2008/08/28 カテゴリ: スポーツ : 

スポーツとスポーツ栄養学 (北京五輪観戦記)

北京オリンピックが終わりました。

今回は改めて、陸上、水泳、球技、格闘技、自転車、射撃など「実に様々な競技があること」がこれまでになく強く意識されました。

もちろんそういう色んな種類の競技があることは知っていましたが、今回はそれぞれの種目でよい成績をあげることと身体の栄養ということとの間にどういう関係があるかという点について注意して観戦してみたわけです。

その観点から、競技の多様性ということについてあれこれ考えるところがありました。

私なりにそれらを分類してみたところ、
(1)相手の瞬時の出方によって自分の側の反応を決めるもの(格闘技)
(2)運動を起こすタイミングはある程度自分で決められるが、そこに至る集中力を最高度に高める必要があり、また勝敗を決するポイントが一瞬であるもの(ハンマー投げ、走り高跳び、飛込競技、体操競技など)
(3)スタート後の競技時間が比較的長く、いわゆる後半から終盤へのスタミナが重要となるもの(中長距離走・競泳・シンクロナイズドスイミングなど)
(4)試合時間が比較的長く、スタミナとともに集中力の持続がポイントとなるもの(球技)
といったところになりました。

もちろんこれはテレビから観戦してみての素人の勝手な印象であり、実際にはどうかわかりません。

例えば100m走など9秒そこそこの一瞬だと思っていたら、そのわずかな距離の間に非常に緻密なペース配分があるとのこと。

その意味では100m走もまた「競技時間が比較的長い」部類に属するのかもしれません。

しかしいずれにせよ、フルマラソンにおけるラストスパートと、何度も気合を入れながら精神統一やフォームイメージの描出に専心する走り高跳びの選手を見ていると、同じスポーツとはいえ、その「力の性質の違い」が非常に大きなものであることは確かなことと思われます。

私は普段L-カルニチンといったエネルギー代謝に関連した栄養成分について考えることが多いため、オリンピックではあらゆる「ラストスパート」に類する場面に特別な興味をそそられました。

特に中長距離走などのラストスパートでは、まずその時点でどのくらいのエネルギー源の余裕が体内に残っているかがポイントになりますが、通常は生命の危険を超えるところ、つまり体力の限界を超えて身体エネルギーを取り出すということは起こりません。

しかし、実際には体力以上の負荷がかけられることがあり、その場合には意識が朦朧としてしまいゴールとともにもんどり打って昏倒するといったことが起こります。

私が見ていた範囲では、大抵の競技で金メダルを獲得した人たちは意識が朦朧とすることもなく、逆にゴール直前で笑みがこぼれたりガッツポーズをとったりという余裕があるように見えました。

従って、そういったトップアスリートの体内ではゴールと同時にエネルギー源が燃え尽きるようなことは起こっておらず、まだかなり余裕がある状態にあるということになります。

そういえば(非常に古い話ですが!)1964年の東京オリンピックのマラソンで優勝したエチオピアのアベベ選手は裸足で完走した後、柔軟体操のようなことをやっており、後のインタビューでは「走ろうと思えばあと20kmくらいは走れると思う」というような感想を述べているのを聞いて驚いたことがあります。

このように考えてくると、ぶっちぎりで金メダルをとるような人とそれ以外の人との間には体内に備蓄できるエネルギー総量においてかなり大きな差があり、特に中長距離走などの場合においてはこの差が結果を左右するのではないかと思われます。

ましてや、アスリートでもない私たち一般人とメダリストの違いがどれほどのものであるかは想像もできないことかもしれません。

このような差異の絶対値についての決定的な研究をまだ私は見たことがありませんが、この点は非常に興味のあるところです。

それはさておき、多くの競技で「4年間このために頑張ってきた」というようなコメントが聞かれたことはオリンピックならではのことですが、勝負は一瞬であってもそこに至る営々としたトレーニング、同じ動作を何万回と繰り返し、故障と戦い、本番に向けて集中力を高め、最後に自己ベストを出す。

この過程だけはどんな種目にも共通する原則ではないかと思われます。

野球の星野監督は「オリンピックは強い者が勝つのではない、勝ったものが強いのである」との感懐を述べましたが、(試合結果の是非はともかく)なかなか含蓄に富んだ言葉だと思われました。そして「勝った者たち」が共通して経てきたはずの、地道なトレーニング、故障の克服、そして神々しいばかりの集中力とスタミナ

これらの全てに拍手を送りたいと思います。










次回の更新は9/4(木)です。