2021/07/08 カテゴリ: つれづれ : 

スパコン「富岳」なんか駆使しなくったって・・・

もう10年以上も前の話なので、もちろん今回のコロナ騒動などまったく関係なかったころのことです。

ある冬の日、ロンザのスイス本社から出張してきたR氏と東京の町中を歩いていますと彼は「日本人はなぜこんなに大勢マスクをしているの?」と驚くので、その光景を見慣れている私は逆に驚いてしまいました。

言われてみればその通りで、地下鉄に乗ってもショッピングモールに行ってもマスクを着けた人と頻繁にすれ違いました(まあインフルエンザの季節ということもあったわけですが)。

さて今やマスクは胸を張って外を歩くためのパスポートのような存在です。

まだ薄暗い早朝、ゴミ集積場までポリ袋を持ってゆくとき、ごくまれにご近所の人と顔を合わせることがありますが、そういう場合でもきちんとみなさんマスクをしていらっしゃいます。

私はというと至ってこれがニガテでして、ゴミ出しをするときはもちろん公園を歩くときなど三密になる心配のない時はまずノーマスクで通しています。

欧米では「ワクチンを打った人はマスクを外してよい」ということが自治体からアナウンスされることも多いようですが、それを聞いた人々が「万歳!」を叫んで喜び合っているシーンをニュースなどで見ると「そうだよね」と思わず握手したくなります。

私がマスクニガテ派なのにはいくつか訳があります。

まず、耳の周りの肌が痒くなりやすくメガネ選びも要注意なのです。

また口と鼻を覆うと呼吸がしづらかったり、冬場であればメガネが曇ってしまったりしますが、これにも閉口します。

衣類などもそうなのですが、元来私は身につけるものは拘束や束縛感があるタイトなものよりもゆったりしたものが好きなのです。

一方コロナウイルスの大きさとマスクのメッシュの大きさを比べると全くトラップできない、という理屈もいくらか私のマスク敬遠感を後押ししています。

もちろん、自分がゴホンゴホン咳をしたりくしゃみをしたりするときに相当マシな状況になることはスパコン「富岳」のシミュレーション動画を見なくても想像がつきます(ところであの飛沫が広がる映像を見るたび「世界最速最強の富岳」にはもっと別の、彼にふさわしい仕事があるのではないかと思ってしまうのは私だけでしょうか?)。

ですので、そういう可能性のある時には装着を厭いません。

けれども運悪く持って出るのを忘れてしまって電車やバスに乗ったときの「肩身の狭さ」もまた、マスクをする以上に窮屈なものですから最近はどのバッグにも何枚かのマスクをしのばせるようにしています。

募金をしたときにもらえる緑や赤の羽がありますが、これはその人のボランティア精神を表明するひとつの「記号」になっています。

マスクは緑の羽よりはだいぶ実用的な意味があるにちがいありませんが、一方ではコロナウイルス撲滅運動への努力を表明する記号にもなっているでしょう。

「ウイルスとマスクのメッシュの大きさを科学的に理解している、だから私はマスクはしない」というのもまた逆の意味でのポリシーの表明になっていると思いますが、そういった主義を表明し続けるというのもまた、疲れる話です。

そんなわけで、今日もポケットやカバンのあちこちにマスクをしっかり仕込んで町に出かけようと思います。

次回の更新は7/15(木)です。