執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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カテゴリ : 健康 : 
2018/04/19 (9:00 am)
紀元前400〜200年ころの古代中国には陰陽五行説という養生思想がありました。

この思想では、森羅万象は「木(もく)」「火(か)」「土(ど)」「金(こん)」「水(すい)」の五つの要素から成ると考えられています。

うち、最も基本となる「土」を真ん中に配し、その周囲をその他の4つの要素が取り囲む形となります。

さらに、これが季節にも関係していて、木⇒春、火⇒夏、金⇒秋、水⇒冬という対応になるのです。

ここで「木」は「草木が芽を出し、万物が生じる季節」ということで春を象徴しています。

そしてこの季節、影響を受けやすい臓器は「肝と胆」であり、のぼせやすく、精神的に不安定になる傾向、女性は月経不順を招きやすい、とあります。

さらに「風」の強い季節で、「筋肉のひきつり」「涙目」「怒りの感情」「爪がもろくなる」などの症状が現れやすい、とも記されています。

前回ここで、夏バテならぬ春バテという「新しい健康ピンチ」が最近の話題になっていることを書きましたが、これはすでに古代中国の医術思想でみごとにとらえられているように思われます。

特にこの春は寒暖の差が激しく、強風の日も多いようですから「本来そういう季節なんだ」というふうに構えて用心していればピンチの日々もいくぶん乗り切りやすいかもしれません。

それにしても日本にはまだ文字もなかった時代に中国ではすでに膨大な健康に関する経験知が蓄積、体系化されていたのですから驚きます。

季節ごとの留意点を記したそのみごとな表は「五行色体表」と呼ばれ、こと細かな臓器や身体症状が「五」によるマトリックスとして整然と配列されています。

ちなみにこの五行色体表では、木(春)の季節にはスモモ(果)、ニラ(菜)、ムギ(穀)、鶏(肉)を食すればよい、という食養生の秘訣が記されています。

先人の知恵は何ともありがたいものです。


次回の更新は4/26(木)です。
カテゴリ : 疲労 : 
2018/04/12 (9:00 am)
夏バテということばは普通に使っていますが、春には春で春バテという現象があるのだそうです。

そう言われてみれば、私自身ここのところよい天気が続いていても何となく体調がぱっとしないという気がしていました。

その原因としては、一日の中での激しい寒暖差、花粉や黄砂の粉塵によるアレルギー症状などが考えられるでしょう。

また、このシーズンには進学や進級、入社、転勤など様々なこともあり、新しい環境になじむためには無意識のうちに心身のエネルギーを相当に消耗しているのだと思います。

よく言われる五月病なんかも「春バテ」ととらえられる症状とも言えそうです。

春バテを研究しているお医者さんの言われるところ、これをうまく乗り切らないかなり長い間パッとしない体調を引きずることにもなりかねないのだそうです。

五月晴れが続けばよいですが、えてして「ナタネ梅雨」になる年もありますし、そうこうしているうちに本物の梅雨が来ます

そのあとに猛暑日が続けば一気に夏バテに突入してしまいます。

けれどもこんなふうにいったんその正体や原因が明らかになれば、ちょっとした着衣の工夫、気持ちの置きようによって何とか乗り切れそうな気もしてきます。

春眠暁を覚えずとも言いますから、やはり自然の欲求にさからわずにたっぷりと眠るのが基本なのかもしれません。


次回の更新は4/19(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2018/04/05 (9:00 am)
ユング心理学の河合隼雄さんの『心の処方箋』という本の中に「ふたつ良いことさてないものよ」という表題のエッセイがあります。

これはどういうことかというと、何かよいことが起これば一方で何かよからぬこと、愉快でないことが起こる、それが人生というものですよ、という意味です。

言い換えれば、ずーっと良いことずくめで日常が過ぎてゆくとは思わない方がいいですよ、ということです。

これを人生の知恵として踏まえるならば「あらかじめそんな心構えでいれば、多くの日常のトラブルにも落ち着いて対処できるはずだ」という生き方のコツにもつながるでしょう。

河合さんは人生というものは良いこととそうでないことに量的なバランスが保たれていると思う、と述べています。

一方河合さんは「逆にいえば、何か悪いことが起こったとしてもそういう状況がずっと続くということもない、そうもいえるだろう」とも説きます。

そういえば昔から「怪我の功名」、「瓢箪から駒」、「人生万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄の如し」といった言葉も知られていますが、これらも似たような教訓や経験に基づいているのだと思います。

また同じ本の中に何かイライラするようなときというのは、状況が十分見通せていないときだ、ということも書かれています。

イライラしているときに、しばしばその原因が何かよくわからないこともあるものですが、そういわれてみれば確かにその通りで、難しい状況にあるピンチのときでもその原因や対策に見通しのあるときは案外平常心で居られるものです。

イライラが収まらないときにこそ、頭を冷やしてその原因はなにか?と考えてみるべきなのです。

イライラしたときに何かに当たり散らすなどということは周囲にも迷惑ですし、原因が探れないところが最悪です。

先日加山雄三さんのクルーザーが炎上したということで、さしもの加山さんもすっかり憔悴した面持ちでインタビューに応じていらっしゃいました。

本当に沈痛この上ないことと思います。

これを「順風満帆だったこれまでの人生」に対するバランス取りだと考えてしまうとよけい落ち込んでしまいます。

でも逆に「きっとこんなにつらいことがあったのだから、それにつりあうような非常にすばらしいことがこれから起こるに違いない」ととらえることができればマインドセットは180度ひっくり返ります。

加山さんにはそのうち是非またすばらしいことを待ち受けて頂きたいものだと思います。


次回の更新は4/12(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2018/03/29 (9:00 am)
先週お彼岸のなごり雪にびっくりしていていましたら、それから3日ほどで桜が満開になりました。

昨今の東京は昼夜の寒暖差がかなり大きい日が続いています。

冬の寒さが尋常でなかったせいか今年はほんとうに春が待ち遠しい感じでしたが、その分桜がいつもにも増してすばらしく感じられます。

ところで去年の12月からひと月に一度弱の頻度で海外出張に行かねばならなかったのですが、以前と比べてかなり「きつさ」を感じる自分に気づきました。

たとえば、出発前のセキュリティーチェックでパソコンをカバンから取り出したりコートを脱着したりするとき、現地に到着して入国審査の長い行列に並んでいる間、こういうとき重いショルダーバッグを抱えて過ごす時間がかなりきびしいのです。

カバンには機内で数時間を過ごすための手帳や筆記具、何冊かの本、携帯音楽機器など(昔は数枚のCD!)を入れて出かけるわけですが、これにノートパソコンが加わるとほんとうにずっしりと来ます。

若かった頃は(などと云いたくないのですが)そういうことは意識したこともなく、機内でもまとまった時間ワインを飲んだりしながらけっこう本も読み、あるいは狭い座席で肩をすぼめてせっせとパソコン作業をすることもそれなりに楽しかったものです。

今は座席にたどり着くやいなやシートベルトを締めて早々に眠ってしまい、場合によっては食事も断ってそのまま現地に到着ということもあります。

機内で眠くなるのは気圧が下がり空気が薄くなることとも関係があるのでしょう。

そこへふだんの睡眠不足、そして時差が加わります。

脳が疲れているので「休め!」という指令が出ているにちがいありません。

ちかごろ日本のあちこちの鉄道駅で見かける海外からの旅行者はみなびっくりするくらい大きなトランクを持っています。

彼らを見ていると、旅を楽しむためには相応の体力の充実が必須の条件になるのだなあと改めて思います。


次回の更新は4/5(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2018/03/22 (9:00 am)
暑さ寒さも彼岸までといいますが、今年のお彼岸、東京はなんと雪でした。

これこそ「なごり雪」です。

ここのところ一時は初夏の陽気になっていましたのでこの寒さはいっそうこたえました。

一日外出していたのですが、風も強く冷たい雪雨の中でずぶ濡れに近くなり散々でした。

こういう時はほんとうに仕方がないのですが、いわば「命を削りながら過ごした一日」だったなあと思います。

もちろん日によっては睡眠も十分、精神ストレスも低め、美味しい食事を摂れることもあります。

こういう日に寝床に着くときには「寿命を伸ばせたな」と思います。

厳しい日、つまり睡眠不足、低温、低体温、食事もタイムリーに摂れずという時には覚悟していかにしてリカバーするかを真剣に考えないといけません。

消化の良いものを食べてゆっくりお風呂につかって早めに眠りについて・・・。

まさに今日はその厳しい日でしたが、最も注意しなければならないのはおそらく免疫力の低下でしょう。

冬にインフルエンザが流行するのはインフルエンザウイルスが低温を好むからではなくヒトの免疫系が低下するからにほかなりません。

一日を終えて眠りにつくとき「今日は寿命が伸びた日か縮んだ日か?」を自問してみるのも無駄ではないかもしれません。

カレンダーに〇×でもつけて一か月半年、一年、と振り返ってみると「今年一年」は勝ち越せたか負け越せたかも簡単にカウントできます。

季節の変わり目というのは「負け越し」が多くなりがちです。

一日の終わりにざっとした感覚で「今日の健康勝負」を振り返ってみるとき、負けそうになった時にはやはりそれに見合う「癒し」をあれこれ身体にフィードバックし、翌日に持ち越すことなくできればその夜にうちに原点にまで戻しておきたいものです。

明日はまた突然気温が上がるのだとか。

外出時の服装ひとつにもちょっと気をつければ負け試合も逆転に持ち込めるでしょう。

本格的な春が来るまでくれぐれもお大事にお過ごしください。


次回の更新は3/29(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2018/03/15 (9:00 am)
昨日物理学者のホーキング博士が英国ケンブリッジの自宅で亡くなったとのニュースに接しました。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)は次第に筋肉の萎縮や筋力の低下を来たす過酷な神経の疾患です。

通常は60-70代の男性に多いそうですが、博士の発症は21歳といいますからそれから55年間もほんとうによく頑張ってこられたものだと思います。

ホーキングさんの場合はその間ただ生きていたというだけではなく、物理学では超一流の仕事をし続けて来られたわけなので、さらに驚きです。

辻井伸行さんのピアノ演奏や今まさに韓国で行われているパラリンピックなどすべてそうですが、こういう人たちは「障がいにも負けず」という言葉ではなく「障がいがあるからこそ」とでも言いたくなるようなものすごい力量を、努力しながら身に着けて来られたところがあります。

実際、この人たちが発揮しているパワーは健常人の何倍にも及んでいます。

とくにホーキングさんについては非常に長きにわたっての車いす生活だったわけですから、よく言われる「健康のための運動」など思いもよらないはずです。

たしかに健康維持のために筋肉という臓器が果たしている多様な役割については最近の研究によって次々明らかにされてきているところではあります。

しかしことホーキングさんに限っては筋肉の健康からは最も遠い境遇におかれていたわけで、常識的に考えればもう絶望してしまっても不思議はありません。

けれども実際には最高度の知的業績を上げて来られました。

いや若い頃だけでなくつい最近まで「人類の地球から別の惑星への移住プロジェクト」や「AIの危うさ」といったことに非常に鋭い考察を発表し続けていたわけです。

76歳という年齢を考えれば高齢者としても卓抜した能力の発揮ぶりだったことになります。

身体はものすごく不自由そうではありました、けれども博士には不思議と「老いた風貌」はなかったように思います。

亡くなられて改めていろいろなことを考え、そしてどんな身体状態にあってもあきらめずに若々しくいろいろな目標に向かうその姿勢。

物理学のみならずそういう生き方の天才だったともいえるでしょう。

逝かれてなお、勇気と元気をいただきました。 合掌


次回の更新は3/22(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2018/03/08 (9:00 am)
あまりにも科学技術が進みすぎ便利になりすぎたこととひきかえに、私たちは咀嚼力を弱め、腸内細菌の秩序を狂わせ、歩行能力を失い、免疫系のバランスを崩した、こんなことを考えてきました。

最後は脳です。

私が高校生の頃、電卓はまだ高価でめずらしい装置でした。

ある日、尊敬する物理の先生が電卓で計算しながら「今は授業中で時間の節約のためにそうしているが、電卓なんか使ったらバカになるから、君たちはぜったいやめておいたほうがよいぞ」と言われました。

もちろんそのときは使おうにも手元になかったのでどうにもなりませんでしたが、そのうちそれがあたりまえのものになってくるともう手放せなくなりました。

平方根が出たりするのにビックリして長らく遊んでいたものです。

物理の先生は尊敬していたものの、電卓でバカになる説についてはすぐにそうではないと思うようになりました。

それからすでに40年以上、現在のスマホが高校生だった私の前に出現したらいったいどんなことになったでしょう。

Wikipediaのような無料の百科辞書ができたとき、やはり「あんなものはダメだ説」がずいぶんささやかれましたが、今ではそれは「当然賢く使うもの」になっています。

どうも、新しく世の中に出てきた利器の評判はマイナスのところから入って行き、やがて市民権を得て行くようです。

「心配しなくてもダメなものは淘汰される」という大らかな原則こそがおそらく最も信頼できるのでしょう。

しかしそうではあってもスマホの出現以来、本を読む時間が侵食されているということは私に関してはかなり事実です。

またそれに関連して「見ても見なくてもよいニュースやゴシップネタにつきあう時間が増えた」ということもまぎれもない事実です。

先の物理の先生ではありませんが、そんなことばかりやっていたらバカになるぞ、という警告はかなりリアルなのです。

これの特徴は「危険なダメさ」が確かにありながらも、それゆえに淘汰されることがないというところだと思うのですが如何でしょうか。

こんなに二六時中、目から細かい光の刺激を受け続けて視力や、その奥にある脳がさらされる危険については直感的に明らかだと思います。

固いものを噛んで食べる、行き過ぎた清潔主義は改める、歩く習慣を心掛ける、こういった原始回帰はその気になれば案外実行できる部類のものだと思います。

けれども空き時間にスマホを見に行かない、ということはそう簡単なことではない。

タッチパネル式のタブレットやスマホが普及しすぎたので、新しいメカには強いはずの大学生や新入社員の人たちがキーボードや基本的な表計算ソフトが使えないといったことが妙な形で昨今話題になったりしています。

これだって一種の「バカになっている現象」ではないでしょうか。

何につけ原始回帰を少しやってみた方が良い、と主張し続けてきたところですがスマホについてはもうあきらめた方がよいのかもしれません。

以前、寺山修司という人に「書を捨てよ町に出よう」という作品がありました。

この魅力的なキャッチフレーズは大好きですが、それでも書は捨てない方が良いよ、と個人的にはそう思っていました。

それとはまた違う意味で今は「スマホを捨てよ町に出よう」と声高に叫びたい、これはかなり本心でそう思います。

誰に対して?

ほかならぬ私自身に対して、です。

原始回帰の最後の強敵は電卓のようには引き下がってはくれないでしょう。

その先におこることがどういう事態であるか、それを想像できないところが一番この問題の難しいところではないかと思います。


次回の更新は3/15(木)です。
2018/03/01 (9:00 am)
いろいろな動物の中でヒトだけがもつ特徴として道具・言葉・火の使用が挙げられます。

このうち火の使用は食物の調理と深く関係します。

煮たり焼いたり燻製にしたりすることによってそのままでは食べられなかった多くの食物を食べられるようになりました。

これによって人間は真の意味での最も高度な雑食性の動物となりました。

現代人の食卓を見ても完全に生のままで食べるものはお刺身とかサラダなど一部のものです。

特に水産物が使えなかった内陸地域の文化都市としてはパリや京都が挙げられますが、こういう地域の料理は特に加工度が高い、つまり生もののメニューは少なくなっています。

火を使って調理すると食べ物は柔らかくなりますから非常に多くの食材から多彩な栄養素を得られるようになりましたが、一方ではこれまでに見てきたように咀嚼力が弱まるという弊害が出てきました。

また、煮る、焼くという方法によって殺菌が行われるようになり、これも多様な食糧源を得る大きなファクターとなりました。

これのもたらした弱点に殺菌を行き届かせるあまり免疫力が低下してきたということがあります。

子供の頃に泥んこ遊びをしていた時代はよかったのですが、今や一部の保育園や幼稚園では滅菌した砂場で遊ばせるのだそうで、これなどは無菌化・超清潔社会の極め付けだと思います。

良く知られるようにアトピーや花粉症などの現代人病は免疫力の低下ないしはアンバランスが原因となっています。

けれども、咀嚼のもつ意味や超清潔社会の盲点について科学のメスが入り、その意義が見直されるようになったのはほんのここ10〜20年ばかりのことです。

咀嚼の方は心がけ次第で何とか原始回帰ができそうですが、清潔社会の方はとくに私たち日本人はそれでないと気持ちが悪くて仕方がないというライフスタイルが濃いですから、なかなか克服は難しそうです。

こちらの方は乳酸菌や納豆などの発酵食品を積極的にとり、水溶性食物繊維をフィードすることによって大腸の細菌環境をたくましくすることには大いに期待が持てます。

清潔社会の克服は不潔習慣ではなく、快腸習慣でやってゆくのがよいようです。


次回の更新は3/8(木)です。
カテゴリ : 健康のための運動 : 
2018/02/22 (9:00 am)
前回は野生のゴリラが歯ごたえのある食べ物を食べることを通じて歯の健康を維持していることについてお話ししました。

そう聞けば「さもありなん」と思うわけですが、この話の面白いところは動物園のゴリラの死因トップが歯槽膿漏だというくだりです。

それはともかく、そういった歯ごたえのある食物繊維を食べることは咀嚼(そしゃく)を行うことにも通じます。

歯ごたえのある食物繊維はまた大腸にまで到達して腸内細菌の食糧になったり、便のかさを増やしたりして、非常に重要です。

考えてみれば歯というのは最も入り口に位置して物理的な力を駆使して食物を受け入れる臓器なわけですから食物繊維は文字通り初めからしまいまで消化管フレンドリーな食材だといえます。

最近おそるべき勢いで解明されているように、腸は脳とも密接な関係にあります。

原始回帰しようなどというと、非常に現状とかけ離れた暮らしを思い浮かべがちですが「食」に関して言えば実際にはちょっとした心がけで十分実行可能なことではないでしょうか。

歯ごたえのあるものを食べなくなった現代人が貴重な原始性を喪失しているとすれば、同じことは運動についても言えます。

今から1万2千年ほど前に農業をはじめた人類はだいたい1日9キロから15キロほど歩いていたのだそうです。

一歩の幅を50センチとすると、1万8千歩から3万歩に相当します。

3万歩はなかなか難しいとしても1万歩であれば少し頑張れば現代生活でもできる範囲ではあります。

食物繊維が咀嚼や腸内細菌を通じて脳と関係したように、運動もまた脳に重要な刺激を与えます。

原始回帰その1も2も最終的には脳との関係性をさし示しているようです。

一方、火の使用をはじめた人類は食の進化の中で「殺菌技術」を手に入れました。

次回はこれについて考えてみたいと思います。


次回の更新は3/1(木)です。
2018/02/15 (9:00 am)
今から250万年くらい前に私達人類の祖先は肉食をおぼえました。

それから後に火を使いはじめ、食物を調理して食べるようになりました。

火の使用は道具の使用、言語の使用と並んで人類が他の動物(類人猿)と異なる点ですが、特に調理を習得したことで身体の状況までが大きく変化してきたようです。

茹でたり焼いたりすることで食材は柔らかくなり、咀嚼が楽になり、消化が良くなり、雑菌が消化管に侵入しにくくなったり、と様々な変化が生まれます。

また病院で寝たきりになってしまった人に対しては流動食、経腸栄養食などが処方されます。

胃に穴を開けて栄養物をフィードする胃ろうなどは、人類の食の歴史上もうそれ以上進みようがないくらいの食品の究極の形態とも言えます。

先日ゴリラ研究の第一人者、京都大学総長の山極寿一先生のお話を聴講しました。

驚いたことに動物園で飼育されているゴリラの死因のトップはなんと歯周病だということです。

対して野生のゴリラには虫歯がない、と。

これははっきり食物の違い、つまり動物園では野生よりもはるかに柔らかくて咀嚼が少なくても済むようなものが与えられているところに原因があります。

もちろん人間はゴリラのためを思ってそうしているのでしょうが、それが皮肉なことにかえって仇になっているようです。

しかし動物園のゴリラを憐れんでばかりもいられません。

私たちにもまったく同じことがいえます。

こういった観点から、私たちが本来のホモ・サピエンスとしてのたくましい生命力を取り戻すための作戦として、歯ごたえのある食物をしっかり摂ることが挙げられます。

歯ごたえのある食物には繊維質に富んだものが多いです。

作家の五木寛之さんはある本の中で「自分はあまり胃袋をあまやかさないように、わざと食べものを噛まずに飲み込んでしまうこともある」と語っていましたが、これなどは案外そのとおりかもしれないと思いました。

まさに流動食とは対極にある考え方です。

一種の「原始回帰その1」といえるでしょう。

健康のための原始回帰について次回も考えてみたいと思います。


次回の更新は2/22(木)です。

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