2014/10/09 カテゴリ: つれづれ : 

いつ考えるの?⇒今でしょう!

現代の日本では年間約3万2千人の赤ちゃんが何らかの不妊治療を経て生まれているのだそうです。

3万2千人というとおよそ30人に一人の割合にあたります。

学校の一クラスに最低ひとりということになりますので、これは想像以上に多いと感じます。

これには現代不妊治療の技術が向上したということが大きな要因のひとつであることはまちがいないでしょう。

人工授精、体外受精、顕微授精などというとひと昔ふた昔前までは「試験管ベビー」などといわれて何だかSFの世界のような響きがありました。

けれども今は何ら特殊なことではなくなってきています。

「30人にひとり」というのは実際に誕生してくる赤ちゃんの割合ですから治療を受けている人たちの割合はさらにこれの何倍にものぼるはずです。

その一方で全体的には少子化が慢性的におこっています。

過疎化している地方のみならず大都会の小学校などでも1クラス14人などというところが少なくないようで、これでは運動会もままなりません。

つい先般は大手の予備校が大幅な縮小経営の決断を迫られたばかりです。

これだけ子どもの数が少なければ就職などは楽々かと思いきや、実際には(多少ましになってきたとはいえ)希望の就職先がみつからない若者の数はまだまだ少なくありません。

これはもちろん経済の状況に主因があるわけですが、それにしてもどうも今の日本の社会はこのあたりのバランスが奇妙に崩れているように思われます。

いずれにしてもこれ以降、高齢化した人口を維持することの社会的負担は激増することが確実なのですから、数の少ない次世代、次々世代の負担を軽くする対策を講ずることは喫緊の課題であるに相違ありません。

政府の医療費の負担を軽減するためのアイデアもいろいろ出されてはいますが十分ではなく点数で言えば30点とか40点あたりではないかという気がします。

そこで、医療のお世話にならずに済むための方策が重要となってきますが、こちらは運動や食事などの生活習慣の見直しが叫ばれています。

でも点数をつければまだ40〜50点くらいがせいぜいでしょうか。

で、そういった対策のすべてが最良の結果に終わったとしてもまだそのあとに残るもの、それは超高齢になってからの生きがいとはなにか?という問題だろうと思われますが、これについての対策はほとんど「零点」に近いのではないでしょうか。

医療技術がなければこの世に生を受けられなかったはずの子どもたちのことを考え、それを祝福する気持ちも、超高齢となった個々人の生きがいについて考える気持ちもともに哲学的な思念と強く関係しているように思われます。

しかしこういう課題に答えを下せる哲学を過去に求めても無為な気がします。

これらの事象のそれぞれが人類史上はじめての経験だからです。

ここから先に確実に高齢者となって行くに違いない私たちひとりひとりが「長い時間」をかけて最も良い処し方を編み出してゆくほかはなく、「長い時間」を長い時間たらしめるためには考え始める時期をあまり遅らせるわけにも行かないのです。

(「中年」だと今のところ自覚している私が)自らに「いつから「長い老後」について考え始めるのか?」と問うならば、「今でしょう!」と答える以外ないような気がします。

つい先ごろ103歳になられた日野原重明先生の存在が重みをもっているのは先生がまれにみる長寿であるからではなく、みずみずしい生きがいを今なお言動に表現しておられるからだと思われます。

勇気づけられます。


次回の更新は10/16(木)です。