2006/05/16 カテゴリ: 高齢者・療養中の方 : 

人生の悲哀に世代として接する私の実感

わが身に引き寄せて、老いを考えることについて、もう少し、私自身の実感を言ってみたいと思います。

とはいっても、昭和33年生まれの私自身が、それほど深刻な老いを感じている、ということではありません。老いの宿命を感じるのは、自分の周囲を見渡してみたときにです。それはつまり次のようなことです。

たとえば、私が社会に出てまもなかったころ、私の上司だった人で、とくに仕事の上で大きな権限も持ち、いわゆる脂の乗り切った先輩だった人々は、現在、ある人は引退され、ある人は隠遁され、ある人は何かの新しい仕事に就かれています。いずれも、現役時代には元気溌溂で、厳しい人なら近寄りがたく、こちらの仕事のどんな隙もごまかせないな、と身の縮むような思いをさせられた人々も、引退とともにあらゆるカドがとれ、丸い笑顔を浮かべて「お世話になりました」なんて挨拶を頂いたりします。

また、私の新入社員時代が、その人の定年にあたるような世代の人の場合には、その人たち自身の訃報に接することも、昨今ではしばしば経験するわけです。



もちろん、自分の親、親類である叔父や叔母、学生時代の恩師の世代なんかも、そういう年代です。また、テレビを見ていても、この頃、あの人を見かけないな、と改めて気付くようなことが多くなっています。

もちろん、そんな現象はずっと昔から、あたりまえに起こっていたことですけれども、最近とみに、私自身が、そういうことに対して、第三者として自然に意識するような年代になった、ということが大きいと思います。

そして私が、たまたま現在の年代において、健康に関する仕事をしているということも、偶然ながら、いろいろなことを考える、大きなきっかけになっているとも思います。

(つづく)次回の更新は5/19(金)です。