2021/10/14 カテゴリ: つれづれ : 

with コロナなどとは、なんとも不遜な!

2020年代は突如として新型コロナで幕を開けることになりました。

特に昨年の前半は世界中がパニックになりコロナは医学・疫学を超えて文明論として語られる場面もありました。

昨日の報道によれば東京のPCR陽性者が4日連続で二桁だったとのこと、その原因はともかくこれを聞けばひとまずほっとします。

コロナ感染をゼロにすること、いわゆるゼロコロナということを最初人間はめざして来たのだと思いますがそのうち「ゼロにすることはできない」ということが明らかになって来た段階でニュージーランドや東南アジアではギブアップ宣言が出されました。

ロックダウンの継続ではもはや経済が持たない、限界まで来ているという認識です。

一方「with コロナ」という言葉があります。

この考え方は妥協、諦めというよりはむしろ実践的で科学的でもあります。

with コロナとは「コロナとの共存を容認する」ということだと思うのですが、もう少しZoom outして地球の立場に立って考えてみることにします。

まずは三十数億年前に「with 生物」ということが静かに始まりました。

それから途中をうんと端折ってしまえば、20万年前から「with ヒト」の時代になりました。

いま人間は「with コロナ」と言っていますが、地球の立場に立ってみればずいぶん不遜な考えに映るのではないかと思います。

たとえばこんなことを言いたくなるのではないでしょうか。

『君たち人間は私(地球)に断りもなく湧いてきてわずか100年やそこら、一瞬のうちに(!)3億トンに近いバイオマスにまで勝手に増えてしまった。それで地球環境も大迷惑している。物騒な兵器もいっぱい作っているな。コロナより前に私の身になって「with ヒト」についてまず考えてくれたまえ』

ウイルスは遺伝子の伝搬役としてあらゆる生物の進化に重要な役割を担ってきました。

疫病を防いで行かなければならないことは明らかですが、ゼロコロナという「幻想的な目標」に向かってしまうととんでもないことになります。

つまりwith コロナに転換するということではなく、当然その道を行くのが本来あるべき地球生命圏に暮らすものとしての掟だということでしょう。

ただ、とはいえ、コロナは皮肉にも遠隔勤務やmRNAワクチンという壮大な社会実験をスタートさせる絶好の機会となりました。

長期的に見てどうなのか、その影響はまだ誰にもわかりませんが、今のところリモートワークは総じて評判も良く、mRNA医薬の膨大な臨床試験も出来すぎなくらいの好成績をおさめていると言えます。

人類史上初と言ってもよい急激かつ膨大な臨床経験によって(防疫目的に限らず)mRNAの生命科学が多様な医療分野で革命的に進歩できる可能性も相当高まりました(その意味で細かい副反応情報の収集が無茶苦茶重要でもあります!)。

ですので「これからはwith コロナ」などと上から目線になるのはやめて「これまで通り、これからもwith コロナ」という謙虚な心持ちでいることが大事なように思います。

奇しくも地球温暖化のエビデンスを逸早く提示した真鍋淑郎さんがこれからノーベル賞を受けられますが、これもまた地球に対する謙虚な目線を据えるための好機だと思います。

この一週間はそんなことを考えさせられる機会になりました。

次回の更新は10/21(木)です。