執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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2017/03/02 (9:00 am)
作家の佐藤愛子さんは『九十歳。何がめでたい』という本を最近上梓されました。

とても評判がよいそうです。

この佐藤さんにはご自身91歳のとき(2014年)人生の集大成のつもりで書かれた『晩鐘』という小説があります。

この作品を書き終えたあとには特に「毎日しなければならないこと」がなくなってしまったのだそうです。

佐藤さんほどの方であれば経済的にも安定しておられるでしょうし(数十年前に20億円もの借金を背負われたときもあったそうですが、みごとに完済されたとか!)、そこへ集大成も世に出せたとなれば、あとは絵にかいたような悠々自適ではないかと想像します。

ところが実際にそうなってみると朝起きる必要もないのでずっと寝床から立ち上がれないという状況になって元気が出ず、ついには鬱状態のようになってしまったというのです。

まあ、そこに『九十歳。何がめでたい』の企画の話が来てまた復帰に成功、と、これまた素晴らしい逸話です。

私がとても興味深いと思ったのは功成り名を遂げ、集大成の仕事をやってしまったあとでも目標を失ってしまえば人は鬱状態になってしまうというところです。

もしそうだとすれば、人間いつまでも何らかの「まだ達成していない目標」を持ち続けたほうがよろしいということになります。

ですからこの世を去る時にはやり残しの仕事がある、という状態がかえって最高なのかもしれません。

そういえば、作家の三島由紀夫さんのような才気煥発の人でも「書き尽くしてしまった感」を強く持っていたそうで、そのこととあのような壮絶な最期を遂げたこととは関係があると考える説もあります。

凡人とはいえ、90歳からまだほど遠い私などにしてもきっと10も20もひとりよがりな目標を持っていてちょうどよいくらいなのだろうと思います。

もし悩んいることがあれば、それを解決するということも目標のひとつといえそうで、そんならいくつでも数えあげられるな、とちょっとへそ曲がりなことも考えてみたりしたのです。


次回の更新は3/9(木)です。
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2017/02/23 (9:00 am)
今回は別の精神科医によって書かれた本についてご紹介します。

きたやまおさむさんの『コブのない駱駝』という本です。

これはきたやまさんの精神分析論的な語り口調による自伝です。

この方は『戦争を知らない子供たち』や『あの素晴らしい愛をもう一度』『花嫁』などの作詞で有名です。

きたやまさんは京都府立医科大学⇒札幌医科大学⇒ロンドン大学と学業の地を転々と変えながら次第に精神分析医の道に入って行ったそうです。

そういう長い道程を歩む中で前述の名曲名詞が生まれたことは実におどろくべきことと思います。

かくいう私は精神分析医としてのきたやまおさむよりも「ミュージシャンとしての北山修」のファンとして長年やってきた者です。

ステージやレコードで接する北山修に感じる最大の魅力はそのつかみ難いアイデンティティにあります。

この人、何を考えてこんな唄を作っているんだろう、いったいどんな研究をしているんだろう、いくらくらい稼いでいるんだろう、どこに住んでいて今何をしているんだろう、と謎はつきません。

それでいて作品はいたってすばらしく、ふと口ずさんでしまうフレーズが私の脳にたくさん刻まれています。

その北山さんの謎の部分、というかきたやまおさむがなぜ謎めいているのか、ということを自分で解説しているのが『コブのない駱駝』という本です(ちなみに『コブのない駱駝』という奇妙な表題は同じタイトルを冠した1960年代に書かれた作品から採られているものです。この唄もまったく風変りこの上なく、耳について離れない「奇曲」のひとつです)。

ともあれきたやまさんはその本の中で自分の心の内の多面性について悩み、傷つき、アイデンティティがどこにあるのかをずっと考え続けてきた、ということについて客観的に告白しています。

流行歌の作詞家、反戦メッセージの発信者、コミカルバンドのディレクター、精神科医、先天的に眼に障害をもった一患者、大学教授・・・と様々な顔を持ちながら、結局「どの顔も自分であり、どの生き方も自分の人生として認めてゆく」ということを肯定しながら生きてゆく、そんな術を発見して行ったということです。

様々な自分のいずれをも自分として肯定してゆく、この懐の深い考えは留学中に出会ったウィニコットという英国人精神分析者の思想に基づくものだと書かれています。

要するに多面的であることを自己肯定的な特徴としているわけですから、私がひとりのファンとして北山さんの実像をひととおりに想像したり追いかけたりしてもわかるはずはなかったのです。

このことを今度はわが身にふりかえって考えてみますと、わがままな欲望に富んだ自分がいて、それをいさめようとするストイックな自分もいて、さらにそれを上から客観的に見ている自分がいて、という側面は私にも確かにあります。

また、こういう顔をもっていたい、こういう側面ももっていたい、こちらにも首を突っ込んでおきたい、というような四方八方に引き裂かれかねないような不埒な欲目もあります。

しかしその中で苦労してバランスをとりながら、すべてを肯定的に考えて進んで行ったっていいんだ、それでいいんだ、ということを今回『コブのない駱駝』から学んだように思います。

それで「脳の肩こり」が少しは和らいだような気持ちになることもできました。

時には青春時代のように自分の心とゆっくり向き合ってみるのも悪くないな、と思う今日この頃です。


次回の更新は3/2(木)です。
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2017/02/10 (6:00 pm)
あまり聞きなれない英語ですが最近レジリエンス(resilience)という言葉に行きあたりました。

アメリカ航空宇宙局(NASA)の健康に関する研究分野での文献を読んでいるときに何度もこの単語が出てきたのです。

ふつう辞書で調べると弾性とか弾力性、と出ています。

けれどもITの分野などでは「コンピューターのシステムのどこかに何らかの不具合が生じても全体的に何とか作動し続ける能力のこと」を指すという解説をしている書物もありました。

またITでなくても「障害又は誤りが存在しても、要求された機能を遂行し続ける事のできる、機能単位の能力」 といったもう少し幅の広い意味も含まれるようです。

NASAの文献では宇宙飛行士の心身がおかれるハードな諸状況をこのレジリエンスという語彙にこめているようでした。

つまり宇宙空間では重力がなく、空気がなく、一日のリズムがなく、放射能が多く、十分な食事がなく、運動が不自由で、閉塞空間で過ごさねばならず、具合が悪くなっても病院があるわけでもなく・・・と、飛行士の人たちは数え上げればきりのないくらいの過酷な条件に囲まれているのです。

その中で「万全の体調」「完全にノーマルな精神状態」で居続けることはまず不可能と言ってよいでしょう。

そういうときに「もっと体調がよくなってから〇〇をしよう」とか「今日は調子が悪いので☓☓はできない」というようなことを思っていたら全く任務が遂行できなくなってしまいます。

ですので、万全ではない状態でも何とかかんとかやってゆく、という前提に立ってさまざまな訓練やシミュレーションがなされるということです。

これはなかなかシビアなことですが、宇宙空間でなくても私たちが社会に暮らしている環境にもこのレシジリエンスを発揮できるように心身の構えをもっておくことは重要なことのように思えます。

のんびり、ゆったり、時間にも気持ちにも余裕が持てればそれに越したことはありませんが、現実にはどこかに何らかの不具合や心配事、不安などと共存することはなかなか避けがたい日常に置かれています。

体調不良、睡眠不足、情緒不安定などなど、そういうものをうまくいなしたり、回復させるコツをつかまえながら生きてゆく術を身につけること、こういうことはたとえば誰しも高齢になる命運にある現代人には不可欠な生存スキルであるように思われます。

レジリエンスという言葉について、私はこれを「しなやかさ」と訳したいと思いました。

硬直、強直の反対の意味になります。

直面が避けられない困難には心身ともに強直に立ち向かうのではなく、できればしなやかに乗り超えて行きたいものだと思います。


次回の更新は2/16(木)です。
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2017/01/19 (9:00 am)
東京大学の西成先生が提唱するおもしろい理論に「渋滞学」というものがあります。

交通渋滞に代表される「渋滞」がなぜ起こるのか、をテーマとした研究です。

渋滞をひきおこさない一つの秘訣として「無理をしないこと」が挙げられています。

たとえば高速道路を想像してみてください。

車間距離50センチで時速120キロで自動車の列が流れているとします。

一方時速60キロで、車間距離が100メートルある場合を思い描いてみてください。

この車列、当然120キロで走っている方が目的地に2倍早く着くはずです。

ところがたった一台にほんのちょっとしたトラブルが起こったとしますと車間距離50センチであればたちまちにして玉突き衝突がおこってしまいます。

道路はあっという間に大渋滞となるにちがいありません。

一方時速60キロ、車間距離100メートルであればもし前を走る車に不具合が生じてもそれを十分に回避する余裕があるはずです。

そうすると、一時的に時速70キロが40キロになったとしてもまたすぐに70キロに復帰することができるでしょう。

それで結果的に目的地にたどりつくのもスムースになるというわけです。

渋滞学では高速で短い車間距離で走るような状態のことを「メタ安定状態」と名付けられています。

これをふつうの仕事になぞらえると「かなり無理をした状態で休みなく仕事をし続けること」などがそれにあたります。

早朝から深夜まで働き、休日も出勤するということをすれば一応仕事ははかどるように見えますが、結局いつかは心身のどこかに破たんが生じて戦線を離脱しなければならなくなってしまいます。

そもそも休憩時間や休養日はそれを避けるために古くから設けられた人類の知恵とも言えるものです。

昨今さまざまな職場が「メタ安定状態」におかれているようです。

ぜひ長い目で効率を見直して心身をいたわりながら「ゆっくりと急ぎたい」ものだと思います。

人生そのものはすべからく長距離走です。


次回の更新は1/26(木)です。
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2017/01/12 (9:00 am)
まずは年頭にあたりまして、今年も皆様方のご健康と充実をお祈り致します。

まもなく行われる新しいアメリカ大統領の就任にはじまり、今年は世界中のあちこちで何となく落ち着かない話題がたくさん控えているようです。

けれども世相がどうあろうと、私たちはまた一年分の齢を重ねるという事実は変わりません。

日々毎回の食事、睡眠、運動に気配りができる余裕をいかに保ち続けるかを今年も最重要なテーマとして掲げて行きたいと思います。

こんなふうに書きますと、いかにも平凡なことのように思われますがここにはたいへん重要な二つの「平凡なこと」が含まれています。

「食事、睡眠、運動などに対する気配り」ですが、すべての人があたりまえのようにこれらに十分な知識を持ち注意を払っているわけではありません。

また「どのように注意を払えばよいのか」ということは非常に奥深いものであると同時に、基本を踏まえながらも最終的には個々人の事情に応じたオリジナルな手法を年々歳々工夫して行かねばなりません。

つまり、自分にとって昨年の健康法と今年の健康法は必ずしも同じではないということです。

それから「余裕をいかに保ち続けるか」はさらに手ごわい問題です。

かくいう私も昨年一年をふり返ってみれば月のうち2−3度くらいの頻度で「余裕のない状況」に陥ったように思われます。

こういう状況を皆無にすることはできないでしょうから、むしろ「そういうことがある」⇒「そのときにはこうする」という方法を予め考えておいた方がよいのかもしれません。

「織り込み済み」にしておくことですね。

ともあれ、今年もまた目からうろこの健康法とたくさん出会えますようにアンテナを高くしながら楽しい話題を提供して行きたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。


次回の更新は1/19(木)です。
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2016/12/22 (9:00 am)
いよいよ今年も押し迫ってきました。

このブログを最初にアップしたのは2006年2月24日でした。

知らぬ間にすでに10年目も過ぎ、来年ではや11年になります。

これまでおつきあい頂いた皆様に心より感謝致します。

思えば毎週木曜日の朝に健康に関する話題でブログをアップする機会を得て以来、私自身常に(いわばネタ捜しとして)健康のことについて考えるようになりました。

10年前にはスマホなどまったく想像もできませんでしたが、昨今ではむしろパソコンよりもスマホでアクセス頂いている方が多い傾向ともなってきています。

ここから先10年後にはどんなツールが発達し、日本人全体がどんな健康状態にあるのか、想像すると楽しいようでもあり、恐いようでもあり、不思議な気持ちになります。

このあいだにも日本人の平均余命は世界のトップクラスであり続けていますが、うかうかしているうち、あっという間に自分自身も後期高齢者となるのに違いありません。

私は来年59歳ですので、あとたったの16年です。

16年前のことをふり返ればまるで昨日のことのように事細かにさまざまなことが思い返されます。

「Only Yesterday、まるで昨日のことのよう」です。

今年の前半私はひどい四十肩になやまされましたが、夏以降それも癒えてジム通いを再開することができました。

ひどい痛みにみまわれたときにはこれも年齢相応の変化のひとつとして受け入れることにしました。
 
一方それが治ってからの3-4か月に新たにジムトレを再開したら、身体能力は明らかに増進されたと感じられます。

これをアンチエイジングと呼ぶこともできるのかもしれません。

けれども齢は一年一年、一日一日重なって行くものであり、絶対に逆にはもどれません。

こんなことをつらつら考えながら、とにもかくにも大過なく健康に一年を終えられたなら、これに優る幸せはないと思います。

新しい年がまた瑞々しい発見と焦りのない柔らかなマインドセットに満ちた日々となることを祈りながら、せめて年の瀬を静かに過ごしたいと思います。

残る9日間を大切に、そしてよいお年をお迎えください。


次回の更新は1/12(木)です。
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2016/12/15 (9:00 am)
東京駅の地下にラーメンストリート、という一角があります。

ここは以前「ラーメン激戦区」なんていうものものしい名前がついていたと記憶しています。

ともかくこのコーナー、自我ほとばしるラーメン店が文字どおり軒を連ねていますが、興味深いのは行列ができているお店とそうではないところが比較的はっきりしていることです。

SNSでの口コミの結果なのかタウン誌での取り上げ方のちがいなのか、そのあたりはよくわかりませんが、通りがかりの旅人や中国ツーリストの人も多そうですからもしかしたら「行列ができているかどうか」が最も大きな目あてになっているのかもしれません。

こうやって毎週健康ブログなどお読みいただいていますが、かんがえてみればこの私、実のところ元来根っからのラーメン党です。

学生時代の下宿の近くに夜明けまでつつましく開いているいいラーメン屋さんがありまして、試験前の追い込みに疲れた深夜などひとりぼっちで、あるいは散々街中で呑んで騒いで帰ったあとに友人と連れ立って、途方もなく遅くなってから掻きこむフィニッシュの一杯が天の恵みさながらに格別だった、そんなこともなつかしく思い出します。

カップ麺やお湯をかけるだけのいわゆる昭和の即席ラーメンだって何日続いてもOK、もちろん有名店のオーソドックスな醤油ラーメンや由緒正しい中華そば、それから札幌ラーメンもいいですね、コテコテの絶品豚骨ならなお最高です。

いま住んでいる町の最寄りの駅前には「家系ラーメン」のお店があります。

いじましい話で恐縮ですが、私はそこでは決まってトンコツを注文し、ゆで卵のトッピングにすりおろしニンニクをたっぷり入れて食べます。

そうしないと食べた気がしないのです。

ついでに半ライスを一緒に掻きこみ、最後はスープを飲みほして・・・、と、こんなふうに書いているだけでお腹が鳴ってきそうなのです、が、これは本当の話です。

ラーメンストリートについては並み居るメニューの「片っ端制覇計画!」なんかが実行できたらさぞかし痛快だろうな、とも思います。

とはいえ私はくだんのストリートの暖簾をくぐったことはただの一度もありません。

先ほどの家系ラーメンでの品格なきドカ食い、これも二年か三年に一度あるかないか、の話です。

己の食い意地の張るがままに食べたいものを食べていたのは40代の前半ころまででした。

要するにL-カルニチンと出会って「クスリに頼らない健康」をテーマとしてとっぷりつかるようになって以来、たとえばラーメンにとっぷりつかるような無意識な選択がいかにキケンなことかを改めて理解するようになり、自然と「撃ち方やめ」に至ったわけです。

ドクターストップではなく、セルフストップです。

そんなわけで現在の私は駅地下の「大いなる行列」を東京の一風景とみなし、ただただ足早に横目で通り過ぎる存在にすぎません。

ああうらやましい、と思いながら、ではありますが。

でもドクターストップではない、そこがミソです。

何かめでたいことでもあった折、二年に一度、三年に一度、一期一会とばかり昔のような「濃い注文」をしてみるのも悪くないかな?

たかがラーメン一杯に命がけかね?

そんな大袈裟な思いに苦笑しながらも「いざとなったら何でも食べられる」ということのしあわせをふと思う今日この頃です。

ラーメンストリートならぬラーメンストイックもまた愉し、です。


次回の更新は12/22(木)です。
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2016/12/01 (9:00 am)
とうとう今年も師走に入りました。

この前ある本を読んでいたら月日の経過が早く感じる理由について興味深いことが書いてありました。

子どもの頃にそんなに早く感じない理由は見るもの聴くもの、世界がまだ経験したことのないものに満ちているからだという仮説があるそうです。

まだ通ったことのない道を歩く場合、初めて見る長編映画を観る場合、この先どれだけ何が続くのかわからない状況にある時には人間その時間を長く感じるものです。

逆に行きなれた道、見たことのある映画を観るときには「あとこれだけ経ったらここに出る。こんなシーンになってこう展開する」ということがわかっていますから、残る体力や気力の調節がより容易になるということは十分考えられるでしょう。

ということは逆に、未経験のことをするように心がければ月日は長く感じられるということになります。

読んだことのない本を読む、聴いたことのない大曲を聴く、はじめてのところを旅行する、などなど、改めて考えればそういう経験をする機会はたしかにどんどん減ってきているように思います。

一方私たちは昔より格段に頻繁にウェブを使って新しい情報やニュースを浴びるようになっていますが、こちらの方は新しい刺激ではあってもブツブツに途切れた断片情報が降ってくる中を通過しているわけですので長編小説や旅行のような一貫性がありません。

ニュース画面やメール、SNSを通じた情報は個々には新しくてもトータルにみれば同じような行為の繰り返しに過ぎません。

そんなことに気付きながら来年から、と言わず、今月から是非「新しいまとまった経験」に触れるようにしてみようと思います。

とはいえ、そんなに簡単に日常が許してくれますか、どうか・・・・!


次回の更新は12/8(木)です。
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2016/11/24 (9:00 am)
トランプ氏が大統領になってから世界は大わらわです。

今年の10大ニュースにはまだ少し早いですが、東京都知事選? リオ五輪? 築地市場問題? こんなところが上位かと思っていたら・・・ イギリスのEU離脱が国民投票で可決されて大騒ぎ、ほどなくボブ・ディランのノーベル賞受賞が最大のビッグサプライズ!かと思っているうちに今度はトランプショックがやってきました。

トランプ氏は数々の過激な発言の中で、わが国の米軍駐留コストにも言及しており、日本がもっと負担すべきだ、と言い出しました。

その額はいくらか、というと7500億円、これで駐留費用のちょうど半分なんだそうです。

ということは、駐留費の総額は1兆5000億円、これがどのくらいの額なのか?

私は1兆5000億円という数字にはピンとくるものがあります。

人工透析という、腎臓機能が停止してしまった人に行われる医療があります。

尿ができないために血中の有毒物質が排泄できない、そのために人工的な膜でろ過して対応するという方法です。

1回あたり数時間、一週間に3回ほども通院しながら生涯を過ごすことになりますが、これはかなり大変なライフスタイルです。

この人工透析の前段階に慢性の腎不全という疾病があり、さらに前段階となる多くのケースは糖尿病です。

そして糖尿病のさらに前の段階にいわゆるメタボリックシンドロームという状態があります。

つまりメタボの段階で健康体に引き返すことができれば結果的に人工透析となる確率が格段に低下するだろうと考えられます。

ところで、この人工透析には一人あたりの年間医療費が500万円ほどかかります。

目下30万人の人がこの施療を受けておられます。

そこでですが、30万人×500万円 = 1兆5000億円という計算が出てくるのです。

つまり人工透析に要する医療費と米軍駐留費用の総額は同じくらいだということです。

このことから何を思うか、それは人によってちがうと思います。

駐留費用を全額米国に負担してもらえれば、45万人の人が透析医療を受けられるともいえます。

透析医療にそれだけ使っているのだから、あと7500億円くらい何とか日本ががんばって負担し、きれいさっぱり米国への気後れをなくしてはどうか?という考え方もあるでしょう。

私は、まず透析施療が必要となる人の数を半分に減らして7500億円くらいにできないものかと思っています。

そこから余剰となる7500億円を米軍の駐留費用にまわす、のがよいのかどうかはわかりませんが、少なくとも健康な人が増えることによって使えるお金の額が非常に増えるということはいえるでしょう。

深刻な状況の下で透析施療を現在すでに受けておられる方については、これは当然引き続き十全なケアが与えられるべきだと思います。

けれども多くの場合、メタボの段階から養生を行って健康体に復帰するということはやる気さえあれば可能だということを考えるとき、私は日本国民の栄養バランスや量、そして適度な運動が合理的にアレンジされることの意味の大きさに改めて驚いてしまうのです。

そして何より、最も大きなメリットを享受できるのは透析施療を事前に回避することのできた方々本人であるに違いありません。


次回の更新は12/1(木)です。
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2016/11/03 (10:40 am)
もし健康診断の結果糖尿病もしくはその予備軍に該当すると言われた場合、通常行われるのはまず運動療法と食事療法です。

私は週に何度かジムで汗を流していますが、そこでやっていることは糖尿病の運動療法と基本的には同じです。

今のところ私はその関係の数値に異常はありませんので、ジム通いはいわば予防になっています。

このように疾病には予防と治療の方法が同じものがたくさんあります。

食事についてもしかりで、糖尿病で糖質をひかえること、腎臓疾患の人が塩分摂取をひかえること、肝疾患の人が飲酒量を減らすことなどは、ある程度の年齢になればだれもが心がけた方がよい習慣です。

というわけで健康な時にこそ日常生活の中で行われている治療法について少し学び、今日からでもとり入れるというのは賢明な選択だと思います。

最近特に問題視されている新しい健康禍のひとつに「スマホ老眼」というものがあります。

これは早くも小学校以降の子どもにも見られるスマホ画面の見すぎによるピント調整能力の減退という症状です。

特に「歩きながらスマホ」「電車スマホ」「寝転がってスマホ」はスマホの3大悪習慣なのだそうです(これを聴くと眼ではなく耳が痛い私ですが!)。

もし目に異常を感じてそれを「治療」するとなればそういう習慣をなくすことやスマホを見ている時間そのものの制限が治療の一歩になるはずです。

ここでも「初期治療の先取り」を行うとすれば、スマホ画面をながめる時間をうんと削る、という実に簡単な対策をとりいれることになります。

まして私の場合など本物の老眼があるわけですので、このブログを書き終わったらさっそくそうしようと思います。

同時に、さほど興味がないニュースばかり見ながら電車やバスを待つ悪習慣もありますから、こちらの方も削減できれば「判断力低下の認知症予防」にもなるかもしれません。


次回の更新は11/10(木)です。

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