2021/07/29 カテゴリ: スポーツ : 

歓喜の銅メダルと涙の銀メダルと・・・

オリンピックの入場式は昔の東京五輪とは対照的に「整然」ではなく「くだけた」感じで行われていました。

みなスマホを片手に記念スナップを取りながら入場する様はまるで閉会式のようでした。

けれども、そういう選手たちの雰囲気から強く伝わってきたのは東京大会に無事参加できてハッピーだ、という感じだったと思います。

こういう大会でいつも浮かんでくるのは「悲喜交々(ひきこもごも)」とりわけ「歓喜の銅メダル、涙の銀メダル」という言葉です。

メダルなど取れると思っていなかったのに表彰台に登れた!という選手は銅メダルを手にして舞い上がらんばかりの喜びに包まれています。

一方絶対金を取るぞ!と思っていた選手が銀に甘んじなければならなくなった場合には悔し涙を抑えることができません。

つまり喜びと悔しさというものは非常に相対的なものだということがわかります。

この事情は私たちの健康状態にも言えるように思います。

不治の病に侵され絶望のどん底にいた人が、みごと生還したときには生きていることに喜びを感じますし、健康があたり前の状態では特に何も自覚できず、どこかに不自由や不具合が起こってからさまざまなことを考え始めます。

パラリンピックに出場する人の多くはそういう不自由から出発して独自の境地を求める存在だと思いますが、ここにももちろん「涙の銀、歓喜の銅」があります。

前代未聞の状況で行われているオリンピックですが、この大会が終わってから日本人はもとより世界中の人たちがどんな感懐を抱くのか、なかなか想像することができません。

ただ「悲喜交々」という人間らしい思いがいつもにも増して色濃く共有されることはたしかなことではないかと思います。

その意味でややくだけた楽し気な開会式と対になる閉会式がどんな雰囲気に満たされるのか、充実を念じつつ今からとても楽しみな気がしています。

次回の更新は8/5(木)です。