2015/08/20 カテゴリ: ランニング記録から トップマラソンランナーの身体能力 昭和40年の東京オリンピックのマラソンで優勝したエチオピアのアベベ選手はゴールしたあと柔軟体操などしながら「走れと言われればあと20キロくらいは走れる」と答えたそうです。わたしはこのエピソードを小学校の国語の教科書で読みました。当時はまだト... 続きを読む >
2007/08/03 カテゴリ: ランニング記録から 不毛の戦いを不毛でなくすのは消費者の力 話が大分脱線しました。ですが、私は中高年になろうともフルマラソンを走りこむんだということは信念なしにはやれないことだと思いますし、その信念は経験的なやり方であったとしても必ず科学的に正しい方法論と結びついているはずだということ、そして各... 続きを読む >
2007/07/31 カテゴリ: ランニング記録から 乱世における消費者の判断力 この不毛の対立とは具体的には機械的に取締りを強化すればよいとする動きとその取締りをいたちごっこ的にかいくぐってやろうとする動きとなって現れます。これは一種の乱世といえるかもしれません。その乱世で翻弄される被害者が消費者だ、という見方には... 続きを読む >
2007/07/27 カテゴリ: ランニング記録から 不毛の対立が進化しない理由 この対立の繰り返しに進歩が見られない理由は、守旧学問派の人たちがその人たちが考えるところの「確立されている理論」をそれ以上に発展させようとしないことに一つの理由があります。現況を未完成、発展途上であると認識する力がなければそれ以上の進歩... 続きを読む >
2007/07/24 カテゴリ: ランニング記録から 不毛の対立 健康食品を真に科学的に扱う学問体系は未整備の状態であるとしか私には思えませんが、現実には「未整備ではない、確立されている」として、慎重で当たり前の結論しか言わない守旧学問派と、「そもそも科学的であろうとしたこともない」山師的非科学派があ... 続きを読む >
2007/07/20 カテゴリ: ランニング記録から 慎重論が提供する安全だがつまらない結論 一方、「誰にも有効な」ダイエット法などの喧伝を全体的に規制しようとすると、逆に最大公約数的に非常に慎重なものだけしか認めない、という傾向、あるいは石に混じって存在している玉が拾い出せないという状況に行き当たります。そこからは健康食品で言... 続きを読む >
2007/07/17 カテゴリ: ランニング記録から 「誰にも有効」と説く健康法や健康食品への警戒 健康法や健康食品に対する考え方や方法論についても、このような観点からみてくれば、どんな場合にも概略のことは言えるけれども、個々のケースについては自分たちでつかむしかないというところに行き着きます。もし、「誰にも有効な」ダイエット法などを... 続きを読む >
2007/07/13 カテゴリ: ランニング記録から 人の数だけ存在するベストコンディション このことから考えて、人の身体の能力の個人差がいかに大きなものであるかということを言っても良いように思うと同時に、人それぞれに健康な状態のあり方、満足の行く健康状態は各人が各様に体感して決めてゆくべきことなのだということにも思い至ります。... 続きを読む >
2007/07/10 カテゴリ: ランニング記録から 私なりの健康 80歳を超えてフルマラソンをすごいタイムで完走する人に比べれば、20代の時でさえハーフマラソンがやっとという私の身体能力は非常に劣ったものに違いありません。また、その80歳代のランナーがある日20キロしか走れなくなったとしたらその人はショックを... 続きを読む >
2007/07/06 カテゴリ: ランニング記録から 人間の身体のもつすばらしい潜在能力 このような驚きの中で考えたことは、人間の身体のもつ潜在能力のたくましさということでした。もちろんこのような記録に名を残す人たちはアマチュアとはいえ、恵まれた超人的なパワーの持ち主には違いありませんが、ヤル気をもって努力をすればそれなりに... 続きを読む >