2008/08/21 カテゴリ: スポーツ : 

自己ベストと棄権の紙一重(北京五輪観戦記)

正式に公認された場で、これまで自分が出したこともない記録を出すというようなことを毎日のようにテレビで見ていますが、改めてこれは大変なことだと思います。

のみならず、それが日本新、大会新そして世界新記録ともなれば、これは過去に人類が出したことない記録ということですからその凄みも極まります。

そのうち世界新記録など全く出なくなるオリンピックも遠からず来るのではないかとは昔から思っていましたが、どうやらそういうことはないようです。

これはもちろんウエアやシューズ、コースの科学的進歩ということもあるでしょうし、トレーニング方法の進歩ということもあるでしょう。

しかしそれにしても最終場面のここ一番で自己ベストを出すということは全ての選手にとっての悲願である事情は永久に変わらないと思います。

しかしながら、そういう戦いを演じてゆくアスリートにとっては当然全力を出し切ることが必須になってきますが、その「全力のメーター」が時として振り切れてしまえば身体の故障につながってしまいます。

どこにその限界があるのか、どこまでやればそれが振り切れるのかは当人にもわからないことに相違ありません。そこにはトップアスリートだけが知る過酷な限界が潜んでいます。








今回もマラソンの野口、土佐両選手、そして中国の国宝といわれる劉翔選手が棄権という大波乱が起こってしまいました。

まさに今生きている人類のトップクラスの身体能力が、それを発揮しようとする紙一重の極限を超えた途端に普通に歩くことさえ困難になってしまうわけです。

この過酷な現実にはテレビで観戦しているに過ぎない私などにとってすら身のすくむ思いがします。

選手の肉体もさることながら、特に競技を全うできなかった悔しさ、事後に押し寄せる周囲からのプレッシャーなど、精神的にこれらを乗り越える厳しさは大変なものと思われます。

まさに天才には天才にしかわからない苦悩あり、です。

それだけに、それら全てを調整し、記録やメダルに到達したアスリートの喜びは、これも筆舌に尽くし難いでしょう。

オリンピックに出場するだけでも大変なこと。

そこで入賞するのはもっと大変。

メダルはその先にあり、さらに金メダルがあります。

気の遠くなるような距離ですが、そこにオリンピックの醍醐味があることが、今回私にはいつもより強い実感として得られたように思います。

結果が全て、調整も故障も含めたものが実力である、という見方もたしかにその通りなのでしょうが、まったく過酷としか言いようのない、棄権を余儀なくされた選手のことにも思いを馳せていたいと思います。

次回の更新は8/28(木)です。