2020/05/14 カテゴリ: つれづれ : 

はじめての体験に完璧は望めない・・・けれど・・・

メディアやSNSが発達している中での異常事態ということに関してはたとえば東日本大震災のときと現在ではあまり変わりません。

にもかかわらず、今回はテレビやウェブ、スマホでの情報の飛び交い方が比較にならないくらい激しくなっています。

なぜか?その理由についてはいくつか考えられると思います。

まず、東日本大震災も日本や世界に大きな衝撃を与えましたが直接に被災した地域は限定的であったこと、混乱したライフラインが主に電気に限られていたことなどに特徴があります。

それに対し今回の新型コロナは微妙な時間差を伴いながら日本全体、世界全体に影響を受けていて、この規模の点で震災とは大きく違います。

もうひとつは、いわゆる「専門家」と言われる人々の間でも見解が一致しないことです。

専門家には医療従事者、感染学者、微生物学者、公衆衛生学者、統計学者、疫学研究者などなど非常に多様な分野の方々が関連していますが、専門家同士の間でも意見が分かれ、時間とともに乖離が大きくなってしまいます(ひとつには前言を撤回することに対するプライドといった問題、省庁や政府の責任追及忌避といった問題ももちろんあるでしょう)。

私は今回の経験が少なくとも日本にとってははじめての経験だったということで、こういう混乱も「かなり仕方のないこと」と思わずにいられません。

PCR検査数が少ないこと、マスクや現金が迅速に配布できないこと、営業自粛に対して保障対策に名案がないこと、これらは事態が一段落したところでは最重要課題として解決すべき喫緊の宿題になりました。

けれども、こういう緊急事態に立ち至らない段階、たとえば去年の夏や秋の段階で「もしパンデミックが起こったら大変だから今から全国の病院で隔離病棟とPCR検査の体制を整えよう。それに巨額の予算措置を割り当てるべきだ」などという提案があったとしましょう。

はたしてそんなことに耳を傾ける政党や世論など考えられるでしょうか。

まず絶対にありえません(韓国や台湾ではその点での経験が1回分多い)。

ようやく大都市圏を除いて緊急事態宣言が解けるとのことで、まずは一区切りつきほんとうに幸いでした。

もちろん第二波に注意は必要でしょうし、このふた月ほどの間に被った経済的ダメージの影響とはまた新たに向き合わなくてはいけませんが、水泳でいえば息継ぎが一回できるということの意味は大きいと思います。

思えば天然痘もジェンナーという医師が予防接種の原点になる報告をしてから撲滅完了まで200年かかっているのです。

今度の新型コロナの場合も撲滅を目指すことは現実的ではないので、共存の道をさぐることにならざるを得ません。

手洗いやマスクといった習慣が世界的な衛生ライフのスタンダードになってゆくでしょうが、そういう身近なことが共存を図る具体的な方法ということになるのだと思います。

次回の更新は5/21(木)です。