執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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2016/10/27 (9:00 am)
先週はあまりおいしくないチョコレートが実は健康によいというお話をしました。

似たようなことは他にもあります。

たとえば日本人の主食であるお米ですが、もみ殻を取ったいわゆる玄米の状態では炊き上がりにくく、色も褐色で見栄えがよくありません。

また口あたりもしかりで、イマイチという感じがするものです。

逆に完全にふすま(米ぬか)の部分を取り去った通常の白米になるとおいしさがぐっとあがります。

そこに梅干しだとか佃煮、お漬物のようなものがあればいくらでもご飯が進みますが、こういう食欲の快感を思う時、ああ日本人でよかった!と思います。

ところが米という穀物にはそうやって取り去って使われない部分に非常にさまざまな栄養素が含まれています。

ビタミンB1をはじめ、タンパク質や食物繊維、不飽和脂肪酸もありますし、フェルラ酸のようなユニークな栄養素もそろっています。

すべて挙げてゆけばまるでサプリメントの宝庫ではないかと思うほどです。

けれども古代から食べつけてきた米という作物を最も美味しい食品形態に工夫してゆくと、皮肉なことに「サプリメント部分」がほとんど捨てられてしまうことになるわけです。

前回のチョコレートもそうで、おいしい味に仕上げる為にカカオを減らしミルクや砂糖を増やして行くに従って栄養素が抜けて行きます。

寿命が60年そこそこだった頃(そんなに昔のことでもないのですが)には食品はだいたいそういう「たべやすさ」「おいしさ」を追及して行っても全く矛盾がなかったと思います。

国民のほぼ全員が栄養失調だった戦争直後にはどんどん栄養を摂取して健康な身体になろう、ということが国家的目標でもありました。

白米を食べ過ぎて太ってもメタボ(どころか生活習慣病や成人病)という概念がそもそもありませんでした。

一方口あたりのよくない玄米であれば食べ過ぎることもありません(苦すぎるチョコレートのように)。

このように考えてみると、これまで「ひたすらおいしくするための工夫」をこらされた食品のあり方を再検討してみることで日常食の新しい側面がいろいろ見えてくるのではないでしょうか。

一見とっつきにくい風味や食感の中に「おとなの味」を見出すことができればコーヒー通やワイン通のような「わかる人にはわかる境地」に至れる可能性もあることと思います。


次回の更新は11/3(木)です。
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2016/10/20 (9:00 am)
ポリフェノールがたくさん含まれていて健康に良いという話を聞きましたので先日「カカオポリフェノール高含量のチョコレート」を探しにスーパーに行きました。

最高含量の商品は95%、その次が86%とあります。

このふたつをためしに買ってみました。

最初に95%の方を食べてみたところ・・・・!

ウン? なんだこれは、という感じでした。

改めて箱をみてみると、「非常に苦いチョコレートです」「1枚でポリフェノール142 mg」などと書いてありました。

ちゃんと断り書きがしてあるだけのことはあるなあ、と妙な納得をしながら何とかかんとか食べたのですが、もし何も知らない人がこれを食べたらチョコレートの形をした別のものだと思うんじゃないかと思えるような、そんな風味でした。

86%の方はそれに比べればまだしも普通のチョコレートに近いように感じられましたが、それでもこれをいきなり食べたら滅茶苦茶苦いチョコレートだと思うはずです。

わずか9%のちがいでこれほどまでに大きな差があるとはちょっと意外でした。

ただ、どちらの製品についても何といいますか一種の「効く効く感」のようなものが感じられたのは事実で、これは健康に良いんだということが理解されていたらまた買ってみようかなと思わないではありません。

それに、こういう味と風味のチョコは「食べた感」が強い反面、ついパクパクと食べ過ぎになる心配がありません。

考えてみれば、コーヒーにしても何十品種かがありますが、ブラックで飲んでその違いを楽しめるのは相当なコーヒー通です。

実際子どもたちが好きな口あたりのよい飲み物は「淹れたてのブルーマウンテン」ではなく、昔ながらのコーヒー牛乳の方にちがいありません。

このように考えてくるとカカオ95%のチョコレートにしてももっと食べこなしてくれば味わいが理解できてくる可能性があると思います。

平均寿命が90歳に近づこうかという世の中にあっては、どうも「おいしいもの」というのは健康機能とは逆の関係にあるのかもしれません。

つまり、一見「おいしくないもの」の中に価値を発見して行く時代になってきているのかもしれないということです。

そういえば、だいたい「食通」の好むたべものにとっつきやすいものはまずないようです。


次回の更新は10/27(木)です。
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2016/10/06 (9:00 am)
昨日見たNHKの番組で紹介されていたのですが、加齢が進んでくると色調を感知する網膜上の錐体細胞がだんだん鈍くなり、微妙な色の区別、特に青い色が見えなくなってくるのだそうです。

私もご多分にもれず老眼が進んで来ていますが、それだけでなく薄暗いところでものを見るのが難しくなっており、煌々と明かりをともさなければ本も読めないようになっています。

色彩については自覚しておりませんが、おそらくそれもあやしいものなのでしょう。

この前の休日、とあるワイナリーに見学に行ってきました。

風光明媚で水はけの良さそうな斜面にはさまざまな種類の葡萄が作付られていました。

その年その年の天候を考慮して収穫時期を機敏に判断しながら発酵工程に進め、手間暇かけて微妙な味わいが生みだされて行きます。

ワインは味覚、嗅覚、視覚をフルに働かせて生みだされる食の芸術品ともいうべき存在ですが、その一方でこれを味わう方も同じく感覚を鋭敏に研ぎ澄ませて受け取る必要があります。

達人ソムリエはテイスティングで葡萄の種類から生産国・地域さらに収穫の年代までを当ててしまう信じられない感覚の持ち主です。

また複数の微妙な味わいをイチゴ、麦わら、クロスグリ、サクランボ、ハチミツ・・・等々アナロジカルな名詞の組み合わせで表現して行きますが、この表現は好き勝手な想像でしゃべっているのではなく、ちゃんと「ある特定の化学成分」と対応しているのだそうです。

ですからひとりの達人ソムリエが列挙した味わいや風味の描写を別の達人ソムリエが聴けば、もはやそれを口にせずともどんなワインかがわかるというわけです。

ところで眼の細胞が衰えてくるように味覚の細胞も劣化してくるとすればだんだんおいしいものもわからなくなってくることになります。

これは何ともさびしい話です。

もっとも、センサーとなる細胞が表面に出ていたとしても最終的にはそれはすべて脳に到達され処理されるのですから、結局これは脳の問題でもあります。

こういうさびしい老化のイメージにさいなまれるのもいかがなものかと思いますので、ここは逆に加齢とともに味わいが理解できるようになる「年輪の技」を信用したいものです。

加齢とともに衰えてゆくものと逆に熟練発達して行くもの、ものごとには常にこの両面があります。

ワインにもできたてのところから樽の中、ボトルの中で熟成して整ってくる味わいがあるように、人間の方にも同じような熟達があってしかるべきだと思います。

熟達はしかしそれなりの修練あってのことでしょうから、結局は美味しいワインでも滋味に溢れた名画でもこれらを鑑賞することにかけてはますます積極的でいたいものだ、そんなことも考えた一日でした。


次回の更新は10/13(木)です。
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2016/09/22 (9:00 am)
パラリンピックについて改めて気付いたことについて書きとめておきたいと思います。

とはいえ、私の知識や認識は相当遅れていると思いますので、誤解や稚拙な点が含まれるかもしれないことは予めご容赦頂きたい次第です。

パラリンピックが通常のオリンピックと同じ年、同じ開催地で行われるようになったのは2004年だそうですから、そういう意味ではまだ歴史は浅いといえます。

肢体の不自由な人が参加するのだから多くの競技で義足や車いすなどの補助器具が使われ、それによって不自由な機能が補われるのだ、私は単純にそう思っていました。

ですが、昨今では補助器具が進化して「補助」という役割を超えてもっと積極的な道具として機能している面もあるようです。

例えば通常の棒高跳びで用いる棒がありますがそれによって数メートルという高さを飛び超えられるわけですから、あれなどは一種の補助器具です。

パラリンピックでの、例えば走り幅跳びで用いられる義足などを観ていると、その義足は高跳びの棒と同じ類の器具ではないか、そういう印象を持ちました。

また車椅子バスケットボールにおける車椅子は単に移動する手段ではなく、もっと攻撃的な意味を持っているようにみえます。

つまり通常のバスケットボールとは全く違うスキルが磨かれ、それが競い合っているということです。

車椅子のホイールを扱うのは上半身の腕ですが、選手の腕は非常に発達した筋肉を蓄えているのみならず、自在に車を扱う高度な技術が備わっていますのでこれはもうバスケットボールとは別のスポーツとみなしてもよいように思います。

もはや椅子が単純な足の代わりでないならば、逆に健常者が車椅子というツールを使って同じような競技をするということがあっても不思議ではないと思います。

サッカーにも驚きました。

ボールには音のする鈴のようなものが入っているそうですが、実験的にプロのサッカー選手が目隠しをしてプレーしようとしても全くうまく行きませんでした。

音と気配だけをたよりに人間の動きやボールの動きを察知してプレーするという驚くべき能力が発揮されているのです。

最近の研究では脳の働く部分が独特に発達してそういうことが可能になっているということがわかってきているそうです。

こうなってくると、人間の能力のもつ新しい可能性が見えてきます。

今や世界的ピアニストである辻井伸行という人がいますが、彼の演奏を観ていると「視力が使えない」ということが逆にピアノを弾く上で有利に働いているのではないかとさえ思えるようなところがあります。

視力に頼らず初めから指や腕の幅(および脳)で正確無比にあらゆる鍵盤の位置関係を把握している、だからこそミスタッチが少なかったりする、といったことです。

パラリンピックにはまださまざまな見どころやポイントがあるのだと思いますが、何はともあれ深い感慨と切り離せないこと、それはここに出場する人のすべてが例外なく一度は絶望のどん底に落ちるほどの厳しい思いをし、そこから希望を捨てずに見事な方向転換と上昇志向で努力を積んできたというところでしょう。

どんなふうに補助器具が進化し、記録が更新されてもこのネバーギブアップの精神がパラリンピックの神髄、感動の源泉だということはこれからも決して変わることはない点だと思います。


次回の更新は9/30(木)です。
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2016/08/25 (9:00 am)
オリンピックが無事終了しました。

日本選手団も帰国し、これからいよいよ東京大会に向けてのカウントダウンがはじまったわけです。

今回は前代未聞のアスリートドラマが実にたくさん見られたわけですが、私はやはり男子400メートルリレーの銀メダルが最も強い印象を残してくれたように思います。

この競技はわずか40秒足らずの間に抜きつ抜かれつのスリルが満載されており、大会ふりかえりのニュース番組でも「フルバージョン」で繰り返し報道されます。

そしてゴール前ではウサイン・ボルトの有終の美を飾るにふさわしい「からだ一つ分のリード」でのフィニッシュがあり、これに何と日本のケンブリッジ飛鳥選手が引けをとらず健闘している姿が毎回映し出されます。

残念ながら米国は失格となりましたが日本の銀はその影響も受けず完璧なメダルとして堂々と花を添えました。

けれどもかりそめにもあの米国チームに先んじてゴールしたのですから、これはもう衝撃以外の何ものでもありませんでした。

また4人それぞれが全力を出し切って抜群のチーム力を結集できたところもすばらしかった。

挙げて行けばまだまだ見どころは尽きない40秒ドラマですが、もうひとつ印象的だったことがあります。

それはボルト選手が今回の大会中に「誰かに追いかけられて抜かれそうになる悪夢に何度もさいなまれた」と告白していたことです。

人類最速の男でもこんな不安とプレッシャーの中にいることを改めて知り、私は大いに感激しました。

そして最終的にはそれをはねのけて、あるいはそれをバネにするかのようにみごと最高の結果に結び付ける。

この事実にとても大きな勇気を与えられました。

映し出されていないだけで、すべての競技のすべての選手それぞれにきっと未曾有のプレッシャーがあったに違いありません。

選手のみなさんには本当にご苦労さまの言葉を贈りたいと思います。

そして「次」に向けて最高のロケットスタートを授けてくれたすべての努力と幸運から、さらに元気をもらい続けたいものだと思います。


次回の更新は9/1(木)です。
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2016/08/18 (9:00 am)
オリンピックもいよいよ終盤に近づいてきました。

私自身は正直なところ今回の大会では日本人選手のメダル獲得についてそれほどの意識をしていませんでした。

ところが始まってみると体操、柔道、テニス、レスリング、水泳、卓球、シンクロナイズドスイミングなどなどあれよあれよという間にどんどんメダルが集まってきています。

これも個人的な印象ですが、今回はとくに接戦、激闘、死闘としか言いようのないドラマチックな競技シーンが非常に多いような気がします。

惜しくもメダルを逃したという場合でも思わず涙がこみ上げそうになってくることも少なくありませんでした。

ただ、改めて興味深いと思ったのは表彰台に上る時の表情のちがいです。

さすがに金メダルは究極の栄誉ですから、これはみな完璧に晴々した面持ちになっています。

銅メダルであっても「メダルなし」との違いは大きいわけで、破顔一笑、感涙に満ちていることは少なくありません。

対して、案外微妙なのが銀メダルです。

金を逸した!という思いが強い人は少なくないようで、とても厳しい表情がしばしば目につきます。

人生最後のオリンピックでついに金が取れなかったという無念さが表に出る場合もあるでしょう、今度こそ絶対金を獲ってやるぞ!と、悔しさが怒りに近いところまでのぼりつめることだってあるのだと思います。

つまり金は特別としてもその次に銀、さらに銅と、その序列の順に「ハッピーさ」が並んでいるわけではないということです。

ここにドラマの妙味があると思います。

それにしてもオリンピックとは何という人間臭いイベントなのでしょう。

さて残りはあと少しですが、テレビの画面越し、地球の裏側からオーラや元気をたくさん頂こうではありませんか。


次回の更新は8/25(木)です。
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2016/08/04 (9:00 am)
最近ある雑誌の依頼でL-カルニチンとダイエットについて小論を書く機会がありました。

L-カルニチンは脂肪燃焼に必須の成分だということで、これを摂取すればどんどんスリムになれるのではないかという考えは一見わかりやすいものです。

実際、たくさんの論文を集めて評価したレビュー論文も最近海外で発表されていてその結果も減量効果あり、ということになっていました。

けれどもそれらの論文をよく読んでみると、被験者は糖尿病患者であったり、肥満高齢者だったりというものが多いことがわかりました。

逆に進行性のすい臓がんの人などでは化学療法が行われますので食欲も減退し体重はどんどん減って行くのですが、L-カルニチンを摂取した場合には増加する、そういうことを報告した論文もあります。

ところでひところはダイエットというと無条件で歓迎され、食事もサラダしか食べない女性だとかトマトやバナナだけで何食かやり過ごすことなどが流行したこともありました。

海外のファッションイベントでも動くハンガーなどと呼ばれるほど激やせした女性がたくさん出現し、欧州のある国では「やせの基準」を設けてそれを下回った人は出演禁止にするなどしていました。

もちろん健康を考えてのことです。

けれども現在は、少し傾向が変わってきています。

たとえばローラ、紗栄子、中村アンといった有名モデルや女優さんなどは「腹筋女子」と呼ばれていてきれいに割れたおなかをSNSで公開したりしています。

筋肉をほどよく蓄えた肢体が目標になってきているということです。

これはとてもよいことだと思います。

また体重などはSNSで公開できませんが、腹筋であればそれができますので、注目を集めながら本人の励みにもなってトレーニングや食養生が進むともいいます。

こういうことが何十年か先の「老後」の健康にもつながると思われます。

体重減だけを目標にするのではなく、まさに健康美です。


次回の更新は8/11(木)です。
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2016/07/28 (9:00 am)
この一週間で印象に残った「生物現象」としてポケモンGOを挙げないわけにいきません。

生物現象というのはポケモンたちが生物かどうかということとは違います。

スマホを片手に公園やハンバーガーショップに「誘引されていったヒト」に対する興味です。

それから、この社会現象に対してそれを「支持する」と表明したヒトと「侮蔑する」とコメントしたヒトの対立があったということについても別の意味で興味深かったのです。

私自身はそれをしていませんが、今週出張に出かけた際に少なくとも数人の成人のヒトが地下街や電車の中で一心不乱にスマホを操作しながら歩いているのに出会いました。

海外では崖に落ちたとかうっかり国境を越えてつかまったという事件もあったそうです。

これはよほどヒトの本能を刺激する面白さに満ちているに違いない、これは確かなことだと思います。

老若男女がこれにハマるということがそれを証しています。

何か月か、せめて何週間かかけて徐々に盛り上がるということはこれまでにも(古くはインベーダーゲームだとか、たまごっちだとか色々)ありましたが、これだけ急速に熱中が伝搬するということは驚くべきことではないでしょうか。

私は支持も反対もしませんが、こういう状態がもっと加速するのか維持されるのかそれともあっというまに衰退してしまうのか、ここのところにかなり興味があります(一種の進化のゆくえがどうなるのか、ということですね)。

考えてみれば昆虫採集や釣りにしても、それに興味のある人にとっては無類の楽しみであるわけで、興味を持たない人が信じられないという気持ちでしょう。

それでもここまで性別や年齢、国籍人種を超えてあっという間に人々を熱中させられるものは珍しい(もしくはおそろしい)と思います。

今週はこの社会現象にただ驚いて終わってしまいそうです。


次回の更新は8/4(木)です。
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2016/06/09 (9:00 am)
私の大阪の実家に小さな坪庭があります。

狭いがゆえに植わっている木が生い茂ってくると陽あたりが悪くなるので枝打ちをしないといけなくなります。

そんなところですが、お米をパラパラと撒いておくとものの数分もしないうちにスズメがやってきてチュンチュンと賑やかなさえずりが聴こえてきます。

またお正月のしめ縄を玄関先に掲げると、そこに束ねてある稲穂をめがけてあっという間に数羽のスズメがつっつきにきて、地面にはもみ殻がちらかります。

ほほえましい光景なのですが、私はこれを見るたびに不思議な気持ちになります。

スズメたちはいったいどうやってそこに米があることを知るのでしょう?

収穫前の稲田ならいざしらず、しめ縄の稲穂など彼らが飛び回っている上空からすれば針の孔ほどの局所にほんのわずかあるにちがいありません。

それが樹木の陰になってしまっている坪庭にパラパラ撒いてある米となると、もう視覚で察知するなどほとんど不可能に思われます。

だとすると嗅覚でしょうか。

しかし生(ナマ)の米からいったいどれほどのにおいが上空に発散されるのでしょう?

おなかをすかせてゴミ箱をあさりにくるカラスならまだわかりやすいのですが、スズメはカラスのように雑食性ではないとみえて、米よりもはるかに臭気の強い焼き魚の残りなどがあってもまったく見向きもしません。

ということはスズメにとっては米が凄まじいくらいの大好物だということになります。

炊きもしない米をほんのわずかつっつくだけであんなに元気に空を飛びまわり、子孫を残して行けるのはどういうわけでしょう。

超のつくような省エネ、燃費の良さです。

好き嫌いはしないように、私たち人間はしつけられますがこれは雑食であることの証ですね。

スズメの好き嫌いは半端ではありませんが、ゴリラだってフルーツ食ですし、ゾウは菜食、かと思うとライオンは(たぶん)野菜を食べません。

草食系、肉食系などと言いますが、偏食型と雑食型という分け方もできそうです。

こんなふうに考えてくるとわけがわからなくなってきますが、ともかくすっかり脱帽、そしてそれぞれの生き物に備わった「生きる力」に改めて感服します。


次回の更新は6/16(木)です。
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2016/05/26 (9:00 am)
今日はストレスにいて考えてみたいと思います。

常々私は人間にとって「ストレスゼロ」の状態がベストではないということについて興味をもってきました。

先日新聞を読んでいましたら、これについて認知行動療法研修センターの大野裕先生が専門的に解説しておられるコラムに出会いました。

適度なストレスのことをユーストレスと呼ぶそうです。

それに対し、好ましくない反応を引き出すストレスは「ディストレス」といって区別されます。

これはストレス概念を提唱したカナダのハンス・セリエ博士の考えです。

ここで私なりに「適度なストレス」について考えてみました。

「適度」とは何か、ということです。

騒音や肉体的な痛みなどだれにも共通するストレスというものもありますが、たとえば仕事やスポーツトレーニングなど、ある目的や目標・願望に向けてそれを達成するときに感じるストレスというものは一人ひとり違うはずです。

つまり「適度」ということは一概には言えないということです。

そこでこの問題について種類、重み、角度という3つのファクターに整理して考えてみいと思います。

まず「種類」ですが、これはそのストレスが自分の身に合っているかどうか、ということです。

この要素が最も大きいはずですが、これを自分の意志でどの程度コントロールできるかは人生の問題そのものといってもよいでしょう。

実際、天職に出会っていると自覚できればとても幸福なことにちがいありません。

一方「重み」が過ぎるといくら身に合ったストレス(天職)でも耐えられなくなります。

「角度」というのはタイミングやシチュエーションによる影響と言い換えてもよいかもしれません。

ここで重量挙げ(ウェイトリフティング)を思い描いてみます。

この競技をやってみようと思う人はその段階で「身に合った競技」だと感じていることでしょう。

問題は絶対的な重量とそれを持ち上げるときの角度だと思います。

少しでも重い重量(ストレス)を持ち上げるために筋力トレーニングをしたり食品を工夫して豊かな筋肉を保有する努力をするなどということは精神的なことでも似たような事情があるはずです。

様々なストレスを経験することでたくましさが増すということは十分考えられます。

しかし角度が適切でなければどうしようもありません。

これも訓練によって修得すべきポイントですが、3つの要因のうち最も工夫し甲斐のあるものではないでしょうか。

これは無理だ、と感じるストレスを少しでもユーストレス的なものにするために、このウェイトリフティングを思い描いて「3つのうちどこが問題なのか?」を整理して考えてみるようにすれば何らかの解決策を見つけやすいのではないかと思います。


次回の更新は6/2(木)です。

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