2006/06/02 カテゴリ: 疲労 : 

疲れを知らない人としての天才 (3)

もう一つ、私が覚えている例を挙げてみたいと思います。

1970年11月25日の三島由紀夫の自決に対して、思想家の吉本隆明さんは、「暫定的メモ」と題する秀逸な評論を残しています。その中で、私の印象に強く残っている一節は、つぎのようなものです。

「すぐれた文学者には、すぐれた文学者にしかわからない、心の空洞のようなものがあるのかも知れぬ。私にはそれがわからぬ。」

このことは、前述の手塚治虫さんについて私が感ずるところと、非常に似たものを連想します。



三島さんが、「過労の末に亡くなった」などというと、独断に過ぎるのでしょうが、要するにモーツアルトにせよ手塚治虫、三島由紀夫にせよ、「創造のイマジネーションは倦むことなく湧き続け、その情念を抑制することすら難しかった」という点で、共通しているといえるのではないでしょうか。この「抑制し難い情念が、いわゆる過労死なるものへと導いた」のではないかというのが、今回、私が言いたいことです。

「湧き出る活力を上手に制御できるかどうか」−このような観点も疲労という現象を考える際に、非常に重要なヒントになるように思います。

(つづく)次回の更新は6/6(火)です。