2008/06/19 カテゴリ: 健康 : 

1週間前の自分になら戻れるかな?

老化ということについてはどんな角度から考え始めても、どんなレベルで思いをめぐらせても結局はある種哲学的な問答になってしまいます。

つまり、そんな大問題についてここで何を言ってみても何の結論もでないということは明らかです。

ただ、私が最近参加した老化に関するいくつかの学会で、確かに自分が知らない側面があった、学べたと思う事柄がありましたので、少し話題に供してみたいと思います。











死に対する恐怖というものは当然誰にもあるわけですが、では長寿者となって、例えば120歳まで生きているということが楽しいことばかりかといえば、そんなことはないことにすぐ気付きます。

例えば、120歳まで生きていれば、同級生は自分以外一人も残っていないでしょう。

また自分の子供は90歳代、孫も還暦を過ぎているという状況です。

配偶者はもちろんのこと、自分の子供が生きていることを期待することもかなり望み薄です。

そんな中でも生きていたいと思う場合、思わない場合。ここには明確な線は引けません。

では、老化という生命現象に対して、これを専門に追究している学者・研究者の人たちはどう思っているのでしょうか。

そういう専門家の人たちには割り切った明快な考え方があるのでしょうか。

このあたりが気になったので、いくつかの興味深い講演などを聴きました。

結論から言って、そういう学者の方にとっても老化はまだ得体の知れないものであって、それをどう捉えるかという見解もさまざま存在する、ということでした。

典型的な考え方として、老化現象は病気であるとする見方があり、この考えに立つ人々は何らかの医学的手法によって若返りへの対策が立てられるはずだという信念を持っています。

これに対し、老化は病気ではないとする見方があります。

従って、これを治療することも予防することもできないというわけです。

その底流には老いることや死ぬことを自然の成り行きとして正視し、逆らわないでおこうという哲学があるように見えます。

すでに非常に哲学的な問いかけになってしまいましたが、事実、現在最先端の部分でこのことが専門研究者によって盛んに討論されています。

しかしながら、科学は科学ですから、ともにそこにある生命のメカニズムを把握しよう、究明しようという努力が重ねられていることに違いはありません。

老化というのは進化と並んで再現の不可能な、従って実験科学には本来向かない課題だともいえます。

ここが難しいところですが、それを実験の手法に移し変えようとするとき、実験動物を用いることになります。

ここでは線虫だとか、マウス、ラット、サルなどの動物が使われますが、これらはすべて人間よりも寿命が短く、実験する側にとってその一生のすべてを見届けられる相手として選ばれています。

それが基礎的な老化研究です。

もう一つは、現に100歳を超えて生きている人を研究しようではないかという流れがあります。

これは直接にヒトを対象とした研究なので非常に説得力があります。

しかし、それを再現することができないという意味において典型的な科学とは相容れない性質があります。

いずれにせよ、そういった両面から高齢国家である日本でも精力的に研究が続けられていることだけは確かなことです。

ところで、私は10年前の自分に戻ることは無理だと明らかに思うのですが、昨日の自分(それは確実に現在の自分よりもわずかながら若い)に戻ること、あるいは1週間前の自分に戻ることなら出来るのではないか、といった幻想を持っています。

そして、もし1週間前の自分に戻ることが出来れば、それを繰り返すことによってもしかしたら2〜3年くらいは本当に若返ることができるのではないか、と思っています。

まあこれは何の科学的根拠もない妄想ですが、そういう気分で生活をすることは悪いことではなく、そして結果的には老いをほんの少し遅らせることができるのではないか、というあたりを期待しています。

そういえば、健康に老いるために重要なものとして先ず挙げなければならないのは筋肉でも骨でもなく、脳だ、気力だという話も専門の先生から聞きました。

120歳まで生きたいとは思わない私ですが、「ここ当分先まで」は気力充実でありたいものだと思います。

次回の更新は6/26(木)です。