2006/05/26 カテゴリ: 疲労 : 

「疲れを知らない人」としての天才 (1)

誰にでも経験があることでしょうが、私も子供のころに、「何かの天才になりたい!」と考えたことがありました。音楽の天才、絵画の天才、スポーツの天才などなど、何でもいいので。

今もって、年甲斐もなく、そんな妄想を抱かないわけではありませんが、それは、「天才=幸福な人」という単純な発想を、どこかで信じているからだと思います。しかし、天才本人は、「天才であることが、必ずしも幸せにつながるわけではない」というでしょう。

もちろん社会的名声を得、経済的にも恵まれて、一生を終えた幸福な天才も少なくないのでしょうが、一方では、天才といわれた多くの人が、湧き出ずる情念を抑えきれず、社会との軋轢に悩んだり、創造の才に振り回されて、不幸のうちに、生涯を閉じた人々も多かったことも知られています。



かなりむかしのことになりますが、宮城音弥先生の書かれた、「天才」(岩波新書刊)という本を読んで、一口に天才といっても、本当にいろいろなパターンがあるのだなあ、と驚いたことを覚えています。

現在では、脳科学の研究の進展により、それら天賦の才がある人の脳内では、ドーパミンという神経伝達物質が、非常に大量に分泌されていた、前頭葉の機能が亢進していた、逆に抑えられていた、などということが類推されるようになってきています。

しかし、それら多くの、天才と呼ばれる人に共通する大きな特徴は、「創造的活動において疲れを知らないこと」ではないかと思います。たとえばエジソンは、1日18時間発明をしていたといわれていますし、名画「アマデウス」に登場するモーツアルトは、アルコールを呑み、ビリヤードをしているあいだにも、五線譜にメロディーを書き入れていました。

(つづく)次回の更新は5/30(火)です。