執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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カテゴリ : つれづれ : 
2017/08/17 (9:00 am)
ヒトの進化の歴史の中でもネアンデルタールはとくに有名です。

彼らは大きな脳やがっしりした体躯をもち、毛皮など来て暮らしていたようです。

彼らは旧人とよばれ、基本的には現生人類(新人:ホモ・サピエンス)とは異なる種とされています。

一方2万年ほど前に生きていたとされるクロマニョン人の化石が欧州で発見されていますが、彼らは私たちと同じ新人の仲間です。

クロマニョン人の手によるラスコーの洞窟画をご存知かと思いますが、あの伸び伸びした線で表現された牛や馬の姿を表現する知性は驚きよりも同じ「人間種」として親近感をおぼえます。

同じ種ですからもしクロマニョン人の赤ちゃんを現代社会で育てたとすれば私たちと同じレベルの言語を操り、パソコンやスマホを使って遊んだり仕事をしたりするはずです。

2万年くらいの時間幅では遺伝子はほとんど変化しません。

だとすれば当時の彼らが一生の間に接する情報量はずいぶん少なく、脳のキャパにはたいへん余裕があったと思われます。

べつにクロマニョン人を持ち出すまでもなく江戸時代や明治あたりの生活でもひとりの人間が朝起きてから寝るまでにやりとりする情報のビット数はたかが知れたものだったはずです。

それに比べてのべつまくなしにスマホをいじったりメールのやりとりをしたりしている今のわたしたちの情報量はまったく比較にならない膨大さです。

2万年前になぜこんなに大きな頭脳のキャパが獲得されたのかはほんとうに不思議ですが、私が知りたいのはその限界まであとどのくらいあるのだろうということです。

せめて「まだかなり余裕がある」のか「すでに限界に近いのか」ということくらいわかりたいものだと思います。

ただ、うつ病などの心が折れる状況の人や「睡眠負債」を持っている人が相当いるらしいという状況からすれば「すでに限界近し」ということなのかもしれません。

それにしても寝床にまでスマホ(という電子頭脳)を持ち込んで暗闇の中で情報を浴びているごく一般的な現代人が、人類史上はじめての、かなり極端な脳への刺激体験を通過していることはまちがいないでしょう。

昨今進化が著しい人工知能がそんな私たちの脳を余裕のある方向に運んでくれるのか、さらなる窮地に追い込んでしまうのか、そんなことがとても気になる今日この頃であります。


次回の更新は8/24(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/08/10 (9:00 am)
わたしたちが食べる食品や食材は非常に多岐にわたっています。

一日に30種類以上の食物を食べましょう、とも言われます。

さらに実際の肉や魚、くだものや野菜の中にはさらにおびただしい数の成分が混在しています。

おそらく一つの食品の中に含まれている成分は少なく見積もっても30種類は下らないでしょう。

そう仮定すると、30種類の食物を食べるとその中の成分は(重複もありますが)まあ数百種類以上ということになるのではないでしょうか。

すばらしいのは、それだけいろいろなものが混在していてもそれらが消化管を通過して行く間に各成分ごと、確実に決まった扉から体内に吸収されて行くということです。

たとえば肉を食べたとき、そこに含まれる20種類ほどのアミノ酸は「アミノ酸専用」の扉から吸収されて行きます。

調理に使った塩に含まれるナトリウムも決まった入り口から入って行きます。

水でさえアクアポリンという専用口(受容体:レセプター)から細胞の中へ入って行くのです。

これは驚くべき精密なソーティング(決まったものをその種類ごとに分類して集めてゆくしくみ)です。

無数の成分が美しくソーティングを受けて取り込まれ、さらに肝臓に運ばれてもっと厳密に分類され、腎臓で要不要に応じて取捨選択された後に血流に乗って身体中のひとつひとつの細胞にくまなく必要なものだけが必要な量だけ届けられるというわけです。

この気が遠くなりそうな仕事を、身体は生まれてから死ぬまでまったく休まずに続けています。

前回このブログで「使わない臓器は加齢とともに店じまいをはじめる」という話を書きましたが、この観点からいえば「使わないレセプターは退化する」可能性があります。

こういうすばらしい仕組みを利用しないのはとてももったいない。

できるだけ色々な食材を楽しむことはやはり理にかなっています。


次回の更新は8/17(木)です。
カテゴリ : 健康のための運動 : 
2017/08/03 (9:00 am)
「死に仕度」などというと縁起でもないことに聞こえますが、生きとし生けるものは生まれた瞬間から死に向かって進んでいるとも言えます。

とくに成長期が終わってしばらくしたころ、たとえば30代の中盤以降はこの「死に仕度」というコトバがリアルなものになってきます。

中年以降にお腹が出てくるのは筋肉の減弱によって脂肪燃焼の場が失われ、過剰になった分が徐々に内臓や皮下に溜まってくることの具体的なあらわれです。

この「死に仕度」の典型的な一側面に「廃用性萎縮」という現象があります。

これは「からだの使わない部分」がどんどん小さくなってゆくということです。

たとえば眼などでも非常に長時間覆いをして何も見ないようにすると眼が休まるどころか視力が失われてしまいます。

また筋肉や運動神経も使わなければどんどん「店じまい」が進んでゆきます。

イメージ的にはラストオーダーが近づいたレストランのような状態です。

ここで閉店時間を延長するには「お客が入ること」つまり「使う」ことが重要です。

と、ここまでは比較的常識的なことで、だからこそ中年以降の人々はウォーキングをしたりジムトレをしたりという対応策をとっているのだと思います。

ただし、ここで大切なことはからだを一時に過度に使いすぎないということです。

たとえばテーブルのへりを使って20回くらいの斜め腕立て伏せのようなことをしますと、からだは「あ、まだお客さんがいるんだな」と気付きます。

そうすると、筋肉や関節というお店に対して「あたらしい材料の仕入れ」を命じます。

仕入れの指令を具体化するのが遺伝子です。

つまりヒマであることを察知して店じまいをリードして行くのは遺伝子の眠りなのです。

生物の遺伝子はその時その時の状況に応じて必要な部分だけが読み取られながら生命活動をつつがなくすすめて行きますがオーダーが来ないとなるとさっと閉店したがるようにできているのです。

中年以降はとくにそれが顕著になり、ちょっと使わないでいると「あ、もういらないんだね」とそっぽを向いてしまうという感じになります。

ですがごくわずかな刺激を与えてあげることでそっぽをむいて眠りに行く遺伝子を目覚めさせることができます。

つまり、大切なことはからだの各所に向けて小さな刺激を絶やさないということです。

筋肉を使う、関節を動かす、五感を使う、時には大声で歌う、感動や緊張の一瞬に立ち会う・・・これが「死に仕度」をしたがるからだに送るべきメッセージです。

廃用性萎縮は内臓にもおこります。

きちんと咬み、飲み込み、そこそこに食べ続ける、ということも立派な刺激です。

ただし、はげしく使った後には回復する時間や栄養を十分にとってあげることも必要です。

「心を込めて準備中」という札がかかっている午後3時のレストランのように、仕込みや癒しの時間をよいタイミングで与えてあげることもコツです。


次回の更新は8/10(木)です。
2017/07/27 (9:00 am)
元祖スポコンもの『巨人の星』は少年マガジンに連載されていました。

読んでいた私は小学生でしたからなんともう半世紀前(!)にもなります。

星飛雄馬は根性の塊、それを描くのに最適だったのはモーレツなウサギ跳びでした。

中学に入ってから運動クラブに混じった私もこのウサギ跳びはずいぶんやらされました。

効果はかなり絶大で、あっという間に足腰強靭、ぽっかり腹筋が割れました。

大汗をかいても水を飲むな、が一種の美学でした。

補水なしのウサギ跳びは昨今さすがにすたれていますが、当時はデメリットなど知る由もありませんでした。

夏休みにはプールサイドで甲羅干し、真っ黒になるのを競いました。

海水パンツのあとがくっきりツートーンになるのが二学期に向かう勲章のよう、のみならず夏場に焼いておくと冬に風邪をひきにくくなるともいわれていました。

ある日、こういった健康常識はまっさかさまの評価を受けるようになります。

研究云々というまでもなく、今の夏の猛暑、日照りのきつさは異常に思われ、眼や肌がヒリヒリしてくるのはまぎれもない実感です。

先ごろ亡くなられた日野原先生はプロの医師でもありますが、医者の不養生と言われるようにほんとうの養生の達人は知識や理論を超えた観察を絶やしません。

養生訓を残した貝原益軒はあの当時で83歳まで生きていますから説得力がちがいます。

遺伝子も腸内細菌もエネルギー代謝も何もしらなかった昔の達人は、ただただ己のからだとの対話だけをたよりにいろいろな気付きを重ねていったのです。

知識によらず観察による強み、この夏もなにか自分なりに気の利いた養生訓をみつけてみたいものだと思います。


次回の更新は8/3(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/07/20 (9:00 am)
医師の日野原重明さんがこの火曜日に105歳の大往生を遂げられました。

たとえば85歳の方でも私から見れば「かなりのご高齢」だと思いますが、105歳というのはそこからさらに20年もあるということになります。

20年という時間があれば人間相当いろいろなことができます。

私はもうすぐ還暦(!)を迎えるのですがそこから105までの距離となると実に45年、これはもう一度べつの人生を生きるのと同じともいえそうです。

こういうと「そうはいっても15歳から60歳までの45年と60歳から105歳までの45年の生産性は同じではない」といった声が聴こえくるかもしれません。

日野原先生がたしか90歳すぎのときに書かれた本だったと思いますが、自分は激務に追われていて睡眠時間も極めて短く、週のうち2−3日は徹夜することもある、起きている間はずっと仕事をしている、講演や原稿執筆のアポイントメントがもう数年先まではいっている、よくこれで過労死しないものだと思う、こう述べられていてびっくりしたことがあります。

また、95歳になれば少しは自分の時間も取れるだろうからゴルフをはじめるつもりだ、ともありました。

さらに驚いたのは97歳当時の著述の中、なんと、2年前からはじめたゴルフがたのしい、と!

95歳でゴルフ開始というのはシャレでも出まかせでもなかったのだ、と思わずうなりました。

テレビで「私は電車の中でもつねに仕事をしていますよ」とも話しておられるのをきいたこともありました。

おそらく先生が100歳少し前あたりのころだったと思いますが、そのころわたしは偶然京都から新横浜に向かう新幹線の車両で日野原先生の姿をお見かけしたことがあります


夜更けの時間でしたので、同じ車両に乗っていた多くの人たちはほぼほぼ眠り込んでいました。

わたしは下車駅に近づいてきたところで手洗いに席を立ち、その時に先生をお見かけしたのです。

先生はせまいテーブルの上に広げた原稿用紙に向かってマス眼もかまわず大きな字で一心不乱に執筆をなさっておられました。

テレビのコメントのとおり。

先生がご自身の生活について公に語られた信じがたいエピソードはことごとくほんとうのことだったようです。

人間ドックや生活習慣病といった今日一般名詞として語られる医療概念を提唱し、最期までみごとに実践して来られたその後ろ姿は私のような一面識もない人間にさえ健康や人生について大きな影響を与えられました。

60歳からの45年の人生の密度や生産性は、やりようによっては決してその前の45年に劣るものではないのだよ、と説きながら人生の達人は静かに逝かれたように思います。 

改めて新鮮な気持ちで生きていきたいものだと思います。


次回の更新は7/27(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/07/13 (9:00 am)
佐藤一成さんはAI将棋ソフトの『ポナンザ』を開発した人です。

最近佐藤さんのプログラム開発について書かれた本を読みました。

いろいろ疑問に思っていたこと、不思議に思っていたことがたいへんわかりやすく説明されていて、読みながら思わず興奮し、何度もうなってしまいました。

ここ10年くらいの間に読んだ本の中で最も衝撃的だったかもしれません。

囲碁やチェス、将棋というのは勝ち負けがはっきりしている上、「現在の人類最強者」が厳格に定義づけられています。

ですから、最高レベルの将棋や囲碁を理解できない人、AIなんてまったくわからないという人(いわば一般市民のほぼ全員がそれに属するといってよいわけですが)にもそのすごさが理解できます。

ただ、重要なことはこのゲームの世界の話はそこにとどまらないというところです。

つまりそれくらい高い精度で人間の最高度の知的作業をできるのであればこんなこともできるのでは?あんなこともできるのでは?という想像が私のような素人にも働かせられます。

実際それはそのとおりであるらしく、たとえば自動車がほんとうに「自ら動く車」になれる(すなわち完全自動運転)というのはそう遠くない将来のことだといいます。

従来のコンピュータは一秒間に何回計算できるか、といったところに論点がありましたが、昨今のAIはそういう腕力的な性能も(「京」に代表されるように)さることながら、自分でデータを学習しながら人間が考えつかなかったようなこともやってのける可能性があるという点でまったく存在感がちがいます。

ポナンザを開発した佐藤さん自身がすでに「彼」の考えていることをもはや説明も想像もできない、とコメントしています。

また、AIの特徴はその進歩の速度が直線的ではなく指数関数的だというところにもあります。

AIの学習速度ははじめのうちはのろいようでも、状況が整ってきたらあっという間にとんでもないレベルに行ってしまうのです。

コンピュータ将棋そのものはだいぶ以前からありますが、ポナンザは誕生してからわずかに10年。

14歳の藤井四段もすごいですが、ポナンザは10歳で名人(というか全人類)の力量を追い越してしまったということです。

昨今では本当に強い棋士はコンピュータの手筋を取り入れることによって競争を勝ち抜いているといいます。

いまのところまだ「昨今」などと言っていますが、そのうちそんなことはあたりまえになるでしょう。

もちろん私のような素人がポナンザの手筋を見ても何もわかりませんが、最高レベルの棋士にはそれがわかるということで、こうなるともう何だか雲の上の神の対話の様相を呈してきます。

さて、そんな有能な機械に私は何をしてほしいかというと、われわれが健康でいるためにはどうすればよいか、ということについて名人将棋ばりのレベルで指南してくれるような仕事です。

ただし、そんなに健康で長生きして何がうれしいのか?そこのところは永遠に「自分で考える」しかないように思います。

そんなことないでしょうか?


次回の更新は7/20(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/07/06 (9:00 am)
干ばつに近い空梅雨の日が続いたかと思うと、昨日は記録的な集中豪雨がやってきました。

一夜明けての被災地の状況が心配です。

適度に、ということは何ごとにつけても大事なことだなあと思います。

たとえばお酒の飲み方について節度を教えることばにもいろいろあります。

一週間に2〜3日は「休肝日」にする、お酒といっしょにタンパク質をたべる、お酒の1.5倍量の水を飲む、寝酒はしない・・・などなど。

どれにもそれなりの効果があるのでしょうが、最近の私の実感では「深酒をしないこと」につきるように思います。

個人差はあれども、アルコールの代謝には相当なエネルギーが要ります。

代謝が遅れるとアセトアルデヒドが残り、これが不快感をひきおこしたり消化管にダメージを与えたりもします。

若いころには少々のことは素早くリカバーできていたはずですが、中年以降になるとどんな復元にも時間がかかってしまうことは節理です。

今年は6月からすでに猛暑日が各地で記録されています。

天気予報のサイトには熱中症や紫外線リスクの情報が出ているところもあります。

地球の気候そのものがシビアになると、それもダメージ要因に加わってきます。

日中過剰な紫外線を浴び、熱波におそわれ、水分不足になり・・・そんな日々の中では夕方以降のアルコールのダメージもより強くなってしまうでしょう。

ネガティブなことばかり考えていても仕方ありませんが、九州北部を襲う濁流の映像や「観測史上初めての降水量」という気象庁のコメントをみているとわたしたちの身体にも何がしかの「生まれて以来はじめての強いダメージ」を知らず知らずのうちに受けてしまっているのではないか、という気がしてきます。

アブノーマルな天候・気象をかいくぐることは人それぞれに新しい養生訓をかんがえながら過ごすことであるのかもしれません。

ちなみに、低気圧と身体の不調は「内関(ないかん)のツボ」を10回程度指圧することが対策になるということです。

このツボは脈拍をはかるときの人差し指の位置付近にあります。

あの手この手でマイナスから±ゼロへ、そしてプラスに転換しながら乗り切りたいものです。

七夕の笹飾りにはそんなメッセージを託したいと思います。

つつがなく、たのしい夏をおすごしくださいますよう・・・!


次回の更新は7/13(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/06/29 (9:00 am)
「藤井四段」はいまや日本でもっとも注目度の高い存在。

もちろん30年以上保持されてきた連勝記録があれよあれよという間に破られたからですが、これが「新人棋士」の「デビュー戦」以来のできごとであることが話題をさらにセンセーショナルなものにしています。

一方奇しくもAIがチェスや囲碁、将棋などで力をつけてきていて人間の名人クラスが勝てないということも最近とみに注目されています。

AI将棋についていえばその開発者自身をして「どのようにしてAIが学習しているのかがはかり知れない」という状況です。

藤井四段が彗星のごとく出現した時期とAIの台頭が同じタイミングであったことは偶然のことですが、たいへん示唆的です。

AIと人間の対決に関してはもはやどちらが強いか、とくに将来的にはどうかということはもうあまり興味をもって問われなくなるでしょう(たとえば藤井四段との対決など私はべつに観たいと思いません)。

これはいいかえれば電子頭脳の方が強いということが人々の失望につながらなくなるということでもあります。

それよりも、AI将棋の示している「人間離れした発想」が逆にプロ棋士たちの手筋にどんな影響を与えてゆくかがより重要になって行くようです。

これからの注目点はAIを活用しながら「生身の天才棋士たち」が演じるドラマがどのように展開するかということになりますが、これはまさに棋界にとっての新しい時代の幕開けといえるでしょう。

ところで「中学生の藤井クン」が幼少時にどんなおもちゃで遊んでいたかとか、学級での様子がどんなふうだとか、そんなところにもこまごまとスポットがあてられています。

とくに彼が「何を食べているか?」という話題がケッサクです。

ラーメンが好きだとか名古屋なので味噌煮込みうどんが対局前の勝負めしだとか。

どんな知的な刺激や教育を受けたのかという点に興味注がれるのはもっともですが、頭が良くなる食べ物、あるいは頭の良い脳をつくる食べ物はなにかというのはなかなかおもしろい視点だと思います。

つい先日亡くなった渡辺昇一さんが名著『知的生活の方法』の中で「脳も身のうち」ということを述べていて、頭脳のはたらきと食べ物の関係を真摯に論じています。

もちろん藤井四段と同じものを食べたからといって何か劇的なことが直ちにおこるとは考えられませんが「ある人はその人が食べた物からできている」という真実は食物科学の最も基本にある重要なかんがえです(これとは別に「生まれてきた赤ちゃんのからだはすべてお母さんが食べた物からできている」ということはよりわかりやすい)。

若き天才棋士の出現はこと将棋にとどまらず、脳科学、食物科学、教育学など数々の分野にみずみずしい関心を広げ続けています。

こういうことはAIとちがって、人間味にあふれた想像力をかきたてられる示唆に富んでいてずいぶんほっとするような気がいたします。

ともあれ、どこまで連勝記録がつづくのかまだ当面眼が離せませんね。


次回の更新は7/6(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/06/22 (9:00 am)
近頃は対向車線から自動車が飛んできたとか登校中の児童の隊列に車が突っ込んだとかそんなニュースを耳目にすることが多いですね。

いったん事故が起こってしまうと当事者はもとより交通妨害がおこり、警察官の人たちもたいへんな事後処理が必要になってしまいます。

昨日の朝、街中で車を運転していたらたくさんの警察の人が出てあちこちで通勤通学の人たちの誘導をしていました。

交通安全週間なのかどうか、運転をしている方にしてみれば白バイやパトカーなどが視界に入ると少なからずハッとします。

それまで飛ばしていたクルマの流れもぐっとゆっくりになったりもします。

何も違反をしているつもりはなくとも一瞬の緊張が走る、これは正直なところちょっと「イヤな感じ」なのです。

けれども、ほんとうにいやな感じがするのはやはり事故現場と出くわしたときです。

大勢のパトロール隊による朝の交通整理を見ていてふと、これはまさに身体でいえば予防にあたるな、と思いました。

事故の後処理は一時的な生活活動の停滞を伴い、車や乗っていた人、巻き込まれた通行人、ガードレールや電柱などのインフラの修理などにとても大きな負荷がかかってしまいますが、この点まさに傷病の治療と同じです。

お酒をのみすぎるな、寝る前にものを食べるな、体重を管理せよ、きちんと睡眠をとれ・・・こういうことはちょっと羽目を外して楽しんでいたい身にしてみれば余計なお世話、「イヤな感じ」がよぎりますが、街中でパトカーが見えた時とよく似ています。

だからというわけではありませんが今日はほんとうに久しぶりに歯医者さんにケアを行ってしてもらいました。

虫歯などは特になく、歯そのものはしっかりしていますねと褒められて少し気をよくしたのですが、同時に痛い思いをして削ったり抜いたりせずに済んだことにほっとしました。

忙しさの最中に紛れてしまうのも交通安全や健康管理の共通点かと思います。

人生の終盤、忙しさから解放されたとたんに放置していた健康の治療にとりかかる、というのはどうもマズいと思います。

まず手始めに近所の歯医者さんに予約を入れてみられてはいかがでしょうか?


次回の更新は6/29(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/06/15 (9:00 am)
先日片岡鶴太郎さんが全日本ヨガ連盟からヨガ親善大使に任命されたというニュースをみました。

なんでも、インド政府公認プロフェッショナルヨガ検定に合格しレベル1からレベル4まであるうちのレベル1のライセンスを取得したのだそうです。

鶴太郎さんといえば、物まね芸人から出発して、ボクサー、俳優業そしてプロの画家としても大活躍していることで有名です。

鋭敏な好奇心を駆使して面白いと思ったことにはグッとくらいついてものにしてしまう、その発想や執念、努力には感服します。

そんな鶴太郎さんのことですから、ヨガへの取り組みも生半可でなく外出の7時間前に起きて4時間のトレーニングに励み、その後2時間かけて食事そして身支度。

しかも一日一食なのだそうです。

朝6時に出かける場合には午後11時に「起きる」というわけで、なんだか混乱してきそうです。

そんな生活で体重は65 kgから43 kgになり、カゼひとつひかず体調はすこぶる良好、125歳まで生きるのだとか。

鶴太郎流にいえばこれでまたあたらしいジャンルをひとつものにした、ということですね。

ものすごく充実してその成果を楽しんでおられる様子が伝わってきます。

ただ、座禅の足組みをしながらお腹をボコッと引っ込めてポーズをとっている写真をみていると、あばら骨がくっきり浮き出ていて目はくぼんでぎらぎらしており何だか鬼気迫るものがあり、ちょっと引いてしまいそうです。

この鶴太郎さんの姿とそっくりな、骨と皮だけになった荒行後の仏陀の像をみたことがあります。

ほんとうにそっくりです。

こうなると鶴太郎さんが肉体的なことだけではなくて、何かあたらしい精神的な境地に到達したのではないかと、そんなところにも興味が湧いてきます。

体調が良くて充実感もあって、ということなのでいうことはないのですが、それにしてもここまで身体をそぎ落としてしまってほんとうに大丈夫なのか心配になってきます。

この状態、トラブルがおこっていない段階ではまったく問題がない、というかむしろ非常に健康なのだと思うのですが、ひとたび何らかの不調が起きてきた場合にそれに対応できるのか懸念をおぼえます。

肥満体だった人が大きな手術をして退院後に別人のようにスリムになっていた、というような事例をよくみかけますが、これは病巣の除去、修復という非常に大きな身体ストレスに対して持ち前の体脂肪や筋肉を消費した結果にちがいありません。

まさに身を削りながらの闘病・回復ということになります。

こういう観点からかんがえると「無駄なものはなにももたない」ふうに見える鶴太郎さんのすさまじいまでのアプローチについても少し検討が要るような気がしますが。

そもそも、手術が必要になるような病気にならないよ、ということでしょうか。

ともあれ、どんなジャンルにも挑戦してプロフェッショナルなレベルまで到達してしまう鶴太郎さんにしてみれば、活き活きと新天地に突っ込んで行くということが重要なんですね。

ええ、大いに元気を頂ける思いがします。

これからも世間をあっ!と言わせ続けてほしいものです。


次回の更新は6/22(木)です。

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