執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


下記「お気に入りに追加」ボタンをクリックするとブラウザの「お気に入り」に自動追加されます。(Internet Explorerでのみ有効)


2008/07/31 (2:25 pm)
つい先日の昼下がり、暑い盛りに「火鍋」という料理を汗だくになって食べました。

羊肉のエキススープをベースに、トウガラシ、ニンニク、ナツメ、トウジン、リョウキョウ、サンショウ、ビャクズク、ショウガ、クコノミなどなど薬味類がぐらぐらと煮立った中に、マトンや野菜、キノコなどをどんどん入れて食べてゆきます。








なんでも薬味類は全部で数十種類入っているのだそうです。

目の前の鍋で激しい熱の対流とともに浮いては沈むスパイスは、薬膳そのもののイメージでした。

先週このブログで、ハムやメロンパンを食べた時、それを処理する私たちの身体の律儀さ、精巧さについて書きましたが、その時にはたんぱく質と炭水化物という栄養素についてのみ非常に単純化して考えました。

ところが、この「火鍋」というのはたった一食で数十種類の動植物、キノコ類の成分が消化管に入ってくるという凄まじさです。

試しに、そこに含まれる栄養素が何種類くらいあるか、私にわかる範囲で数え始めました。

主役のラム肉にはたんぱく質、脂肪、そしてもちろんL-カルニチン(!)が入っています。

スープにもL-カルニチン、そしてヒアルロン酸やコンドロイチン、ビタミンAなんかもありそうです。

野菜類には食物繊維、ビタミンCやA、マイタケにはβ-グルカン。

トウガラシにカプサイシン、ニンニクにビタミンB1、ショウガにジンゲロン、ジンゲロール、クコノミにはベタイン・・・と数えながら頭がクラクラしてきました。

ところで人間はこれらを医食同源などと言いながらただただ口に運んで行くばかりですが、これだけのものを突然送り込まれた消化管や肝臓、腎臓などはさぞかしその仕分け作業が大変だったろうと思います。

数十種類の薬味類の中にさらに十種類以上の成分が含まれているとすると微量成分まで含めれば、その含有成分は実に数百種類にも及ぶはずです。

これだけ多様なものを苦もなく処理し、おまけにそれを食べている本人の体調を良くするというのですからこれは全くたいしたものだという他ありません。

その中には恐らく私の身体にとって生まれて初めて取り込まれた物質も相当あったものと思います。

それでも、身体はそれをどうやって「さばけばよいのか。利用すればよいのか」をすべて事前に知っていて、間違いなく難なく処理するわけです。

これは本当にすごいことです。

しかし、そういうもののそれぞれが身体のどこにどんな作用を及ぼすのかを知っていた漢の国の人々も立派だと思いますし、それを美味しく食べられるように仕立てた調理の知恵にも驚きます。

ただ、考えてみればネズミでも魚でもある程度動物というものは雑食性のものであり(ウシのような本来草食性の動物でも人間が牛骨粉で飼えば肉食獣に変わります!)、何を食べてもそれをこなしてしまう、というのは動物が本来持っているたくましい能力です。

そういえば以前、動物学の本川達雄先生の自作の歌(生物に関する歌を多数作っておられます)の中に「口がなければ動物じゃない」という一節があるのを思い出しました。

動物と植物の区別は葉緑素のあるなしだとか、動くかどうかだとか、色んな考え方がありますが、どれにも多少の例外があります。

その意味で「口があるかないか」で動物かどうかを分けるというのはなかなかわかりやすい話だと思います。

カイメン動物のような器官が未発達と思えるものでもちゃんとバクテリアや微小プランクトンを食べる口のような小さな道具を備えているので、これは例外が少なそうです。

というわけで、雑食性を得意とする人間もまた動物の末裔として非常にたくましい消化、吸収と再合成の能力を持っている、そのありがたさを「火鍋」を楽しみながら改めて考えました。

ところで、先般は昼間だったこともありビールは飲みませんでしたが、それは正解だったかもしれないと思いました。

あれだけの多種類の食材成分を一度に食べたからか、そのあとしばらくは逆に全身がぐったりしてしまい、やや眠くもなりました。

身体にしてみれば首から下の作業で大わらわ、脳の活動に割り振るエネルギーが一時的に絞られたのかもしれません。

そこにもしビールが入っていればどうなるか?

さらにアルコールの処理が加わり、胃が何倍も忙しくなります。

胃液や膵液も薄まってしまうでしょう。

おまけにアルコールで脳はさらに麻痺します。

ほどほどに飲めばよい?

それは無理だと思います。

こういう美味しい料理ではお酒は進むものですし、それに辛くて辛くて!それを抑えるために大ジョッキをどんどん空けてゆくことにきっとなるのです。

しかし気分は天国。

まあ、たまにはそういう無茶ができるようにふだん節制していればよいということかもしれませんが!

次回の更新は8/7(木)です。
2008/07/24 (7:08 pm)
普段私たちは、お腹がすいた、のどが渇いたと思えば特別に考えることなくそのへんにあるものか、自分の好きなものを食べたり飲んだりします。

意識的に間食を避ける心掛けを持つ人もありますが、もし特別な考えがなければ間食も気の向くままということになります。

ところで、「お腹がすいた」と思った時にものを食べれば、食物は何であれ確実に食道から胃、そして小腸、大腸という順番に運ばれます。

栄養素は炭水化物、脂肪、たんぱく質に大別されるわけですが、本来私たちは空腹を感じたときにお腹を満たす目的でものを食べはしても、通常それがどんな栄養素であるかを意識することはありません。

今日でこそいろいろな知識が充実してきて食物栄養学の基礎知識は広まっていますが、例えば平安時代、室町時代あたりに生きていた人はそれこそ「意のままに」好きなものを食べていたものと思われます。

空腹を感じたAさんが台所に行き、冷蔵庫を開いてみたらおいしそうなハムがあったとします。







そしてそれを食べます。Bさんもお腹がへったので、キッチンにゆくとそこにメロンパンがあった。

それを食べたとします。

この二人の行動は空腹を満たすという目的では一致しているものの、それを受け付けた身体の方はまったく異なった仕事を急遽命じられることになります。

すなわち、Aさんの場合、消化管をハムが移動してゆく場面を想像すると、身体としてはプロテアーゼという、たんぱく質(ハムはほぼ、たんぱく質でできています)を分解する酵素を盛んに分泌してこれを消化し、分子のレベル(アミノ酸やペプチド)にまで粉々に分解してしまいます。これには相当なエネルギーが必要です。

そうやって分解された栄養素は、今度は身体の状態に応じてエネルギー源として使用するのか、身体の部品(筋肉や酵素など)を作る素材として使用するのかが決められます。

特にエネルギーが枯渇していないときであれば、ハムが分解されて生じたアミノ酸はDNAの設計図に応じて全く新しいたんぱく質の合成原料として使用されます。

どんなたんぱく質になるかも身体のそのときの状況によって絶妙のバランスで決められ、お肌の成分になることもあれば、ジョギングで損傷した太ももの筋肉の補修に使われる場合もあります。

一方Bさんが食べたメロンパンはどうなるか?

こちらは炭水化物なので、唾液に含まれるアミラーゼによって、口内ですでに一部分解が始まります。

その後もブドウ糖のレベルまでばらばらにされますので、そこだけ見ているとハムと似ていますが、分解されたあとはもっと単純。

主にエネルギー源となって細胞の中で燃やされます。

つまり、改めてハムのように複雑なたんぱく質分子(実際たんぱく質はアミノ酸という20文字の言語で綴られた本のようなものですが、その本が私たちの身体の中に数千種類もあるというわけです)を組み上げる必要はなく、単にひたすら分解し、細胞で燃やすという作業が行われるので、身体にとっては比較的ワンパターンな作業といえます。

けれども、そんなに燃料をくべる必要があるのかどうかということには厳しいチェックが入り、「当面必要なし」と判断されればグリコーゲンになって筋肉や肝臓にストックしたり、あるいは脂肪の形でやや長期的な備蓄に備えるという場合もあります(「使える栄養素を無駄に捨てない」というのは生物の身体の仕組みにおける大原則のひとつです)。

ハムとパンを例に挙げて書いてみましたが、実際にはこの両方を一度に食べるということも多いことと思います。

その場合にはより複雑な仕分けやアレンジが体内で行われます。

その作業工数がどれほどたくさんなものであるか、またその作業の方向性(身体を作るのか、エネルギー源とするのか、備蓄するのかなどなど)の判断の難しさを考えてみると、気の遠くなるほどの大仕事だなあと思います。

その複雑な仕事を、私たちの身体は要求されればいつでもどこでも、それこそ24時間不眠不休でこなしてくれるのです。

例えば、夜中の1時にどんなものを食べたとしても、身体はそれを「予告のない深夜残業だ」といって拒否することはありませんし、手を抜くこともありません。

そのあと主(あるじ)が寝てしまったあとも消化管やたんぱく質合成装置は徹夜で黙々とその作業を続け、翌朝には間違いなく仕事を終えています。

このように考えてくると、「規則的に食事をせよ。夜食はするな」などと忠告されなくてもそうしようという気に少しはなろうというものです。

それにしても、私たちの身体はなんと健気で忠実な働き手なのでしょう!

次回の更新は7/31(木)です。
2008/05/29 (8:04 pm)
長期間船に乗って航海に出るときには、嵐に見舞われたり、暗礁に乗り上げたり、方位がわからなくなったりといった外部の要因に対してどう対応をするかということをまず考えなくてはなりません。

しかしそれ以外に、乗組員たちの食料をどのように確保するかということも大事な問題になります。

その昔、まだ栄養というものがどういうものであるかがよくわからなかった時代(18世紀の初めころ)、食料を十分に積んでいても乗組員の歯ぐきから血が出て止まらないという症状が問題となり、これが壊血病と命名されました。

後にリンドという人は1747年に英国海軍に対してレモンジュースを与えることでこれが解決されることを見出し、これが今で言うビタミンCの発見であったということはご存知の方も多いことと思います。







またその頃人々を悩ませていた病気の一つには脚気(かっけ)がありましたが、これもまたある種の栄養の不足が原因であるということを推定した人がいます。

日本では1884年に高木兼寛という人が当時の大日本帝国海軍の人たちを実験台として脚気抑制のための臨床試験のようなことを試みて、ある程度の成功を収めています。

その当時、脚気の原因は感染症だと主張する人もありましたが(あの文豪の森鴎外なども軍医としてこの説を支持していたそうです)、この高木兼寛の実験によって栄養不足が犯人だということが結論されました。

その後、多くの経験的な事実から胚芽米を食べることで脚気が治まるということが知られるようになり、それを物質として突き止めたのが鈴木梅太郎でした。

鈴木の発見は世界に先駆けたものでしたが、外国語というハンディキャップからせっかく発表した論文(1910年)が言葉足らずとなり、結局翌年(1911年)フンクという別の学者の同じ発見がスポットを浴びることとなってしまいました。

ともあれ、この物質には「生存に必要な微量の有機化合物」としてVital amine(元気の出るアミンの意:ビタミン)という名前(Vitamineと綴られ、語尾に構造上の特徴であるアミンをあらわすeがついていた。現在はアミン以外のものもあるためスペルはVitaminで、eがない)が付けられました。

さて、その後まもなく(1913年)今度はコラムという研究者がバターや卵黄の中にネズミの成長に不可欠な栄養素があり、しかもこれが脂に溶ける性質を持つ点でフンクの発見したものとは異なるものということを言い出しました。

彼はこれに「脂溶性(脂に溶ける物質)A」と命名し、逆にフンクの発見したものを「水溶性B」と名付けました。

時間的に見ればビタミンBがAより先に発見されたので、これは少しおかしいのですが、事実はそういう経緯を持っています。

その後、壊血病を治す因子も水溶性ではあるが、「水溶性B」とはちがうものだ、ということでこれにはBの次の「C」が与えられました。

その後も微量成分の研究は続き、最初に発見された「Bと似たようなもの」には順次B2、B3と番号を振った関係上、最初の抗脚気因子は必然的にビタミンB1となりました。

Bのグループに属するものはたくさん発見されましたが、究明の進むうち、すでに発見されているものと同じだったというものも現れたりし、「欠番」になったものがたくさんあります。

今日教科書に出てくるビタミンはA、B1、B2、B6、B12、C、D、E、Kなどが主だったところですが、このように数字やアルファベットに欠番があるのはそういうわけです。

この時代、特に1900年代の初め頃はこのような「成長に必須の微量成分」を見つけようとする課題は一種の流行だったようで、L-カルニチンが発見されているのも1905年のことです。

L-カルニチンの栄養学的な意味は当初チャイロゴミムシダマシというカブトムシの一種(甲虫のなかま)の成長因子として位置付けられました。

これは「水溶性のアミン」であり、B1でもB2でもないもの、というわけでビタミンBはBでもチャイロゴミムシダマシの学名Tenebrio molitorの頭文字であるTをとってビタミンBTと命名されました。

もしかしたら、その頃はすでにBの類に番号を振るということ自体がややこしい手順になってしまっていたのかもしれません。

いずれにせよ、ショウジョウバエには何と何が必要で、カブトムシのなかまには何が必要ないとか、1960年代に入ってもまだそういう研究がたくさん見られます。

いずれにせよ、ビタミンというものが当初船乗りという特殊な、食物の内容を人為的にある程度コントロールできる環境にある人々を対象として発見されたり確認されたりしているところが私には非常に重要なことに見えます。

冒頭述べた1884年の高木兼寛による帝国海軍での実験などはさしずめ、日本で最初に行われたサプリメントのヒト試験例だといえるものだと思います。

事実、高木は「ビタミンの父」と呼ばれています。

ともあれ、ビタミンB7やB8、B10などが欠番で、いきなりB12(シアノコバラミン)に飛んでいる不思議の裏にはこのような事情があります。

次回の更新は6/5(木)です。
2007/02/23 (10:40 am)
一般的なビタミンは、多くの機能を有しているので、その欠乏初期においては、もっとも影響を受けやすい部位から、様々な症状が生体現象として現れてきます。

歯ぐきから血が出るとか、眼が見えにくくなるとか、背骨が脆弱になって変形してくるとか、比較的長い時間のうちに、ちょっとした不具合として現れてくるわけです。



つまり、完全に欠乏する以前に、その栄養素の欠乏傾向を知らせるアラームとして探知できるということです。

(つづく)次の更新は2/27(火)です。
2007/02/20 (12:40 pm)
生合成がされるかされないかについて、どちらが重要だというような問題ではありませんが、栄養学的に分類するとどうなるのでしょうか。

生合成がされるので、L-カルニチンは外部補給する必要がない、と主張するのが飢餓救済をミッションとした栄養学の考えになります。



一方、生合成がされるからこそ、外部補給に意義がある、と考えるのが現代的の栄養学の立場だ、というようなことがいえるのではないでしょうか。

(つづく)次の更新は2/23(金)です。
2007/02/16 (6:30 pm)
このようにみてくると、わずかな量ながら生合成が続けられている栄養成分に対し、改めて注意が向けられてもよいのではないかと思われます。

L-カルニチンは、そのような栄養素、すなわちヒトが自分で作ることを未だに放棄していない栄養素のひとつです。

また、面白いことにL-カルニチンは、リジンとメチオニンという2種のアミノ酸と、3種のビタミン、1種のミネラル、つまり外部補給に100パーセント頼る成分ばかりを原料として作られます。



つまり、摂取が必須のものを原料として、摂取が必須でない物質が作られているということになります。なんだか、言葉遊びの様相を呈して来ました。

(つづく)次の更新は2/20(火)です。
2007/02/13 (4:40 pm)
「必須アミノ酸よりも非必須アミノ酸の方が重要だ」、「ビタミンは通常の食糧事情にあればそれほど重要ではない」、などというと非常に逆説的に聞こえるかもしれません。

しかし、「現代の栄養素」は「飢餓を救済するための栄養素」と異なるミッションを持っているだろう、というのが私の考えていることです。



たとえば、現在BCAAとして有名な分岐鎖アミノ酸の主要メンバーは必須アミノ酸ですが、これらを補給することで今日期待される役割は、必須アミノ酸としてのそれではなく、現代人のライフスタイルにおいて上質の筋肉をいかに確保するか、という部分にあります。

食糧事情の変化に伴うこのようなミッション(役割)の変化は、なかなか意味深長です。

(つづく)次の更新は2/16(金)です。
2007/02/09 (12:30 pm)
今度は生合成可能な成分について考えてみます。

長大な進化の荒波に淘汰され生き残っている我々が、今に至るも食物からの外部調達に頼らず体内で合成され自己調達を続けている生体成分とはどういう存在なのでしょうか?

それらの成分は数えきれないほどありますが、例えばアミノ酸でいえばアラニン、グルタミン酸、アスパラギン酸などが挙げられます。



そもそも、生合成が可能だということは、いざそれらの欠乏を起こしてしまうと、個体の生存や種の存続にかかわるのだ、ということになるように思われます。

(つづく)次の更新は2/13(火)です。
2007/02/06 (6:10 pm)
「容易に調達可能」ということには、いろいろな意味があります。

ひとつは、苦労して探さなくても、あるいは意識していなくても、手近な食品に必須成分が含まれる、ということが挙げられます。

また、常にわずかな量があれば事が足りる、という量的な問題もあると言えるでしょう。



従って、これまでの人類の歴史において、たまたま帆船で遠洋航海に出るとか、芋のツルや水団(すいとん)を大事に食べざるを得ない、といったかなり特殊な状況におかれた場合においてはじめて、ある種の栄養素の外部補給必須性が判明した(欠乏症に気付いた)、そういうことだと思います。

(つづく)次の更新は2/9(金)です。
2007/02/02 (1:00 pm)
ここで、成分補給について、やや違う角度から考えてみたいと思います。

即ち、そもそも生物進化の歴史からみて、自分で生存に必要な成分を作り出すことができないとはどういうことか?ということです。



ひとつ考えられることは、わざわざ自分でつくらなくても、容易に周囲の食物からそれを調達できるから作るのをやめてしまった、という理屈です。

(つづく)次の更新は2/6(火)です。

« 1 2 3 (4) 5 6 7 »

毎週木曜日更新!健康に関するクイズ!
企業・研究者様向け“L-カルニチン”総合案内
本サイト運営企業。L-カルニチンの世界最大手メーカー
L-カルニチンサイト(英文)
id: 
pass:   
 
Copyright © 2005-2013 LONZA Japan.All Rights Reserved.