執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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2016/12/15 (9:00 am)
東京駅の地下にラーメンストリート、という一角があります。

ここは以前「ラーメン激戦区」なんていうものものしい名前がついていたと記憶しています。

ともかくこのコーナー、自我ほとばしるラーメン店が文字どおり軒を連ねていますが、興味深いのは行列ができているお店とそうではないところが比較的はっきりしていることです。

SNSでの口コミの結果なのかタウン誌での取り上げ方のちがいなのか、そのあたりはよくわかりませんが、通りがかりの旅人や中国ツーリストの人も多そうですからもしかしたら「行列ができているかどうか」が最も大きな目あてになっているのかもしれません。

こうやって毎週健康ブログなどお読みいただいていますが、かんがえてみればこの私、実のところ元来根っからのラーメン党です。

学生時代の下宿の近くに夜明けまでつつましく開いているいいラーメン屋さんがありまして、試験前の追い込みに疲れた深夜などひとりぼっちで、あるいは散々街中で呑んで騒いで帰ったあとに友人と連れ立って、途方もなく遅くなってから掻きこむフィニッシュの一杯が天の恵みさながらに格別だった、そんなこともなつかしく思い出します。

カップ麺やお湯をかけるだけのいわゆる昭和の即席ラーメンだって何日続いてもOK、もちろん有名店のオーソドックスな醤油ラーメンや由緒正しい中華そば、それから札幌ラーメンもいいですね、コテコテの絶品豚骨ならなお最高です。

いま住んでいる町の最寄りの駅前には「家系ラーメン」のお店があります。

いじましい話で恐縮ですが、私はそこでは決まってトンコツを注文し、ゆで卵のトッピングにすりおろしニンニクをたっぷり入れて食べます。

そうしないと食べた気がしないのです。

ついでに半ライスを一緒に掻きこみ、最後はスープを飲みほして・・・、と、こんなふうに書いているだけでお腹が鳴ってきそうなのです、が、これは本当の話です。

ラーメンストリートについては並み居るメニューの「片っ端制覇計画!」なんかが実行できたらさぞかし痛快だろうな、とも思います。

とはいえ私はくだんのストリートの暖簾をくぐったことはただの一度もありません。

先ほどの家系ラーメンでの品格なきドカ食い、これも二年か三年に一度あるかないか、の話です。

己の食い意地の張るがままに食べたいものを食べていたのは40代の前半ころまででした。

要するにL-カルニチンと出会って「クスリに頼らない健康」をテーマとしてとっぷりつかるようになって以来、たとえばラーメンにとっぷりつかるような無意識な選択がいかにキケンなことかを改めて理解するようになり、自然と「撃ち方やめ」に至ったわけです。

ドクターストップではなく、セルフストップです。

そんなわけで現在の私は駅地下の「大いなる行列」を東京の一風景とみなし、ただただ足早に横目で通り過ぎる存在にすぎません。

ああうらやましい、と思いながら、ではありますが。

でもドクターストップではない、そこがミソです。

何かめでたいことでもあった折、二年に一度、三年に一度、一期一会とばかり昔のような「濃い注文」をしてみるのも悪くないかな?

たかがラーメン一杯に命がけかね?

そんな大袈裟な思いに苦笑しながらも「いざとなったら何でも食べられる」ということのしあわせをふと思う今日この頃です。

ラーメンストリートならぬラーメンストイックもまた愉し、です。


次回の更新は12/22(木)です。
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2016/12/01 (9:00 am)
とうとう今年も師走に入りました。

この前ある本を読んでいたら月日の経過が早く感じる理由について興味深いことが書いてありました。

子どもの頃にそんなに早く感じない理由は見るもの聴くもの、世界がまだ経験したことのないものに満ちているからだという仮説があるそうです。

まだ通ったことのない道を歩く場合、初めて見る長編映画を観る場合、この先どれだけ何が続くのかわからない状況にある時には人間その時間を長く感じるものです。

逆に行きなれた道、見たことのある映画を観るときには「あとこれだけ経ったらここに出る。こんなシーンになってこう展開する」ということがわかっていますから、残る体力や気力の調節がより容易になるということは十分考えられるでしょう。

ということは逆に、未経験のことをするように心がければ月日は長く感じられるということになります。

読んだことのない本を読む、聴いたことのない大曲を聴く、はじめてのところを旅行する、などなど、改めて考えればそういう経験をする機会はたしかにどんどん減ってきているように思います。

一方私たちは昔より格段に頻繁にウェブを使って新しい情報やニュースを浴びるようになっていますが、こちらの方は新しい刺激ではあってもブツブツに途切れた断片情報が降ってくる中を通過しているわけですので長編小説や旅行のような一貫性がありません。

ニュース画面やメール、SNSを通じた情報は個々には新しくてもトータルにみれば同じような行為の繰り返しに過ぎません。

そんなことに気付きながら来年から、と言わず、今月から是非「新しいまとまった経験」に触れるようにしてみようと思います。

とはいえ、そんなに簡単に日常が許してくれますか、どうか・・・・!


次回の更新は12/8(木)です。
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2016/11/24 (9:00 am)
トランプ氏が大統領になってから世界は大わらわです。

今年の10大ニュースにはまだ少し早いですが、東京都知事選? リオ五輪? 築地市場問題? こんなところが上位かと思っていたら・・・ イギリスのEU離脱が国民投票で可決されて大騒ぎ、ほどなくボブ・ディランのノーベル賞受賞が最大のビッグサプライズ!かと思っているうちに今度はトランプショックがやってきました。

トランプ氏は数々の過激な発言の中で、わが国の米軍駐留コストにも言及しており、日本がもっと負担すべきだ、と言い出しました。

その額はいくらか、というと7500億円、これで駐留費用のちょうど半分なんだそうです。

ということは、駐留費の総額は1兆5000億円、これがどのくらいの額なのか?

私は1兆5000億円という数字にはピンとくるものがあります。

人工透析という、腎臓機能が停止してしまった人に行われる医療があります。

尿ができないために血中の有毒物質が排泄できない、そのために人工的な膜でろ過して対応するという方法です。

1回あたり数時間、一週間に3回ほども通院しながら生涯を過ごすことになりますが、これはかなり大変なライフスタイルです。

この人工透析の前段階に慢性の腎不全という疾病があり、さらに前段階となる多くのケースは糖尿病です。

そして糖尿病のさらに前の段階にいわゆるメタボリックシンドロームという状態があります。

つまりメタボの段階で健康体に引き返すことができれば結果的に人工透析となる確率が格段に低下するだろうと考えられます。

ところで、この人工透析には一人あたりの年間医療費が500万円ほどかかります。

目下30万人の人がこの施療を受けておられます。

そこでですが、30万人×500万円 = 1兆5000億円という計算が出てくるのです。

つまり人工透析に要する医療費と米軍駐留費用の総額は同じくらいだということです。

このことから何を思うか、それは人によってちがうと思います。

駐留費用を全額米国に負担してもらえれば、45万人の人が透析医療を受けられるともいえます。

透析医療にそれだけ使っているのだから、あと7500億円くらい何とか日本ががんばって負担し、きれいさっぱり米国への気後れをなくしてはどうか?という考え方もあるでしょう。

私は、まず透析施療が必要となる人の数を半分に減らして7500億円くらいにできないものかと思っています。

そこから余剰となる7500億円を米軍の駐留費用にまわす、のがよいのかどうかはわかりませんが、少なくとも健康な人が増えることによって使えるお金の額が非常に増えるということはいえるでしょう。

深刻な状況の下で透析施療を現在すでに受けておられる方については、これは当然引き続き十全なケアが与えられるべきだと思います。

けれども多くの場合、メタボの段階から養生を行って健康体に復帰するということはやる気さえあれば可能だということを考えるとき、私は日本国民の栄養バランスや量、そして適度な運動が合理的にアレンジされることの意味の大きさに改めて驚いてしまうのです。

そして何より、最も大きなメリットを享受できるのは透析施療を事前に回避することのできた方々本人であるに違いありません。


次回の更新は12/1(木)です。
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2016/11/03 (10:40 am)
もし健康診断の結果糖尿病もしくはその予備軍に該当すると言われた場合、通常行われるのはまず運動療法と食事療法です。

私は週に何度かジムで汗を流していますが、そこでやっていることは糖尿病の運動療法と基本的には同じです。

今のところ私はその関係の数値に異常はありませんので、ジム通いはいわば予防になっています。

このように疾病には予防と治療の方法が同じものがたくさんあります。

食事についてもしかりで、糖尿病で糖質をひかえること、腎臓疾患の人が塩分摂取をひかえること、肝疾患の人が飲酒量を減らすことなどは、ある程度の年齢になればだれもが心がけた方がよい習慣です。

というわけで健康な時にこそ日常生活の中で行われている治療法について少し学び、今日からでもとり入れるというのは賢明な選択だと思います。

最近特に問題視されている新しい健康禍のひとつに「スマホ老眼」というものがあります。

これは早くも小学校以降の子どもにも見られるスマホ画面の見すぎによるピント調整能力の減退という症状です。

特に「歩きながらスマホ」「電車スマホ」「寝転がってスマホ」はスマホの3大悪習慣なのだそうです(これを聴くと眼ではなく耳が痛い私ですが!)。

もし目に異常を感じてそれを「治療」するとなればそういう習慣をなくすことやスマホを見ている時間そのものの制限が治療の一歩になるはずです。

ここでも「初期治療の先取り」を行うとすれば、スマホ画面をながめる時間をうんと削る、という実に簡単な対策をとりいれることになります。

まして私の場合など本物の老眼があるわけですので、このブログを書き終わったらさっそくそうしようと思います。

同時に、さほど興味がないニュースばかり見ながら電車やバスを待つ悪習慣もありますから、こちらの方も削減できれば「判断力低下の認知症予防」にもなるかもしれません。


次回の更新は11/10(木)です。
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2016/10/27 (9:00 am)
先週はあまりおいしくないチョコレートが実は健康によいというお話をしました。

似たようなことは他にもあります。

たとえば日本人の主食であるお米ですが、もみ殻を取ったいわゆる玄米の状態では炊き上がりにくく、色も褐色で見栄えがよくありません。

また口あたりもしかりで、イマイチという感じがするものです。

逆に完全にふすま(米ぬか)の部分を取り去った通常の白米になるとおいしさがぐっとあがります。

そこに梅干しだとか佃煮、お漬物のようなものがあればいくらでもご飯が進みますが、こういう食欲の快感を思う時、ああ日本人でよかった!と思います。

ところが米という穀物にはそうやって取り去って使われない部分に非常にさまざまな栄養素が含まれています。

ビタミンB1をはじめ、タンパク質や食物繊維、不飽和脂肪酸もありますし、フェルラ酸のようなユニークな栄養素もそろっています。

すべて挙げてゆけばまるでサプリメントの宝庫ではないかと思うほどです。

けれども古代から食べつけてきた米という作物を最も美味しい食品形態に工夫してゆくと、皮肉なことに「サプリメント部分」がほとんど捨てられてしまうことになるわけです。

前回のチョコレートもそうで、おいしい味に仕上げる為にカカオを減らしミルクや砂糖を増やして行くに従って栄養素が抜けて行きます。

寿命が60年そこそこだった頃(そんなに昔のことでもないのですが)には食品はだいたいそういう「たべやすさ」「おいしさ」を追及して行っても全く矛盾がなかったと思います。

国民のほぼ全員が栄養失調だった戦争直後にはどんどん栄養を摂取して健康な身体になろう、ということが国家的目標でもありました。

白米を食べ過ぎて太ってもメタボ(どころか生活習慣病や成人病)という概念がそもそもありませんでした。

一方口あたりのよくない玄米であれば食べ過ぎることもありません(苦すぎるチョコレートのように)。

このように考えてみると、これまで「ひたすらおいしくするための工夫」をこらされた食品のあり方を再検討してみることで日常食の新しい側面がいろいろ見えてくるのではないでしょうか。

一見とっつきにくい風味や食感の中に「おとなの味」を見出すことができればコーヒー通やワイン通のような「わかる人にはわかる境地」に至れる可能性もあることと思います。


次回の更新は11/3(木)です。
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2016/10/20 (9:00 am)
ポリフェノールがたくさん含まれていて健康に良いという話を聞きましたので先日「カカオポリフェノール高含量のチョコレート」を探しにスーパーに行きました。

最高含量の商品は95%、その次が86%とあります。

このふたつをためしに買ってみました。

最初に95%の方を食べてみたところ・・・・!

ウン? なんだこれは、という感じでした。

改めて箱をみてみると、「非常に苦いチョコレートです」「1枚でポリフェノール142 mg」などと書いてありました。

ちゃんと断り書きがしてあるだけのことはあるなあ、と妙な納得をしながら何とかかんとか食べたのですが、もし何も知らない人がこれを食べたらチョコレートの形をした別のものだと思うんじゃないかと思えるような、そんな風味でした。

86%の方はそれに比べればまだしも普通のチョコレートに近いように感じられましたが、それでもこれをいきなり食べたら滅茶苦茶苦いチョコレートだと思うはずです。

わずか9%のちがいでこれほどまでに大きな差があるとはちょっと意外でした。

ただ、どちらの製品についても何といいますか一種の「効く効く感」のようなものが感じられたのは事実で、これは健康に良いんだということが理解されていたらまた買ってみようかなと思わないではありません。

それに、こういう味と風味のチョコは「食べた感」が強い反面、ついパクパクと食べ過ぎになる心配がありません。

考えてみれば、コーヒーにしても何十品種かがありますが、ブラックで飲んでその違いを楽しめるのは相当なコーヒー通です。

実際子どもたちが好きな口あたりのよい飲み物は「淹れたてのブルーマウンテン」ではなく、昔ながらのコーヒー牛乳の方にちがいありません。

このように考えてくるとカカオ95%のチョコレートにしてももっと食べこなしてくれば味わいが理解できてくる可能性があると思います。

平均寿命が90歳に近づこうかという世の中にあっては、どうも「おいしいもの」というのは健康機能とは逆の関係にあるのかもしれません。

つまり、一見「おいしくないもの」の中に価値を発見して行く時代になってきているのかもしれないということです。

そういえば、だいたい「食通」の好むたべものにとっつきやすいものはまずないようです。


次回の更新は10/27(木)です。
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2016/10/06 (9:00 am)
昨日見たNHKの番組で紹介されていたのですが、加齢が進んでくると色調を感知する網膜上の錐体細胞がだんだん鈍くなり、微妙な色の区別、特に青い色が見えなくなってくるのだそうです。

私もご多分にもれず老眼が進んで来ていますが、それだけでなく薄暗いところでものを見るのが難しくなっており、煌々と明かりをともさなければ本も読めないようになっています。

色彩については自覚しておりませんが、おそらくそれもあやしいものなのでしょう。

この前の休日、とあるワイナリーに見学に行ってきました。

風光明媚で水はけの良さそうな斜面にはさまざまな種類の葡萄が作付られていました。

その年その年の天候を考慮して収穫時期を機敏に判断しながら発酵工程に進め、手間暇かけて微妙な味わいが生みだされて行きます。

ワインは味覚、嗅覚、視覚をフルに働かせて生みだされる食の芸術品ともいうべき存在ですが、その一方でこれを味わう方も同じく感覚を鋭敏に研ぎ澄ませて受け取る必要があります。

達人ソムリエはテイスティングで葡萄の種類から生産国・地域さらに収穫の年代までを当ててしまう信じられない感覚の持ち主です。

また複数の微妙な味わいをイチゴ、麦わら、クロスグリ、サクランボ、ハチミツ・・・等々アナロジカルな名詞の組み合わせで表現して行きますが、この表現は好き勝手な想像でしゃべっているのではなく、ちゃんと「ある特定の化学成分」と対応しているのだそうです。

ですからひとりの達人ソムリエが列挙した味わいや風味の描写を別の達人ソムリエが聴けば、もはやそれを口にせずともどんなワインかがわかるというわけです。

ところで眼の細胞が衰えてくるように味覚の細胞も劣化してくるとすればだんだんおいしいものもわからなくなってくることになります。

これは何ともさびしい話です。

もっとも、センサーとなる細胞が表面に出ていたとしても最終的にはそれはすべて脳に到達され処理されるのですから、結局これは脳の問題でもあります。

こういうさびしい老化のイメージにさいなまれるのもいかがなものかと思いますので、ここは逆に加齢とともに味わいが理解できるようになる「年輪の技」を信用したいものです。

加齢とともに衰えてゆくものと逆に熟練発達して行くもの、ものごとには常にこの両面があります。

ワインにもできたてのところから樽の中、ボトルの中で熟成して整ってくる味わいがあるように、人間の方にも同じような熟達があってしかるべきだと思います。

熟達はしかしそれなりの修練あってのことでしょうから、結局は美味しいワインでも滋味に溢れた名画でもこれらを鑑賞することにかけてはますます積極的でいたいものだ、そんなことも考えた一日でした。


次回の更新は10/13(木)です。
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2016/09/22 (9:00 am)
パラリンピックについて改めて気付いたことについて書きとめておきたいと思います。

とはいえ、私の知識や認識は相当遅れていると思いますので、誤解や稚拙な点が含まれるかもしれないことは予めご容赦頂きたい次第です。

パラリンピックが通常のオリンピックと同じ年、同じ開催地で行われるようになったのは2004年だそうですから、そういう意味ではまだ歴史は浅いといえます。

肢体の不自由な人が参加するのだから多くの競技で義足や車いすなどの補助器具が使われ、それによって不自由な機能が補われるのだ、私は単純にそう思っていました。

ですが、昨今では補助器具が進化して「補助」という役割を超えてもっと積極的な道具として機能している面もあるようです。

例えば通常の棒高跳びで用いる棒がありますがそれによって数メートルという高さを飛び超えられるわけですから、あれなどは一種の補助器具です。

パラリンピックでの、例えば走り幅跳びで用いられる義足などを観ていると、その義足は高跳びの棒と同じ類の器具ではないか、そういう印象を持ちました。

また車椅子バスケットボールにおける車椅子は単に移動する手段ではなく、もっと攻撃的な意味を持っているようにみえます。

つまり通常のバスケットボールとは全く違うスキルが磨かれ、それが競い合っているということです。

車椅子のホイールを扱うのは上半身の腕ですが、選手の腕は非常に発達した筋肉を蓄えているのみならず、自在に車を扱う高度な技術が備わっていますのでこれはもうバスケットボールとは別のスポーツとみなしてもよいように思います。

もはや椅子が単純な足の代わりでないならば、逆に健常者が車椅子というツールを使って同じような競技をするということがあっても不思議ではないと思います。

サッカーにも驚きました。

ボールには音のする鈴のようなものが入っているそうですが、実験的にプロのサッカー選手が目隠しをしてプレーしようとしても全くうまく行きませんでした。

音と気配だけをたよりに人間の動きやボールの動きを察知してプレーするという驚くべき能力が発揮されているのです。

最近の研究では脳の働く部分が独特に発達してそういうことが可能になっているということがわかってきているそうです。

こうなってくると、人間の能力のもつ新しい可能性が見えてきます。

今や世界的ピアニストである辻井伸行という人がいますが、彼の演奏を観ていると「視力が使えない」ということが逆にピアノを弾く上で有利に働いているのではないかとさえ思えるようなところがあります。

視力に頼らず初めから指や腕の幅(および脳)で正確無比にあらゆる鍵盤の位置関係を把握している、だからこそミスタッチが少なかったりする、といったことです。

パラリンピックにはまださまざまな見どころやポイントがあるのだと思いますが、何はともあれ深い感慨と切り離せないこと、それはここに出場する人のすべてが例外なく一度は絶望のどん底に落ちるほどの厳しい思いをし、そこから希望を捨てずに見事な方向転換と上昇志向で努力を積んできたというところでしょう。

どんなふうに補助器具が進化し、記録が更新されてもこのネバーギブアップの精神がパラリンピックの神髄、感動の源泉だということはこれからも決して変わることはない点だと思います。


次回の更新は9/30(木)です。
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2016/08/25 (9:00 am)
オリンピックが無事終了しました。

日本選手団も帰国し、これからいよいよ東京大会に向けてのカウントダウンがはじまったわけです。

今回は前代未聞のアスリートドラマが実にたくさん見られたわけですが、私はやはり男子400メートルリレーの銀メダルが最も強い印象を残してくれたように思います。

この競技はわずか40秒足らずの間に抜きつ抜かれつのスリルが満載されており、大会ふりかえりのニュース番組でも「フルバージョン」で繰り返し報道されます。

そしてゴール前ではウサイン・ボルトの有終の美を飾るにふさわしい「からだ一つ分のリード」でのフィニッシュがあり、これに何と日本のケンブリッジ飛鳥選手が引けをとらず健闘している姿が毎回映し出されます。

残念ながら米国は失格となりましたが日本の銀はその影響も受けず完璧なメダルとして堂々と花を添えました。

けれどもかりそめにもあの米国チームに先んじてゴールしたのですから、これはもう衝撃以外の何ものでもありませんでした。

また4人それぞれが全力を出し切って抜群のチーム力を結集できたところもすばらしかった。

挙げて行けばまだまだ見どころは尽きない40秒ドラマですが、もうひとつ印象的だったことがあります。

それはボルト選手が今回の大会中に「誰かに追いかけられて抜かれそうになる悪夢に何度もさいなまれた」と告白していたことです。

人類最速の男でもこんな不安とプレッシャーの中にいることを改めて知り、私は大いに感激しました。

そして最終的にはそれをはねのけて、あるいはそれをバネにするかのようにみごと最高の結果に結び付ける。

この事実にとても大きな勇気を与えられました。

映し出されていないだけで、すべての競技のすべての選手それぞれにきっと未曾有のプレッシャーがあったに違いありません。

選手のみなさんには本当にご苦労さまの言葉を贈りたいと思います。

そして「次」に向けて最高のロケットスタートを授けてくれたすべての努力と幸運から、さらに元気をもらい続けたいものだと思います。


次回の更新は9/1(木)です。
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2016/08/18 (9:00 am)
オリンピックもいよいよ終盤に近づいてきました。

私自身は正直なところ今回の大会では日本人選手のメダル獲得についてそれほどの意識をしていませんでした。

ところが始まってみると体操、柔道、テニス、レスリング、水泳、卓球、シンクロナイズドスイミングなどなどあれよあれよという間にどんどんメダルが集まってきています。

これも個人的な印象ですが、今回はとくに接戦、激闘、死闘としか言いようのないドラマチックな競技シーンが非常に多いような気がします。

惜しくもメダルを逃したという場合でも思わず涙がこみ上げそうになってくることも少なくありませんでした。

ただ、改めて興味深いと思ったのは表彰台に上る時の表情のちがいです。

さすがに金メダルは究極の栄誉ですから、これはみな完璧に晴々した面持ちになっています。

銅メダルであっても「メダルなし」との違いは大きいわけで、破顔一笑、感涙に満ちていることは少なくありません。

対して、案外微妙なのが銀メダルです。

金を逸した!という思いが強い人は少なくないようで、とても厳しい表情がしばしば目につきます。

人生最後のオリンピックでついに金が取れなかったという無念さが表に出る場合もあるでしょう、今度こそ絶対金を獲ってやるぞ!と、悔しさが怒りに近いところまでのぼりつめることだってあるのだと思います。

つまり金は特別としてもその次に銀、さらに銅と、その序列の順に「ハッピーさ」が並んでいるわけではないということです。

ここにドラマの妙味があると思います。

それにしてもオリンピックとは何という人間臭いイベントなのでしょう。

さて残りはあと少しですが、テレビの画面越し、地球の裏側からオーラや元気をたくさん頂こうではありませんか。


次回の更新は8/25(木)です。

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