2011/02/17 カテゴリ: つれづれ : 

「豆腐の味」を言葉で表現できるかどうか?

「豆腐の味」というものを言葉で表現できるだろうか、と先日ふと考えました。

簡単には言えそうもありません。

無味無臭なのでしょうか?

無臭であることは間違いないのかもしれません。

しかし味は?となるとあまりよくわかりません。

思い出せないわけでもないのですが。

やはり表現は簡単ではありません。

食感はプリンのような、とでも言えばよいでしょうか。

味が分かっているけれども表現が難しいのか、それとも味が分かっていないから表現できないのか。

そういうことすら分かりません。

不思議な食べ物です。

というわけで、そのあたりを意識して、改めて先日豆腐を食べてみました。

ほんのりうっすらとした塩味があるようでしたが、塩味と言えるほどはっきりしたものでもありません。

口に含んで味わうととても淡い、「ゆば」に似た風味が感じられました。

もっとも「ゆば」は豆腐のタンパク質分を熱でゆで卵のように変性させたものですから、豆腐とは兄弟のような存在。

ですから、豆腐の味を「ゆばのような」と表現することは反則かもしれません。

結局、「豆腐の味」についての私の結論は

「無味無臭ではない。何にも似ていない独特のコクがある」

と・・・やれやれ、まったく何を言ったことにもなりませんね。

けれども、今更ながら私がこの豆腐という日本人が発明した食品を「美味しい!」と感じたことは確かです。

このようなデリケートなものを何百年にもわたって食べ続けてきた、 日本人の優れた食文化を本当に誇らしく思います。

デリケートといえば、こんな豆腐のような崩れやすいものを木で作ったお箸でつまんで鍋に入れたり、口に運んだりできる技もまったく素晴らしい器用さだと思われます。

これも大切にしたいものです。

ところで、こうやって強く意識して豆腐の味や風味について考えようとしてもなかなかうまく表現できない私には、たしかに語彙が不足しているのだとしても、一方で、子供の頃からの食べ方、つまり醤油や土しょうが、ネギなどを薬味として食べる、その食べ方にも原因があるように思い至りました。






つまり、冷奴とみれば、まずは無条件に醤油を始めとした何らかの調味料や薬味をたくさんかけ、そしてあっという間に飲み込んでしまう。

その作法が豆腐の味をわからなくしているのだろうということです。

どんなものでも濃い味を求めすぎると、塩分の取り過ぎとなってよくないことは一般によく知られています。

もし調味料にまみれた食品を美味しいと感じるのであればそれはそれでよいわけですが、一方でそういう食べ方は食材の持つ本来の風味をいつも覆い隠しながら食べているということでもあるでしょう。

考えてみれば、豆腐よりももっと頻繁に食べている白米ご飯のようなものにしても、どんな味か表現せよと言われたらやっぱり難しいと思います。

ずっと食べ続けられるものには、どんなものがやってきてもそれを受け止める懐の深さがあります。

これは、白い画用紙やキャンバスのようなものに例えられるのかもしれません。

一度、だまされたと思って何も調味料をかけないで豆腐や魚、ご飯やお肉、野菜などを食べてみてください。

不思議なことにそうやって味わおうとすると、自然とよく噛むことにもなります。

噛むことによって味や風味がよくわかるようになります。きっと素晴らしい発見があると思います。

舌に約1万個存在する味蕾(みらい)の受容体と脳神経との静かな対話が味を生み出しているということが実感できます。

次回の更新は2/24(木)です。