執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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カテゴリ : 健康のための運動 : 
2018/02/22 (9:00 am)
前回は野生のゴリラが歯ごたえのある食べ物を食べることを通じて歯の健康を維持していることについてお話ししました。

そう聞けば「さもありなん」と思うわけですが、この話の面白いところは動物園のゴリラの死因トップが歯槽膿漏だというくだりです。

それはともかく、そういった歯ごたえのある食物繊維を食べることは咀嚼(そしゃく)を行うことにも通じます。

歯ごたえのある食物繊維はまた大腸にまで到達して腸内細菌の食糧になったり、便のかさを増やしたりして、非常に重要です。

考えてみれば歯というのは最も入り口に位置して物理的な力を駆使して食物を受け入れる臓器なわけですから食物繊維は文字通り初めからしまいまで消化管フレンドリーな食材だといえます。

最近おそるべき勢いで解明されているように、腸は脳とも密接な関係にあります。

原始回帰しようなどというと、非常に現状とかけ離れた暮らしを思い浮かべがちですが「食」に関して言えば実際にはちょっとした心がけで十分実行可能なことではないでしょうか。

歯ごたえのあるものを食べなくなった現代人が貴重な原始性を喪失しているとすれば、同じことは運動についても言えます。

今から1万2千年ほど前に農業をはじめた人類はだいたい1日9キロから15キロほど歩いていたのだそうです。

一歩の幅を50センチとすると、1万8千歩から3万歩に相当します。

3万歩はなかなか難しいとしても1万歩であれば少し頑張れば現代生活でもできる範囲ではあります。

食物繊維が咀嚼や腸内細菌を通じて脳と関係したように、運動もまた脳に重要な刺激を与えます。

原始回帰その1も2も最終的には脳との関係性をさし示しているようです。

一方、火の使用をはじめた人類は食の進化の中で「殺菌技術」を手に入れました。

次回はこれについて考えてみたいと思います。


次回の更新は3/1(木)です。
2018/02/15 (9:00 am)
今から250万年くらい前に私達人類の祖先は肉食をおぼえました。

それから後に火を使いはじめ、食物を調理して食べるようになりました。

火の使用は道具の使用、言語の使用と並んで人類が他の動物(類人猿)と異なる点ですが、特に調理を習得したことで身体の状況までが大きく変化してきたようです。

茹でたり焼いたりすることで食材は柔らかくなり、咀嚼が楽になり、消化が良くなり、雑菌が消化管に侵入しにくくなったり、と様々な変化が生まれます。

また病院で寝たきりになってしまった人に対しては流動食、経腸栄養食などが処方されます。

胃に穴を開けて栄養物をフィードする胃ろうなどは、人類の食の歴史上もうそれ以上進みようがないくらいの食品の究極の形態とも言えます。

先日ゴリラ研究の第一人者、京都大学総長の山極寿一先生のお話を聴講しました。

驚いたことに動物園で飼育されているゴリラの死因のトップはなんと歯周病だということです。

対して野生のゴリラには虫歯がない、と。

これははっきり食物の違い、つまり動物園では野生よりもはるかに柔らかくて咀嚼が少なくても済むようなものが与えられているところに原因があります。

もちろん人間はゴリラのためを思ってそうしているのでしょうが、それが皮肉なことにかえって仇になっているようです。

しかし動物園のゴリラを憐れんでばかりもいられません。

私たちにもまったく同じことがいえます。

こういった観点から、私たちが本来のホモ・サピエンスとしてのたくましい生命力を取り戻すための作戦として、歯ごたえのある食物をしっかり摂ることが挙げられます。

歯ごたえのある食物には繊維質に富んだものが多いです。

作家の五木寛之さんはある本の中で「自分はあまり胃袋をあまやかさないように、わざと食べものを噛まずに飲み込んでしまうこともある」と語っていましたが、これなどは案外そのとおりかもしれないと思いました。

まさに流動食とは対極にある考え方です。

一種の「原始回帰その1」といえるでしょう。

健康のための原始回帰について次回も考えてみたいと思います。


次回の更新は2/22(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2018/02/08 (9:00 am)
タバコほど不思議なものもありません。

私が子供のころは在来線の電車の中にも灰皿がありました。

タクシーの中にも喫茶店にもありました。

駅のプラットフォームにも、もちろん新幹線の中にも、飛行機も、です。

小学校1年生の担任の先生がヘビースモーカーだったので、教室の机の上にはアルミの灰皿がありました。

いつの頃からか、たとえば新幹線には一部に禁煙車両ができました。

現在は、というとご承知のとおりです。

タバコの箱には「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。疫学的な推計によると、喫煙者は肺がんにより死亡する危険性が非喫煙者に比べて約2倍から4倍高くなります」と注意書きがしてあります。

商品にあえてそのリスクが書かれているのです。

なんとも不思議な商品です。

「健康に悪いことがわかっているのに喫煙しているのはおかしいではないか。あなたがそれによって害した健康の回復にタバコを吸わない私の納める税金が使われるのは納得がいかない」

喫煙者ではない人がこう考えても無理はないと思います。

ところが医療経済学の算定するところによれば、喫煙者がいなくなると医療費はかえって多くなることがわかっています。

つまり、喫煙者はがんや心筋梗塞を患う確率が高い分死期が早く訪れ、従って医療費もそれ以上はかからないということです。

釈然としませんが本当の話、この事情はまことに皮肉なパラドックスというほかありません。

この矛盾を解くとすれば「皆できるだけ医療費を使わずに長生きができること」をめざすしかありません。

やはり喫煙はさけたほうがよいのです。

タバコほど不思議なものはありません。


次回の更新は2/15(木)です。
2018/02/01 (3:10 pm)
早いものでもう2月です。

以前このブログでもご紹介しましたが、私は昨年の11月から「体温をあげる入浴法」に切り替えてみて、何となく冷えなどが少なくなってきたような気がしています。

ただ逆に、ひとつ「身体の乾燥」という懸念が出てきました。

冬場のことなので発汗も少なく水分が奪われる機会は少ないだろうと考えていたのですが、くだんの入浴時の発汗もともかく、ここのところ非常に空気が乾燥しているので、これがなかなか軽視できないようなのです。

部屋の湿度計をみても20%を下回っている日が多いのです。

理想的な湿度が40−70%程度と考えると、これは相当に乾燥しています。

水分補給はいとも簡単、「ただ水を飲んでいればよい」、基本はそれにつきます。

しかし先日ためしにドラッグストアでアイソトニック(等浸透圧)の飲料(経口補水液というものです)を買ってやや意識的に試してみました。

「だいぶ違うな」というのが私の率直に受けた感覚です。

ビールと水の違いを考えてみてもわかりますが、同じ液体ではあっても水をジョッキに一杯飲むのはかなりきつく、ビールならスムースに行きます。

ビールとアイソトニック飲料では飲み下しやすい理由がちがいますが、ともかくアイソトニック飲料は体液に近い組成でつくられているためとても吸収されやすい、これは実感としてもかなりはっきり得られることが今回改めてわかりました。

また、そういった飲料には電解質も補えるようになっていますのでこれも体液のバランスを整える上で一役買っていることでしょう。

ヒトを含め動物の身体はある栄養素が足りない場合には自分のからだのパーツを取り崩して生きてゆくしくみを備えています。

なので、少々の飢餓状態でもすぐに生命にかかわることはありませんが、最も基本的な水分についてもそういうことは当然、つねに起こっているわけです。

水分不足になればまず「のどの渇き」がくると思うのですが、冬場の乾燥のもとではどういうわけかあまりそれがないのかもしれず、何も飲まないでいてもとくにに苦痛を感じることは少ないようです。

湿度が20%以下といえば室内に洗濯物を干しておいても簡単に乾いてしまうような状況ですが、身体からもやはり同じように水分が出てゆくことを考えればほんとうにじわじわと、しかし間断なく水は奪われているのだと思います。

水がタイムリーに供給されない場合、常時水を必要とするすべての身体細胞(それはほんとうに全身の細胞ですが)はなんとか身体にある水分をシェアしながらやりくりするモードに入って行きます。

しかし慢性的にはみずみずしくあるべき細胞が漬け物のようにしぼんでしまうとこれはもはや皮膚など見た目だけの問題ではなく生命そのもののピンチにつながります。

湿度の低い冬場の環境では実はこういった、かなり根本的なリスクに常にさらされているということになります。

それを補給することによって即効的に体細胞の基礎を充実させることができるという意味において、また好ましい体感が即時に得られるということにおいて、アイソトニック飲料は非常に重要な機能性食品といえると思います。

赤ちゃんの身体の水分は75〜90%に及ぶのに対し、高齢者のそれは50%そこそこに落ち込みます。

「しわくちゃの老人」でなにが悪い、という考えもあるのでしょうが、水分をしっかり担保するということも立派な(そして非常に手軽で身近な)アンチエイジングの方法に相違ありません。


次回の更新は2/8(木)です。
カテゴリ : 食生活 : 
2018/01/25 (9:00 am)
前回のお話では、あれこれ選択できる場面で何を選ぶか?ということについて食材と栄養成分の情報をたくさん知っていることの意味について考えてみました。

今回は習慣性のある食行為について考えてみたいと思います。

肉を食べるか魚を食べるか、和食にするか中華にするか、これが純然たる選択肢だとするとあまり選択の意識なく習慣化される食物の筆頭は主食です。

日本人は比較的パン、あるいは麺類をよく食べる国民といえるかもしれませんが、それでもお茶碗にごはんという方が多数派でしょう。

白米が健康に悪い、といったことは例えば糖尿病やその予備軍に属する方にとってはかなりあてはまります。

いまや糖尿病とその周辺には一千数百万人の人が該当するわけですから、これは由々しきことではあります。

一昔前(たとえば40年くらい前)までは、まさかお米に悪玉の側面があることなどはほとんど知られていませんでした。

白米の問題点はそれが速やかに分解されて食後の血糖値が急激に上がってしまうこと、つまり栄養価が高すぎることです。

これに対する対案として、たとえば玄米食に変えるといった知恵があります。

100%玄米のごはんを食べられた方もあるかと思いますが、これはなかなか手ごわいものです。

固くてすぐに飲み込めない、味も食感もあまりよくない、ちょっとつらいな、というのが正直な感想です。

宮沢賢治なら「一日に玄米4合」を食べたかもしれませんが、これはどうして相当なものです。

おいしくなければ、あまり食も進みません。

玄米の特性として殻(ぬかの部分)が固いので何度も咀嚼が必要です。

というわけで一膳も食べればもう十分という感じになります。

一方上質の白米なら、どうでしょうか。

美味しいおかずと共にあまり噛まずに掻っ込むようにつるりと食べてしまえて、まことにハッピー、血糖値があがって満腹感が出る前なのでお代わりが欲しくなります。

玄米 vs. 白米の対比はまさにこの「玄米の欠点こそが健康メリットの源泉」、「白米の長所は健康に不利」というパラドックスの典型といえます。

白米が悪玉などということは本来逆で、玄米が食べにくいからこそ苦心して美味しい白米を日本人は選抜し続けてきたのです。

けれども、よく噛むことのメリットは歯にも良いし脳にも適度な刺激となります。

固い食感のもとになっている殻(ぬか)部分には豊富なミネラルやビタミンB1が含まれています。

そして一気に食べられず、殻が消化酵素の効きにブレーキを掛けますので血糖値の上りは非常にゆるやかになります。

ゆっくり食べると食事が終わりきらないうちに満腹感も押し寄せてきて過食に陥る心配もありません。

お茶碗でご飯を食べることが日本人の習慣であるとすれば、たとえば一年間1千回の食事のうち半分を玄米食にした場合としなかった場合ではかなりの健康効果に差が出てくることが予想されます。

これはまず中高年以上の人に向けての食養生ですから食べ盛りの中高生は白米を掻っ込んでくれればよいと思います。

というわけで食の中でも習慣に近い選択肢についてはそれなりの決断をするのがコツだといえるでしょう。


次回の更新は2/1(木)です。
2018/01/18 (9:00 am)
さまざまな食品の中に、さまざまな健康によい成分が含まれています。

例えば青魚には血液をさらさらにするω-3脂肪酸(DHA/EPA)が含まれています。

肉の赤身には脂肪燃焼に不可欠なL‐カルニチンが含まれています。

サケの切り身には活性酸素を消去してくれるアスタキサンチンが含まれています。

鶏の胸肉には疲労に効くヒスチジンペプチドが含まれています・・・・

これらは、どれもその通り、事実です。

この調子で、ナッツ、納豆、温州みかん、赤ワイン、コーヒー、海藻、ニンジン、キノコ、乳酸菌・・・と挙げてゆけば本当にきりがなく、結局のところ「一日30種類以上の食材を採ることを目標にしよう」といったところに落ち着いたりします。

こんな「食材Aには有効成分Bが豊富に含まれている」ということの続きに来る言葉の代表格に「しかし、有効量を摂取しようとするとシイタケを毎日700グラム摂ることが必要だとか、ブロッコリーなら10キロ要る」などというものがあり、最後にはそんなに食べることができないのでサプリメントの形で採りましょう、となります。

また中には手のひらサイズのステーキ、サケの切り身ひと切れ等々、そこそこ常識的な量を食べればよいとされるものもあります。

しかしその場合でも毎日食べ続けるとなるとどれも非現実的です。

もちろん何かに特化したサプリメントを継続摂取して様子を見守ることには十分な意味があるのでしょうが、それにしても10種類も20種類も長期にわたって飲み続けることは経済的にも物理的にも無理があります。

だとすれば、こういった食品情報や成分知識についての蘊蓄(うんちく)には利用価値がないのでしょうか?

それについて私は、次のように思います。

食事は一生涯だいたい一日に3回、なのでたとえば10年であれば約1万回超になります。

これだけの回数になると「何を食べるか」ということについて個人差がそれなりに発生しても不思議ではありません。

例えば私は今年60歳になりますが、ここから先の1万回で何を食べるかはその先の10年間にかなりの影響を与えることは確実でしょう。

食生活というのは本来完全な個人の自由に任されていますから、1万回の食事をするということは1万回の選択(大げさに言えば決断)をしていることになるわけです。

このときに甲、乙、丙という選択肢があれば「最も健康上好ましいとされているもの」と「どちらかといえば問題とされているもの」の中でそれこそ甲乙がつくと思われます。

そう考えると、常にある3択や5択の中で常に「どちらかといえばこれがよい」ということを知っているか無知であるかということの間には大きな差が出てくるに違いありません。

これはサプリメントの選択についてもいえることです。

こういった膨大な数の積み重ねにおいて、健康知識はやはり個々人のQOLに大きな影響を持っているに違いありません。

というわけで「●●には○○が豊富に含まれている」といった情報に対しては一応それらを心得ておいて、選択の場面に際してパッと思い出して有利な方を選ぶという、いわば「ゆるやかなよい選択肢」を積み重ねる習慣が大事だと思うのです。

まだ「一年の計」には間に合う時期ですので是非そんなゆるやかなイメージをもって今年をお始めになってはいかがでしょうか。


次回の更新は1/25(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2018/01/11 (9:00 am)
新年明けましておめでとうございます。

おかげさまでこのブログをはじめてから今年の二月でなんと干支が一巡することになりました。

戌年の私はその二月で何を隠そう「還暦男」です。

「昭和の年齢」でよく引き合いに出されるサザエさん一家の磯野波平さんは54歳だそうですから、それよりも6歳も年長ということで、これはちょっとげんなりします。

還暦といえば赤いちゃんちゃんこ、ですが、どうも私はこれが苦手です。

というのは最近なにかの余興のようなところで無理やりそれを着せられる人を毎年どこかしこで目撃するのですけれど、悪いですがどなたも「まったく似合っていない」。

理由は明らか、いずれもひとえに「若すぎる」のです。

現代の感覚からいえば、たとえば傘寿(八十歳)などでちゃんちゃんこ、というのがちょうど良いのではないでしょうか。

ついでながら先の波平さんのプロフィールをウェブで拾うと「・・・趣味はたくさんあり、囲碁、盆栽、釣り、俳句、骨董品の収集などなど・・・」とあります。

当時の会社の定年は55歳ですから、それを一年後に控えた人物描写としては趣味と言っていかにもそういう感じだったのだなあと思います。

サザエさんの連載が開始された翌年昭和22年の日本人の平均寿命は50.06歳、現在のそれは80歳を超えているわけですから、波平さんは今様に言えば81歳くらいの気構えであったかもしれません。

まあ年頭初回のブログが年齢のことばかりで恐縮ですが、今回ばかりは自然とそちらに意識が向いてしまうようです。

一日でも体調の良い日をたくさん確保して充実した一年にしたいものだと例年にも増して気分を一新しているところです。

どうぞよろしくおつきあいくださいますように、そして、健康いちばんでつつがなくお過ごし頂けますように!


次回の更新は1/18(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/12/21 (9:00 am)
先週の月曜日の午後に用事を終えて新大阪から新幹線に乗って東京方面に向かいました。

まったく普通に京都を過ぎ名古屋までは定刻に到着したのです。

が、そのあとなかなか列車が発車せず「ただ今車両点検中」とのアナウンスが数回入りました。

そうするうち、ほどなく「別の列車に乗り換えてください」との通告。

遅れた時間そのものはさほどでもなく、私自身もその後順調に目的地の新横浜に到着したのですが、その車両が大いに問題でした。

翌日に「新幹線始まって以来の重大インシデント発生」との報道があり、当該の車両はなんとそれから数日の間名古屋駅の番線に留め置かれたのです。

9日を経た昨日(12月20日)の新聞には「あと3センチで台車に破断、大脱線の恐れがあった」との詳細なレビューがあり、紙面にはJR西日本の役員の人たちが頭を垂れて謝罪する写真が載っていました。

2005年にJR福知山線で車両が脱線して近隣のマンションに突っ込み前代未聞の事故があったことも記事の引き合いに出されていましたが、もう少し故障の発見が遅れていたら他ならぬ自分がさらに大きな事故に巻き込まれていたのかもしれない、そうと思うと改めて背筋が寒くなる思いがしました。

ただ私は今度のことを通じて健康問題も同じようなものだと思いました。

少し異常があると気付いても「まあ大丈夫だろう」とやりすごし、やがて大きな破たんがやってくる。

そしてそのような破たんは(新幹線の台車がそうであったように)少しづつの負荷の積み重なりが一気に表面化してくるのだと思います。

身体の中の筋肉のどこか、関節のどこか、神経や血管のどこかにもしかしたら今この瞬間にもダメージが進んでいるかもしれない。

そこで大切なことは「あれ?ちょっとおかしいかな?」という感受性だと思います。

もちろん健康診断の数値というものもありますが、件の事故車両にせよかなり直前の検査で異常なしとされていたといいますから、やはり異音や異臭に最初に気づいた「岡山あたりでの処置」を自分の健康管理でも行うことが重要なのだろうと思います。

これからいよいよ年末年始の歳時に入って行きますが、みなさま方におかれましてもくれぐれも用心なされますよう。

さて、まだ少し早いですが28日はお休みを頂きまして今年はこれにて筆おさめとさせて頂きます。

新年第1回目は1月11日からお目にかかりたく思います。

今年もこのブログに最後までおつきあい下さいましたこと、改めて厚く御礼申し上げます。

それでは良いお年をお迎えください!


次回の更新は1/11(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/12/14 (8:30 pm)
体調が良いときにそれを意識するというのはまれにしか経験しません。

一方体調がイマイチだなと感じるときはすぐにわかります。

私も最近、今日はかなり身体がきついなと感じることが増えてきたように思います。

ただ、そういうときには過去2−3日あるいは1週間ほどの生活状況を冷静に振り返ってみると何かしら心あたりのある記憶に行き着きます。

手帳など見返しつつ、ちょっとした深酒、睡眠不足、出張などで重い荷物をかついで長距離移動した、少しきついめのマッサージを受けた、椅子から立ち上がるときに机でひざをぶつけた・・・などなど思い当たるふしはあります。

こういったことは即座に自覚症状としてあらわれることは案外少なく、翌日なり翌々日なりに痛みや疲労感となって現れることが多いようです。

うんと若い頃にはこういうことは難なく毎日の睡眠時間中にきれいさっぱりクリアされていたのでしょうが、加齢によって2日、3日と症状の出現や消失に時間がかかるようになってくるようです。

深酒はともかく、睡眠時間や時差のある出張などは多くの場合やむを得ずそうなるわけですから、それに対する作戦はできるだけ速やかにリカバリーをはかることしかありません。

こうやって体調をやりくりしながら日常を切り抜けてゆくなかで、重要なことは以下のようにまとめられると思います。

・注意深く心身の状態を観察すること
・原因を探して見つけること
・その原因に見合う対策をとること(睡眠の取返し。栄養のバランス調整など)

とくに「原因探し」については見過ごされがちですが、やってみる価値は十分にあります。

いくら探しても原因がわからないときには速やかにクリニックで調べてもらうことになりますが、その場合でも「自分の身体の具合に注意深く耳を傾けること」は基本になるでしょう。

こういったことは当たり前にも思われますが、同年代で亡くなってしまった友人などの例を見ていると「無理を重ねて崖っぷちを超えてしまった」ということが現実に起きているようなのです。

くれぐれもご用心、ご用心。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/12/07 (9:00 am)
何度思い知ってもやはり同じことですが、時間のたつのがあまりにも早く感じられます。

仕事で使っている手帳(私は古典的な手帳派です)を繰り直してみると毎日毎日ぎっしりと「用事」が入っています。

というか、1年が終わってみると「用事」はすべて「記録」と化しています。

日々メールでのやりとりをこなしている中、考えてみればメールというのはほぼ「他者との約束ごと」で満たされています。

つまり手帳にぎっしり残っている記録はそんな約束事に対する対応の記録でもあります。

もちろんそれらは私から相手の方にお願いをし、それに応えて頂いた記録もたくさん混じっています(お世話様。感謝感謝です)。

一週間に、一か月に、一年間に、いったいどれだけの人との間にどれだけの約束事を交わしたのか、いささか気が遠くなりそうです。

仕事の上での約束事は当然ながら納期を伴います。

時間はたいていこの納期を基準に動いているようです。

そこで被害を受けているのが「納期のないミッション」です。

「自分の自分による自分の為の納期」というものはどうしてもきちんと設定できなかったり、守れないままに時間ばかりが流れて行きます。

もちろん生活の糧を得るために働くということの優先順位が高いことは百も承知ですが、もはや待ったなし!で自分のためのミッションに現実的な納期を設けてゆかなければなあ、といつになく強く思うこの頃です。

前回書いた同窓会で抱いた感想しかりで、時間は有限、というか心身ともに随意に安寧が保たれている時期というのは寿命とは別の「現に保有している貴重品」にちがいありません。

今年はぜひ来年に向かっての「助走の時間」をこの師走にしっかりと確保したいものだと思っています。


次回の更新は12/14(木)です。

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