2020/12/17 カテゴリ: L-カルニチンについて : 

脳の代替としての「メモ習慣」

レオナルドダヴィンチは何かにつけメモをつけ、身の回りのこと、観察したこと、アイデア、素描などを手帳に記していたことで有名です。

素描の類についてはそのすべてがすでに超一級の貴重な芸術品でもあります。

ダビンチのメモはまた彼が左利きだったこともあり、いわゆる鏡文字で書いてあるのでパッと見ただけでは何が書いてあるのか他人にはわからなかったようです。

物理学者湯川秀樹さんの自伝にも、着想が浮かんだ時のために枕元にはつねにメモを置いていたとあります。

ところで、加齢とともにあちこちの身体能力が劣ってくるのは自然の摂理ですが、眼にはメガネやコンタクトレンズを、耳には補聴器を着けることで低下してきた機能を補うことができます。

では脳には何を装着すればよいのか、そのことを昨今ときどき考えます。

その答えのひとつが「メモ」ではないでしょうか。

メモはもともとmemory、memorandumからきたコトバでしょうから「備忘録」「覚書き」などはよくできた日本語訳だと思います。

メモには日記のようにその日一日をふりかえるようなやや構えたものもありますが、私が脳の補助と考えるのは常に持ち歩く紙切れとボールペン、そんなイメージです。

メモは自分だけにわかれば十分なので、すばやく記録し、あとから自分自身が判読できるのであれば乱筆でも略号でも何でもかまいません。

要は「現在の自分」が「少し未来の自分」に伝言を残すことです。

この場合、脳の短期記憶を担う海馬などの機能をメモが代替していると考えられます。

高齢の人と話していて気付く問題は主にこの短期記憶の方であり、古い昔の記憶については非常に強く残っていていつでも自在に取り出せることはよく知られています。

というより、自分自身の実感としてこれは大変はっきり自覚できるちかごろの(困った、寂しい、残念な、ちょっと気楽で開き直った!?)傾向だと思っています。

ともあれ、近ごろは以前よりも意識してメモを取っており、できれば習慣にしてしまおうと思っています。

これができれば、本当の高齢に至ってもなんとか平常のとおりいろいろなことがやって行けるのではないかと期待しています。

ここで大事なことは「メモを取ることを忘れてしまうこと」ですから、やはり習慣にできるかどうかがポイントでしょう。

習慣は第二の天性とも言われますが、これは一種の長期記憶に類するはずです。

長期記憶が加齢によって消えにくいとすれば、そこそこ健康なうちに生活の習慣としてメモ魔になることに意味があると思います。

というわけで、昨今私の机の上や部屋の壁ではさまざまな色のポストイットが増殖中です。

メモしただけで読み返さないものも多いのです。が、ときどきそれを順不同で整理していると目についたキーワードが思わぬ発想につながるというメリットもあります。

そんなときには何か得をしたようなよい気分になります。


次回は12/24(木)に更新の予定です。