2009/12/24 カテゴリ: つれづれ : 

今年、そして来年へ

健康について考える時、「疲労」というキーワードはとても重要なものの一つです。

一言で疲労と言ってもその概念はものすごく広いものです。

少なくとも肉体的なものと精神的なものがあるということは誰にも分かりますが、一言で肉体的なものといってもマラソン後の筋肉の疲れと眼精疲労、あるいは病気にかかった時の疲労ではだいぶ状態が異なります。

精神の方は、徹夜で仕事をしていて感じる精神的疲労もあれば、様々なプレッシャーに基づくストレス、また失恋や近親者との死別、失業といったこともすべて疲労といえば疲労です。

また「疲労骨折」などと言う場合は自覚症状があるかどうかはともかく、骨というハードウエアが物理的に破綻することを意味します。

これと似たものとして「金属疲労」という言葉がありますが、こうなってくれば疲労という現象はヒトや生物に限ったことでもなくなります。











今年も残すところあと1週間となりましたが、昨年秋の世界経済破綻以来、どうも社会的に良いニュースの少ない年だったなと思い返されます。

「疲労」というキーワードを当てはめるならば、今年は「地球環境の疲労」についての世界的討議もなかなかまとまりませんでしたし、健康問題ではインフルエンザの世界的流行といったこともありました。

これらはさしずめ「社会的疲労」とでも言うべきものかもしれません。

「社会的疲労」というのは必ずしも個々人の力で左右できないものですし、社会全体をすっぽりと覆ってしまうようなこういう状況は誰にとっても似たようなものです。

ということならば、そういう全体的状況を憂えるのではなく、個々の人が何とかできる「疲労解除」をひとつずつ実行してゆくのが良いのではないでしょうか。

「精神的疲労の解除」については人それぞれに事情がありますので、これに対する対策を一般化することはなかなかできません。

しかし「肉体的疲労の解除」の方はまだ何とかなると思われます。

私個人的なことで振り返れば、今年はジム通いを始め、それを継続するというかなり画期的なこと(!)を実行しました。

今週でちょうど9ヶ月になります。

正直なところ、それまで人には「適度な運動」を勧める立場にありながら、自分はそれに積極的に時間を割くというところまで行かないのが実情でした(怪しからぬ話)。

つまり年齢も経てきたので疲れることはしない方がいいだろう、という考えをベースに持っていたことになります。

しかし人間、生活する中では無理を承知で肉体を酷使せざるを得ないことも結構ありますから、こういう消極的な考え方では結局あまり良い結果にならないんじゃないかと思ったわけです。

これが「閉店時間延長型で歳を重ねる」という考え方につながったのですが、その実、運動を実際に始めてみてのメリットとして、「肉体的疲労」に留まらず、「精神的疲労」にまで良い影響を強く実感できるようになりました。

考えてみれば、精神を司る脳もまた代表的な肉体(臓器)の一つですから、脳以外の臓器をアクティブにすることによって脳も活性化されない筈はない、と、今はとても自然に思えるようになってきました。

憂鬱なニュースが多い世の中であればこそ、なおさら自分自身の健康のケア、そして手の届く範囲の周囲の人のケアを毎日心掛けてゆくことが、より重要な意味をもってくるに違いありません。

「来年の今頃はどんなことを書いているだろうか、心配なような楽しみなような気がします。」これは昨年最後に私がこのブログで書いた一節です。

今年は「後半の人生」の中で、積極的に肉体を鍛錬することの意味を実感できたということが私にとって一番大きな成果だったかもしれません。

来年もできるだけ「自らの生きてゆく実感」から健康について考え、ブログを綴り続けたいと思っています。

一年間このコーナーにお付き合い下さいました皆様に心から感謝申し上げます。

来る年がぜひ素晴らしい年となりますことをお祈り致します。

それではお元気で良いお年をお迎え下さい。

ありがとうございました。

PS:年末年始は1回分お休みを頂き、次回は1月7日にお目にかかりたいと思います。