一つだとみなしています。

それはひとえに全世界で古代から使用されてきたという「食経験」が重視されている結果だと言えます。

弱い人は呑んではいけないとか、飲みすぎは危ないとか、そういうリスクは基本的にはすべてそれを摂取する人個人の責任にほぼ完全に任されています。

食経験がある、ということは食の安全という観点からそれほどまでにも信頼されているという証だということになるでしょう。

次回の更新は5/24 (木)です。
カテゴリ : 疲労 : 
2012/05/10 (11:00 am)
大型連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。とんでもない竜巻や雷雨もありましたが、その合間をぬって新緑の間を吹き抜ける風には最高級のすがすがしさを感じました。

休みに入る前に「休日中の休憩が必要では?」ということを考えていた関係上、それをさっそく実践してみることにしました。

この休みはいわゆる「生前整理」ではないですが、家の各所に長年吹き溜まった様々なものを徹底的に片づけるということをテーマにしました。

ところがいざはじめてみるとかなり大変で、どんな順序で何をどこに置こうか、これは処分しようか引き続き保管しておこうか等々全体的な構想イメージの中で次々に判断を下してゆかなければなりませんでした。

さほど大きな家でもないのに、片づけの対象となる物品の全体量は相当な分量に上りました。














単純に肉体労働としてみても物の上げ下ろし、階段の上り下りだけでトレーニングジムにずっといるような感じでもありました。

そこで例の休憩ですが、「疲れたなあと思う前」必ず1時間程度の作業でいったん手を止めて短時間でも休憩を取るようにし、食事もコンスタントを心がけ特に水分の補給は手まめに行いました。

これでけっこう早朝から夕刻まで連日の作業が意外なくらいはかどった、というのが今回の私の実感です。

普段使わない筋肉も使いますので、全身の筋肉のケアを兼ねてL−カルニチンを毎朝始動前に摂取することもしました。

ともかくもなんとか連休最終日に整理整頓の形がそこそこ整い、休日明けはけっこうすっきりした気分で仕事に向かうこともできました。

いつもであれば、ノッてきたな、と思ったら休憩を取る時間が惜しくなり、ついつい作業も夜中までやってしまったりしたものですが、今回は早朝から夕刻までと決めてやったのが結局よかったのではと思っています。

「手まめな休憩と食事」という方法はべつに大型連休に限ったことではなく、毎日の仕事の中でも簡単に行える疲労のマネジメントだろうと確信したところです。


次回の更新は5/17 (木)です。
カテゴリ : 疲労 : 
2012/04/26 (11:00 am)
前回「羽目をはずす」と「羽をのばす」ということについて考えてみました。

そのあと偶然ある雑誌で漫画家の藤子不二雄さんが、昼間漫画を描いて夜から呑みに行き夜明けまで呑んでそのままゴルフに行くといったことが何日も連続したことがあった、というような凄まじい話を読みました。

この話は何年か前にもどこかで聞いたことがありましたが、ごく最近またその発言がありましたのでやっぱり本当なんだと改めてびっくりしました。

調べてみたら今から6年前の6月にこのブログで疲労のことを書いたことがありました。(このページの左側の欄で検索できますので「疲労」と打ち込んでのぞいてみていただければ幸いです)

その時には三島由紀夫、手塚治虫、モーツアルトといった天才の資質をもった人たちが文字通り疲れを知らずに仕事をし続けたことと彼らが早世したこととは無縁ではないのではないか、といったことを考えました。

藤子不二雄さんは今も元気にご活躍中ですので例外もあるのかもしれませんが、先般大阪市立大学の井上恭良先生がテレビで最近の疲労研究のことをお話になっておられるのを聞いて、やっぱり「疲れを知らない仕事ぶり」に潜む危険性を再認識しました。

「ああ、疲れた!」というセリフを最近あまり言っていない人は病的な疲労についてのリスクを持っている可能性がある、ということです。









「疲れた!」という感覚がなければ元気百倍でけっこうなことじゃないかと思われるかもしれませんが、身体が「疲れたから寝させてくれ!」と悲鳴を上げるしくみは実は生命を維持してゆく上においてはとても大切なものだということです。

その「悲鳴センサー」の調子が狂ってしまうと、結局精神的にも肉体的にももたなくなってしまいます。

早い話、覚醒剤の害悪の最たる一側面もそこにあります。

本来眠くなるべきときに目が爛々と輝いて1週間一睡もしないでも苦痛がない、こんな状態では身体は一発でマイってしまう、ということです。

むしろ、あきらかに疲れること気の進まないことをやっていて、「疲れがたまった・・・!」というときにはわかりやすいわけで、かえって問題は少ないのかもしれません。

自分の好きなことをやっているときが要注意ということになります。

例えばゲーム好きの子供などは数時間も続けてしまうことがあるようですが、これなどは危険なのでやはり休憩が必須になります。

と同様に、大人であっても仕事や作業の流れにまかせるのではなくて半分強制的に休憩をとるといった心がけが結局「丈夫で長持ち」、かえってトータルの効率もよいということになります。

もうすぐ大型連休が始まりますが、仕事をはなれて羽をのばされる方も羽目をはずされる方も「休日中の休憩」を上手におとりになり、溌溂とした「連休明け」を迎えられますように。

ではよい休日を!

追伸:次回はGW中一回スキップさせて頂き、5月10日にお目にかかりたいと思います。

次回の更新は5/10 (木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2012/04/19 (3:30 pm)
いくら私でもさすがに「高齢者」の部類だとはさらさら思っていませんが、それでも何かにつけて身体の変化を感じることは多くなっています。

その感じを言ってみると、「ふつうに、おとなしく、つつましくしているしかなくなってきそうだな」ということになると思います。

たとえば、何か詰めて作業をしなければならないことがあったら、かならずその「埋め合わせ」をその直後にしなければならないようになってきています。

ひとことでいえば「無理がきかない」という、ありきたりのことでもあります。

「無理」を癒やすためにはやはりなんとか羽をのばさなければなりません。

それでつい羽目をはずしてお酒を飲んだりしますと、これが翌日にやたらこたえたりします。










つまり羽をのばしているつもりで羽目をはずすとさらにそれを癒やす必要がでてくるという悪循環になりそうです。

精神的なこともそうで、何か非常に熱中して楽しいことがあったとします。

そうすると楽しいのでついつい夜更かしをしてしまいます。

その結果、睡眠のリズムが狂ってしまい、それをもとに戻すためにいくばくかの時間を要するというわけです。

私は自分自身を振り返ればずいぶんいろんなところで「羽目をはずしながら」やってきたように思います。

面白いこと、興味深いテーマにいつも触れていたい、という欲求にできるだけ逆らわないようにしてきたのかもしれません。

好きなように羽をのばしたり、その延長として羽目をはずしたりしても、そのリカバーを身体自身が難なく引き受けてくれていたそういう時期が過ぎようとしているのだろうと思います。

もちろん、そういう状況を少しでも遅らせるためにさまざまな工夫のあることはこのブログでも折々考えてきたことではありますが、それでもやはり変化する自分の身体能力を客観的にとらえて上手に付き合って行くことはいずれにしても誰にも必要なことであることはまちがいありません。

そうすると、「羽目をはずすことについて予め用心するような自分」を自分の中にもう一人設けて養って行くほかないということになります。

次回の更新は4/26 (木)です。
カテゴリ : L-カルニチンについて : 
2012/04/12 (11:00 am)
本来身体にとって有害なものをうまくつかいこなすところに生命活動の妙味があります。

身体にとって必要だけれど有害なものにはたとえば、重金属元素、酸素、そして脂肪酸などが挙げられます。

鉄、コバルト、マグネシウム、セレンといった重金属元素は多く摂りすぎると毒素として働きますが、ごくわずかな量が常に存在していなければ生命活動は停止してしまいます。

酸素は活性酸素に変化しやすい極めて危険なものですが、当然酸素がなければたちまち窒息してしまいます。

この前までこのブログで見てきたように脂肪酸も身体になくてはならないものですが、同時に生体膜を傷つけるむき出しのナイフのような、本来非常に危ない分子です。

そういった「やっかいもの」を非常に巧妙に利用する仕組みがわたしたちには備わっています。








様々な活性酸素を人為的に「上手になだめる」ための一つの手段に抗酸化サプリメントの摂取があります。

酸素を利用してエネルギーを生み出す方式で生きている以上、どうしても活性酸素の発生は避けられないので、身体はそういう有害分子を消去する機能を同時に配備することで進化してきました。

けれども非常に運動負荷が高まる時や、高齢化によって活性酸素の量が手持ちの消去方式では対応しきれなくなったときには外部からこれらを補給することが有効と考えられます。

この「抗酸化」は現代サプリメントの中心的テーマのひとつとなっています。

脂肪も、活性酸素を発生する原因物質のひとつとしての「悪玉的側面」をもっています。

前回お話ししたように、L−カルニチンはこの扱いにくい活性酸素発生源(遊離脂肪酸)をうまく使いこなすための安全制御装置のようなものとも考えられます。

さまざまな抗酸化サプリメントはさしずめ火事を鎮火させる「消火活動」を担当するのに対し、L−カルニチンは「防火活動」を行っているといえるでしょう。

防火も消火もともに充実していなければ安全安心な生活は送れません。

そして加齢という誰にも必ず訪れる現象は、「失火」や「局所的爆発」などのリスクが高まるということをも意味していますからなおさら防火活動、消火活動が大切になってくるわけです。

次回の更新は4/19 (木)です。
カテゴリ : L-カルニチンについて : 
2012/04/05 (11:00 am)
生命活動のエネルギー源となる脂肪酸は遊離脂肪酸とよばれ、炭素が20個以上連なった「なぎなた」のような形をしています。

こういう長い形をした分子はだいたい水には溶けにくい性質があります。

おまけにこの遊離脂肪酸分子は実際「なぎなた」のようにへたに生体の膜にふれると膜を気付つけたり破裂させたりしてしまいます。

前回お話ししたように私たちのからだは幾重にも入れ子構造のようになった膜でできていますので、「なぎなた」がむき出しのようになって動き回られるとあちこちが傷だらけ、場合によっては破裂してしまいます。





それを防ぐため遊離脂肪酸は通常「グリセリン」という分子やある種のたんぱく質と結合していて水になじみやすくなるとともに、結合していることでデリケートな細胞やミトコンドリアなどの膜を傷つけずにすむようになっています(ちなみにこのグリセリンと結合した脂肪酸は「中性脂肪(トリグリセライド)」と言われるもので、健康診断ではおなじみですね)。

グリセリンやタンパク質と結合した状態は、ちょうど「なぎなた」が何らかの鞘(さや)に収められているようなイメージです。

けれどもさや収納してある間、脂肪酸はエネルギー源として使えませんから必要なときにはどうしても「さや」をふり払って抜身(遊離脂肪酸)にせざるをえません。

この「さや」をふり払う役割をするのがリパーゼという脂肪分解酵素です。

リパーゼによって「抜身になったなぎなた(遊離脂肪酸)」ですが、何とかして非常にデリケートなミトコンドリア膜を傷つけないでくぐり抜け、燃料として燃やされるために内部(マトリックスといいます)にくべられなければなりません。

そのとき「抜身のなぎなた」は一瞬「別のさや」に収められ、保護されます。

この「別のさや」こそがL−カルニチンなのです。

「抜身のなぎなた」はL−カルニチンという最後のさやに一瞬収められることによってミトコンドリアの膜の内部に持ち込まれるようになります。

逆に言えば、もしL−カルニチンが少なければ「抜身状態のなぎなた」が暴れ出して膜を傷つけてしまいます。

そうなると発電所(ミトコンドリア)は爆発してしまい、それ自体を格納している細胞までが泡のように消えてしまうということがおこるのです。

放射能こそ出ませんが、かわりに大量の活性酸素が拡散して(ミトコンドリア発電所は酸素で燃料を燃やすときにどうしても活性酸素が出てしまいます)これが細胞を破壊してしまうのです。

このようなミトコンドリアの暴走による細胞破壊現象は時にアポトーシスとも呼ばれます。

まれにL−カルニチンの先天性欠乏症という、L−カルニチンが不足した赤ちゃんが生まれてくることがありますが、このミトコンドリア発電所の暴発(アポトーシス)がつみかさなってついには突然死してしまうことが知られています(L−カルニチンはもともとそのような赤ちゃんを救うための医薬品として使われてきました)。

L−カルニチンはこのような遊離脂肪酸によるアポトーシスを抑制するはたらきをもっていることがごく最近日本で研究されて明らかになってきました。

このあたりの知識は実は極めて専門的かつ非常に新しいものであり、世界でまだほんの一握りの人にしか知られていない事実です。

ですがこの最先端知識も今日お話ししたようなイメージを描いて頂ければ、専門家でなくても十分に理解して頂けるのではないかと思っています。

L−カルニチンで筋肉痛が抑えられたり脳細胞の一部の破壊が防がれることなどが知られていますが、一見「脂肪燃焼」と無関係に見えたこれらの現象が今日お話しした「アポトーシス」によって理解されるだろうと私は考えています。

PS:念のため誤解のないように付記しておきますが、毎日食事として摂取する油は今日お話ししたような「遊離脂肪酸」ではなくグリセリンと結合した安全な形として存在しますので、ご心配なく!

次回の更新は4/12 (木)です。
カテゴリ : L-カルニチンについて : 
2012/03/29 (11:00 am)
身体を作っている細胞は脂質2重膜という油の膜で覆われています。

ですから膜は本来水に溶けない。溶けないからこそ、細胞として存在できるのです。

私たちの身体から水分が抜けてしまえばミイラか煮干しのイワシのようになります。

逆に言えばミイラでない私たちの身体は大量の水分を蓄えた袋のようなものと考えられます。

ということは水を包む袋は水に溶けないことが前提となりますから、どうしても脂肪系の成分でその「袋」をこしらえる必要があるのです。

もし細胞膜が水に溶けるようであれば、水を飲んだら舌や食道、胃や腸などの消化管はトロトロに溶けてしまいますし、水の性質を持つ血液を流している血管も溶けてしまいます。

つまり消化管も血管も脂質の膜に覆われて存在しています。

また血液を流れる赤血球のような細胞もやはり赤血球膜という脂肪の膜で覆われています。

だからこそ丸い血球細胞の形を維持しながら水で満たされた血流の中を流れて行けるわけです。

さらに細かい話で恐縮ですが、その細胞膜をいったん通過してしまえばそこは細胞の中であり、細胞質とよばれる空間になりますが、そこはまた水に満たされています。

そしてその細胞質の水空間に浮かんでいる細胞内小器官はまた脂質の膜で覆われて形を保っています。

たとえば代表的な細胞小器官のひとつであるミトコンドリアもまた脂質膜に覆われながら、細胞質という水系の空間に浮かんでいます。

さらにさらにまたそのミトコンドリアの内部は?といえば、水で満たされた空間になっているのです。

SF映画の「ミクロの決死隊」ではありませんが、このようにからだの内部をたどってゆくと、水系空間⇒油系の膜⇒水系空間⇒油系の膜⇒水系の空間⇒油系の膜⇒・・・・・⇒水系の空間、というふうに交互の構造が繰り返されていることがわかります。

そのような水と油の膜が幾重にも入れ子構造になってできているのがわたしたち一つの生命体ということです。











身体の中では、エネルギーのもとになる澱粉や脂質、アミノ酸・ミネラルのような細かい成分がなんとかして水に溶けながら目もくらまんばかりの複雑な流通経路を24時間行き交うことで生命活動が行われています。

このような物質は水に溶けやすいもの、油に溶けやすいものさまざまあるわけですが、いずれにしてもあの手この手を使いながら、水と油膜(生体膜)を何度も何度もくぐり抜けて各々要求に応じた目的地をめざすというすばらしい離れ業を常に発揮し続けているのです。

次回の更新は4/5 (木)です。
カテゴリ : L-カルニチンについて : 
2012/03/22 (11:00 am)
早いものでL−カルニチンについて考え始めるようになってからちょうど丸9年がたちました。

L−カルニチンは従来専ら医薬品としてのみ使われていましたが、食品として使用することの許可が国から下りたのがちょうど9年ほど前のことでした。
 
L−カルニチンは現在も医薬品として活躍していますが、それは「L−カルニチン先天性欠乏症」という疾患を治癒するためのものです。

この病気はL−カルニチンが自分の身体でつくれないとか利用能が低いとか、特別な状況を伴った一種の遺伝病です。

L−カルニチンは「脂肪を燃焼させるために働く」というのが最もよく知られた機能ですが、実はそれと同時に「脂肪から身体を守る」ということも同時に行っているのです。

身体の中の油成分には脂肪とか脂質とかいろいろな呼び方がありますが、大まかに言って、油分には「何かに包まれている形」と「むきだしになっている形」があります。

脂肪を包んでいるものにはある種のたんぱく質やグリセリンなどがあります。













そして何にも包まれていない「むきだしの油」は遊離脂肪酸と呼ばれます。

ほとんどの場合身体の脂肪分は「何かに包まれて」います。

なぜでしょう?

身体を流通する成分のほとんどは血流というハイウェーに乗って必要な部分の隅々にまで運ばれています。

血流は血液として血管を流れていますが、もちろん血液は基本的に水を主体にできています。

「水と油」は混じりあいません。

水に混ざらない脂肪分を水に溶かそうとすること、ここに生体の大いなる工夫がなされています。

つまり、ある種のたんぱく質やグリセリンとくっつくことによって水に溶けないはずの脂肪はちゃんと水になじむようになるのです。

これはちょうど食器洗いをするときに油分を落とすために洗剤を使うのに似ています。

洗剤で油を包み込んであげることによって油汚れは水と一緒に洗い流されるようになります。

身体もこれとよく似た方法を用いています。

次回の更新は3/29 (木)です。
2012/03/15 (3:00 pm)
「マッサージで筋肉のコリをほぐす、ツボを刺激する」という伝統的なところから考え始め、「実は動脈を刺激してNO(一酸化窒素)ラジカルを発生させて血管の拡張をはかっている」というマッサージの意外に奥深いところに行き着きました。

ところが、先般さらに面白そうな情報に遭遇しました。マッサージをすると身体の発電装置であるミトコンドリアが増えてくるというのです。

これはカナダのマクスター大学などの研究チームが実験を行い、この2月に米国医学誌のScience Translation Medicineに発表したものです。

ミトコンドリアについては何度か書いてきましたが、まさかマッサージまでミトコンドリアに関係してくるとは思いもしませんでした。

ミトコンドリアは細胞の中でエネルギーを生み出すところですから、様々な身体機能の根幹をなしています。

もちろんスポーツなどにも大いに関係するところで、実際肉体トレーニングを行うことによってミトコンドリアの量が増えることはかねて知られているところです。











身体の各部はそれが置かれた環境に適応するように変化するものですから、エネルギーの要求量が増えれば「発電所」の数が増えるのも道理かもしれません。

マッサージをすることによって血流が改善され、流通する酸素量なども増えることが考えられますから、それに対応するべくミトコンドリアも増殖してくるということなのかもしれません。

何にせよ、ストレッチやマッサージは気持ちの良いものです。

適時のマッサージにより、身体がヴィヴィッドに反応してくれる背景に、いろいろ信頼できる科学的な裏付けが伴うようになりましたから、そういうことをイメージしているとさらにその効果が高まるのではないかと思います。

次回の更新は3/22 (木)です。
カテゴリ : L-カルニチンについて : 
2012/03/08 (11:00 am)
ところで、マッサージといっても最近では頭皮、フェイシャルから足裏まで今や非常に多彩になっています。

マッサージのことは以前は「按摩(あんま)」と呼ばれていたと思います。

この古典的な按摩が対象とする部位は専ら肩や腰、背中などでした。

なぜそういうところをマッサージするのかというと、当然「筋肉をほぐすため」ということになるでしょう。

それでは頭皮や足裏を刺激するということにはどんな意味があるのでしょう。

頭皮にはもみほぐすに値するほどの筋肉があるわけでもありません。

足裏にはもちろん重要な筋肉がありますが、それは筋肉全体からするとごく一部です。

つまり、頭皮だとか顔面、足裏などのマッサージは「筋肉のもみほぐし」以外の意味があることが推測できます。

これはツボ、でしょうね。

中国医学で知られている鍼灸などのツボは必ずしも解剖学でみるところの神経と単純に連関しているのではないようなので、ことはそれほど簡単ではありませんが、しかし何らかの神経や毛細血管などを刺激しているのではないかと思われます。











ところで昨今少しづつわかってきたことは、「動脈」を刺激すると一酸化窒素ラジカル(NOラジカル)なるものが発生して血管が拡張するということです。

動脈は大量の血液を流すメイン送液ラインですから、傷ついたりすると出血多量になる危険があります。

ですから、動脈は通常分厚い筋肉で覆われて身体の深部を走るようになっています。

腕や足、背中や肩などをマッサージする際に実際に触れる部分は筋肉にほかなりませんが、やり方によってはその深部にある動脈にも一定の刺激を与えていることになるはずです。

そうなればNOラジカルが発生し、血管が拡張し、結果的によどみがちだった血流が改善することになります。

古くから行われてきた按摩という施療法は筋肉をもみほぐしながら実は同時に動脈をもNOラジカルで活性化し、血行の改善を促していた可能性が高いと思われます。

このように考えれば、ちょっと休憩する合間などに腕や肩などの深部を意識的に刺激してみると急に疲れが飛び、頭もすっきりする感じがつかめてきます。

この理屈は大阪市立大学医学部でフリーラジカルを研究してこられた井上正康教授が「血管ほぐし健康法」と名付けてかねてからその効用を説いておられるところです。

みなさんもぜひ一度「動脈」を意識しながら自分で筋肉をマッサージしてみてください。

次回の更新は3/15 (木)です。

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