執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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2017/09/07 (9:00 am)
前回このブログで、私たちのからだの中では大腸だけでなく、これまで無菌だと思われていた臓器にも微生物がたくさん棲んでいることが最近次々に明らかになってきた、そんなことをお話ししました。

つぎにこの話を少し哲学的な問答につなげてみましょう。

いまある臓器(たとえばAとします)について考えたとき、その臓器Aには

1.微生物がいる
2.微生物はいない

このふたつの可能性しかありません。

ここで2.のケースは少し脇に置いておき、1.微生物がいるという場合について考えてみます。

臓器Aに微生物が棲んでいる、という場合、

(ア)その種類や数に何らかの秩序がある
(イ)種類にも数にも特に秩序はない

のふた通りになります。

実際に調べられた結果が出ているわけではありませんが、この答えはわかっています。

(ア)以外にありえない、そうではないでしょうか。

存在の仕方に秩序がないとしたら、そもそも秩序の塊である私たちのからだに問題なく棲んでいられるわけがないからです。

健康な人の便をある患者さんの大腸の中に移し替えたらあっという間に元気になった、というおどろくべき「便置換療法」も、こう考えてくると特に不思議なことでもなくなってきます。

病気というのはもしかしたら体内にいる微生物相の秩序の喪失、と定義されるのかもしれません。

宿主の体調が乱れるから間借り人の秩序が乱れるのか、あるいはその逆なのかよくわかりません。

けれども健康な人には口腔内にも、大腸内、子宮内にもきちんとした微生物社会の秩序が存在しているはずだと考えてみることにさほどの無理はないでしょう。

だとすれば、ちょっとカゼをひいた、ちょっとお腹をこわしたといっては抗生物質を大量投与しようという手法(これこそ近代西洋医学の金字塔のひとつだったはずですが!)はたいへん無謀なやり方に思えてきます。

生物学には寄生、共生ということばがありますが、私たちのからだが健康である以上、同居している彼らはことごとく「共生者」であるにちがいありません。

命を終えた身体からはすみやかにその共生の秩序が失われて腐敗し、ほどなく宿主は骨だけになって風化してゆきます。

けれどもさらに大きな視野からこれをみると、バクテリアやカビに分解された肉体は炭酸ガス、水、アンモニアなどになって土や大気にもどってゆくことにも思い至ります。

これも立派な地球レベルのスーパー秩序にほかなりません。

「ばい菌」の哲学問答、いかがでしたでしょうか?


次回の更新は9/14(木)です。
2017/08/31 (9:00 am)
この前あるセミナーで体内微生物に関する話を聞いてきました。

昨今急速に研究の進んでいるのは腸内細菌の世界です。

セミナーではもちろん腸内細菌の話も盛りだくさんでしたが、「体内微生物」になると大腸に限りません。

たとえば口の中にも微生物はいます。

歯周病菌は有名です。

それから胃の中にはピロリ菌が棲んでいます。

あまり知られていませんが小腸にも相当な数のバクテリアがいます。

驚いたのは無菌だと思われていた子宮の中にも微生物、とくにラクトバチルス菌がたくさん存在しているという話です。

けれども改めて考えてみると、口腔が外界と接していることからわかるように、あらゆる消化管は体内ではなくて「体外」です。

空気中にたくさんの微生物がいる以上、口腔、鼻腔、肺、皮膚などにもそれらが存在したとしても不思議はありません。

さらに胃から小腸、大腸に至る消化管もひとつながりのトンネルですからこれらのことごとくに微生物がいることも納得できます。

子宮は一応「体内」に分類されていますが、トポロジカルな構造からいえば「体外」の一種とも考えられます。

ところが最近の研究では卵巣などにも微生物が暮らしている、ということがわかってきているそうです。
卵巣といえば、これは完全な体内ですから、こんなところにも「部外者」が棲んでいるというのはびっくり仰天です。

こうなれば心臓や脳なども(今はまだ知られていませんが)例外ではないのかもしれません。

大腸の細菌叢は腸内フローラと名付けられテレビなどでもよくみかけますが、そもそもこの数は500兆個とも1000兆個ともいわれる凄まじい数です。

ヒトの細胞の数が30-60兆ということからして、そもそもどちらが主役なのかわからないほどです。

これまで無菌と思われていたところにもそうではないのだということがわかってきたのはそういう微生物を培養せずに正確に検出できる技術が発達してきたことによります。

これからもまだあっとおどろく体内微生物が発見されるに違いありません。

また大事なことは、そんな「部外者たち」がそこかしこにはびこっている状態とわたしたち自身の健康状態が密接に関係しているはずだということです。

次回はそのことについて考えてみたいと思います。

本日8月31日はところによっては10月なみの気温になるのだそうです。ご自愛のほど。

ではまた来週!


次回の更新は9/7(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/08/24 (9:00 am)
科学的なトピックスが発表されて一般の新聞に報道されることはよくあります。

そういった発表について改めて考えてみますと、えっ?ホント?!と驚くような場合と、昔から広く知られていることが改めて科学的に証明された、という場合の2種類に分かれるような気がします。

特に後者の場合は「何を今さら」と思うこともあります。

「腸内細菌が脳に影響を与えている」ということを実践的に示した「便置換療法」という施療方法があります。

健康な人の便をうつ病や不定愁訴に悩まされている人の大腸に注入すると瞬く間に症状が消失して行ったという事例です。

これなどはえっ!ホント!?とびっくりしましたね。

「病は気から」という養生訓のようなことが医学的に証明されたと、今月の16日に北海道大学の遺伝子病制御研究所から発表されました。

こちらは「何を今さら」の部類に思えました。

ストレスだけを与えたマウスは死なないけれど、CD4という物質と免疫にかかわるT細胞をマウスに注入しておいてストレスを与えると脳に微小な炎症が起きて突然死がおこる、という発見です(ここまで知ればなかなかすごい、と思います)。

「病は気から」ということは迷信ではなく、ほんとうのことだろう、ということは多くの人があまり疑いもなく心得ていることでしょう。

「あたりまえと思っていたこと」が「実はそうじゃなかった」というのも科学トピックスになりますが、「やはりそのとおりだった」ということもトピックスになります。

あたりまえのことでも「なぜそうなのか」という説明がついてくると、病気の治療などに積極的に応用できる可能性も出てきます。

今回の北大グループの研究も今後はキラーストレスやアルツハイマー病などの克服に一役買う可能性が示唆されています。

閑話休題。私も体調がいまひとつすぐれず、胃の調子が悪かったり妙に肩こりが激しかったりという不快感に襲われることがあります。

先月一度そういう状態になって困りました。

ところが、あるちょっと重い仕事(たくさんの細かい資料を作らなければならないような仕事)が終了し、提出してしまったとたんにいっさいの不調が泡のように消えていきました。

それは見事なものでしたので、以来私はどこか体調がよくないな、と思うときには何か心に引っかかっているストレスや心配ごとがないか探すことにしました。

こいつはしんどいからこの辺でやめておこう、と引き延ばすよりも少々無理してでも気になる仕事なら片付けてしまうこと、これも健康を手に入れるひとつの養生訓かも知れないなと思うようになりました。

もっとも「きつい仕事」はつぎつぎに出現してくるわけではありますが・・・!


次回の更新は8/31(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/08/17 (9:00 am)
ヒトの進化の歴史の中でもネアンデルタールはとくに有名です。

彼らは大きな脳やがっしりした体躯をもち、毛皮など来て暮らしていたようです。

彼らは旧人とよばれ、基本的には現生人類(新人:ホモ・サピエンス)とは異なる種とされています。

一方2万年ほど前に生きていたとされるクロマニョン人の化石が欧州で発見されていますが、彼らは私たちと同じ新人の仲間です。

クロマニョン人の手によるラスコーの洞窟画をご存知かと思いますが、あの伸び伸びした線で表現された牛や馬の姿を表現する知性は驚きよりも同じ「人間種」として親近感をおぼえます。

同じ種ですからもしクロマニョン人の赤ちゃんを現代社会で育てたとすれば私たちと同じレベルの言語を操り、パソコンやスマホを使って遊んだり仕事をしたりするはずです。

2万年くらいの時間幅では遺伝子はほとんど変化しません。

だとすれば当時の彼らが一生の間に接する情報量はずいぶん少なく、脳のキャパにはたいへん余裕があったと思われます。

べつにクロマニョン人を持ち出すまでもなく江戸時代や明治あたりの生活でもひとりの人間が朝起きてから寝るまでにやりとりする情報のビット数はたかが知れたものだったはずです。

それに比べてのべつまくなしにスマホをいじったりメールのやりとりをしたりしている今のわたしたちの情報量はまったく比較にならない膨大さです。

2万年前になぜこんなに大きな頭脳のキャパが獲得されたのかはほんとうに不思議ですが、私が知りたいのはその限界まであとどのくらいあるのだろうということです。

せめて「まだかなり余裕がある」のか「すでに限界に近いのか」ということくらいわかりたいものだと思います。

ただ、うつ病などの心が折れる状況の人や「睡眠負債」を持っている人が相当いるらしいという状況からすれば「すでに限界近し」ということなのかもしれません。

それにしても寝床にまでスマホ(という電子頭脳)を持ち込んで暗闇の中で情報を浴びているごく一般的な現代人が、人類史上はじめての、かなり極端な脳への刺激体験を通過していることはまちがいないでしょう。

昨今進化が著しい人工知能がそんな私たちの脳を余裕のある方向に運んでくれるのか、さらなる窮地に追い込んでしまうのか、そんなことがとても気になる今日この頃であります。


次回の更新は8/24(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/08/10 (9:00 am)
わたしたちが食べる食品や食材は非常に多岐にわたっています。

一日に30種類以上の食物を食べましょう、とも言われます。

さらに実際の肉や魚、くだものや野菜の中にはさらにおびただしい数の成分が混在しています。

おそらく一つの食品の中に含まれている成分は少なく見積もっても30種類は下らないでしょう。

そう仮定すると、30種類の食物を食べるとその中の成分は(重複もありますが)まあ数百種類以上ということになるのではないでしょうか。

すばらしいのは、それだけいろいろなものが混在していてもそれらが消化管を通過して行く間に各成分ごと、確実に決まった扉から体内に吸収されて行くということです。

たとえば肉を食べたとき、そこに含まれる20種類ほどのアミノ酸は「アミノ酸専用」の扉から吸収されて行きます。

調理に使った塩に含まれるナトリウムも決まった入り口から入って行きます。

水でさえアクアポリンという専用口(受容体:レセプター)から細胞の中へ入って行くのです。

これは驚くべき精密なソーティング(決まったものをその種類ごとに分類して集めてゆくしくみ)です。

無数の成分が美しくソーティングを受けて取り込まれ、さらに肝臓に運ばれてもっと厳密に分類され、腎臓で要不要に応じて取捨選択された後に血流に乗って身体中のひとつひとつの細胞にくまなく必要なものだけが必要な量だけ届けられるというわけです。

この気が遠くなりそうな仕事を、身体は生まれてから死ぬまでまったく休まずに続けています。

前回このブログで「使わない臓器は加齢とともに店じまいをはじめる」という話を書きましたが、この観点からいえば「使わないレセプターは退化する」可能性があります。

こういうすばらしい仕組みを利用しないのはとてももったいない。

できるだけ色々な食材を楽しむことはやはり理にかなっています。


次回の更新は8/17(木)です。
カテゴリ : 健康のための運動 : 
2017/08/03 (9:00 am)
「死に仕度」などというと縁起でもないことに聞こえますが、生きとし生けるものは生まれた瞬間から死に向かって進んでいるとも言えます。

とくに成長期が終わってしばらくしたころ、たとえば30代の中盤以降はこの「死に仕度」というコトバがリアルなものになってきます。

中年以降にお腹が出てくるのは筋肉の減弱によって脂肪燃焼の場が失われ、過剰になった分が徐々に内臓や皮下に溜まってくることの具体的なあらわれです。

この「死に仕度」の典型的な一側面に「廃用性萎縮」という現象があります。

これは「からだの使わない部分」がどんどん小さくなってゆくということです。

たとえば眼などでも非常に長時間覆いをして何も見ないようにすると眼が休まるどころか視力が失われてしまいます。

また筋肉や運動神経も使わなければどんどん「店じまい」が進んでゆきます。

イメージ的にはラストオーダーが近づいたレストランのような状態です。

ここで閉店時間を延長するには「お客が入ること」つまり「使う」ことが重要です。

と、ここまでは比較的常識的なことで、だからこそ中年以降の人々はウォーキングをしたりジムトレをしたりという対応策をとっているのだと思います。

ただし、ここで大切なことはからだを一時に過度に使いすぎないということです。

たとえばテーブルのへりを使って20回くらいの斜め腕立て伏せのようなことをしますと、からだは「あ、まだお客さんがいるんだな」と気付きます。

そうすると、筋肉や関節というお店に対して「あたらしい材料の仕入れ」を命じます。

仕入れの指令を具体化するのが遺伝子です。

つまりヒマであることを察知して店じまいをリードして行くのは遺伝子の眠りなのです。

生物の遺伝子はその時その時の状況に応じて必要な部分だけが読み取られながら生命活動をつつがなくすすめて行きますがオーダーが来ないとなるとさっと閉店したがるようにできているのです。

中年以降はとくにそれが顕著になり、ちょっと使わないでいると「あ、もういらないんだね」とそっぽを向いてしまうという感じになります。

ですがごくわずかな刺激を与えてあげることでそっぽをむいて眠りに行く遺伝子を目覚めさせることができます。

つまり、大切なことはからだの各所に向けて小さな刺激を絶やさないということです。

筋肉を使う、関節を動かす、五感を使う、時には大声で歌う、感動や緊張の一瞬に立ち会う・・・これが「死に仕度」をしたがるからだに送るべきメッセージです。

廃用性萎縮は内臓にもおこります。

きちんと咬み、飲み込み、そこそこに食べ続ける、ということも立派な刺激です。

ただし、はげしく使った後には回復する時間や栄養を十分にとってあげることも必要です。

「心を込めて準備中」という札がかかっている午後3時のレストランのように、仕込みや癒しの時間をよいタイミングで与えてあげることもコツです。


次回の更新は8/10(木)です。
2017/07/27 (9:00 am)
元祖スポコンもの『巨人の星』は少年マガジンに連載されていました。

読んでいた私は小学生でしたからなんともう半世紀前(!)にもなります。

星飛雄馬は根性の塊、それを描くのに最適だったのはモーレツなウサギ跳びでした。

中学に入ってから運動クラブに混じった私もこのウサギ跳びはずいぶんやらされました。

効果はかなり絶大で、あっという間に足腰強靭、ぽっかり腹筋が割れました。

大汗をかいても水を飲むな、が一種の美学でした。

補水なしのウサギ跳びは昨今さすがにすたれていますが、当時はデメリットなど知る由もありませんでした。

夏休みにはプールサイドで甲羅干し、真っ黒になるのを競いました。

海水パンツのあとがくっきりツートーンになるのが二学期に向かう勲章のよう、のみならず夏場に焼いておくと冬に風邪をひきにくくなるともいわれていました。

ある日、こういった健康常識はまっさかさまの評価を受けるようになります。

研究云々というまでもなく、今の夏の猛暑、日照りのきつさは異常に思われ、眼や肌がヒリヒリしてくるのはまぎれもない実感です。

先ごろ亡くなられた日野原先生はプロの医師でもありますが、医者の不養生と言われるようにほんとうの養生の達人は知識や理論を超えた観察を絶やしません。

養生訓を残した貝原益軒はあの当時で83歳まで生きていますから説得力がちがいます。

遺伝子も腸内細菌もエネルギー代謝も何もしらなかった昔の達人は、ただただ己のからだとの対話だけをたよりにいろいろな気付きを重ねていったのです。

知識によらず観察による強み、この夏もなにか自分なりに気の利いた養生訓をみつけてみたいものだと思います。


次回の更新は8/3(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/07/20 (9:00 am)
医師の日野原重明さんがこの火曜日に105歳の大往生を遂げられました。

たとえば85歳の方でも私から見れば「かなりのご高齢」だと思いますが、105歳というのはそこからさらに20年もあるということになります。

20年という時間があれば人間相当いろいろなことができます。

私はもうすぐ還暦(!)を迎えるのですがそこから105までの距離となると実に45年、これはもう一度べつの人生を生きるのと同じともいえそうです。

こういうと「そうはいっても15歳から60歳までの45年と60歳から105歳までの45年の生産性は同じではない」といった声が聴こえくるかもしれません。

日野原先生がたしか90歳すぎのときに書かれた本だったと思いますが、自分は激務に追われていて睡眠時間も極めて短く、週のうち2−3日は徹夜することもある、起きている間はずっと仕事をしている、講演や原稿執筆のアポイントメントがもう数年先まではいっている、よくこれで過労死しないものだと思う、こう述べられていてびっくりしたことがあります。

また、95歳になれば少しは自分の時間も取れるだろうからゴルフをはじめるつもりだ、ともありました。

さらに驚いたのは97歳当時の著述の中、なんと、2年前からはじめたゴルフがたのしい、と!

95歳でゴルフ開始というのはシャレでも出まかせでもなかったのだ、と思わずうなりました。

テレビで「私は電車の中でもつねに仕事をしていますよ」とも話しておられるのをきいたこともありました。

おそらく先生が100歳少し前あたりのころだったと思いますが、そのころわたしは偶然京都から新横浜に向かう新幹線の車両で日野原先生の姿をお見かけしたことがあります


夜更けの時間でしたので、同じ車両に乗っていた多くの人たちはほぼほぼ眠り込んでいました。

わたしは下車駅に近づいてきたところで手洗いに席を立ち、その時に先生をお見かけしたのです。

先生はせまいテーブルの上に広げた原稿用紙に向かってマス眼もかまわず大きな字で一心不乱に執筆をなさっておられました。

テレビのコメントのとおり。

先生がご自身の生活について公に語られた信じがたいエピソードはことごとくほんとうのことだったようです。

人間ドックや生活習慣病といった今日一般名詞として語られる医療概念を提唱し、最期までみごとに実践して来られたその後ろ姿は私のような一面識もない人間にさえ健康や人生について大きな影響を与えられました。

60歳からの45年の人生の密度や生産性は、やりようによっては決してその前の45年に劣るものではないのだよ、と説きながら人生の達人は静かに逝かれたように思います。 

改めて新鮮な気持ちで生きていきたいものだと思います。


次回の更新は7/27(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/07/13 (9:00 am)
佐藤一成さんはAI将棋ソフトの『ポナンザ』を開発した人です。

最近佐藤さんのプログラム開発について書かれた本を読みました。

いろいろ疑問に思っていたこと、不思議に思っていたことがたいへんわかりやすく説明されていて、読みながら思わず興奮し、何度もうなってしまいました。

ここ10年くらいの間に読んだ本の中で最も衝撃的だったかもしれません。

囲碁やチェス、将棋というのは勝ち負けがはっきりしている上、「現在の人類最強者」が厳格に定義づけられています。

ですから、最高レベルの将棋や囲碁を理解できない人、AIなんてまったくわからないという人(いわば一般市民のほぼ全員がそれに属するといってよいわけですが)にもそのすごさが理解できます。

ただ、重要なことはこのゲームの世界の話はそこにとどまらないというところです。

つまりそれくらい高い精度で人間の最高度の知的作業をできるのであればこんなこともできるのでは?あんなこともできるのでは?という想像が私のような素人にも働かせられます。

実際それはそのとおりであるらしく、たとえば自動車がほんとうに「自ら動く車」になれる(すなわち完全自動運転)というのはそう遠くない将来のことだといいます。

従来のコンピュータは一秒間に何回計算できるか、といったところに論点がありましたが、昨今のAIはそういう腕力的な性能も(「京」に代表されるように)さることながら、自分でデータを学習しながら人間が考えつかなかったようなこともやってのける可能性があるという点でまったく存在感がちがいます。

ポナンザを開発した佐藤さん自身がすでに「彼」の考えていることをもはや説明も想像もできない、とコメントしています。

また、AIの特徴はその進歩の速度が直線的ではなく指数関数的だというところにもあります。

AIの学習速度ははじめのうちはのろいようでも、状況が整ってきたらあっという間にとんでもないレベルに行ってしまうのです。

コンピュータ将棋そのものはだいぶ以前からありますが、ポナンザは誕生してからわずかに10年。

14歳の藤井四段もすごいですが、ポナンザは10歳で名人(というか全人類)の力量を追い越してしまったということです。

昨今では本当に強い棋士はコンピュータの手筋を取り入れることによって競争を勝ち抜いているといいます。

いまのところまだ「昨今」などと言っていますが、そのうちそんなことはあたりまえになるでしょう。

もちろん私のような素人がポナンザの手筋を見ても何もわかりませんが、最高レベルの棋士にはそれがわかるということで、こうなるともう何だか雲の上の神の対話の様相を呈してきます。

さて、そんな有能な機械に私は何をしてほしいかというと、われわれが健康でいるためにはどうすればよいか、ということについて名人将棋ばりのレベルで指南してくれるような仕事です。

ただし、そんなに健康で長生きして何がうれしいのか?そこのところは永遠に「自分で考える」しかないように思います。

そんなことないでしょうか?


次回の更新は7/20(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/07/06 (9:00 am)
干ばつに近い空梅雨の日が続いたかと思うと、昨日は記録的な集中豪雨がやってきました。

一夜明けての被災地の状況が心配です。

適度に、ということは何ごとにつけても大事なことだなあと思います。

たとえばお酒の飲み方について節度を教えることばにもいろいろあります。

一週間に2〜3日は「休肝日」にする、お酒といっしょにタンパク質をたべる、お酒の1.5倍量の水を飲む、寝酒はしない・・・などなど。

どれにもそれなりの効果があるのでしょうが、最近の私の実感では「深酒をしないこと」につきるように思います。

個人差はあれども、アルコールの代謝には相当なエネルギーが要ります。

代謝が遅れるとアセトアルデヒドが残り、これが不快感をひきおこしたり消化管にダメージを与えたりもします。

若いころには少々のことは素早くリカバーできていたはずですが、中年以降になるとどんな復元にも時間がかかってしまうことは節理です。

今年は6月からすでに猛暑日が各地で記録されています。

天気予報のサイトには熱中症や紫外線リスクの情報が出ているところもあります。

地球の気候そのものがシビアになると、それもダメージ要因に加わってきます。

日中過剰な紫外線を浴び、熱波におそわれ、水分不足になり・・・そんな日々の中では夕方以降のアルコールのダメージもより強くなってしまうでしょう。

ネガティブなことばかり考えていても仕方ありませんが、九州北部を襲う濁流の映像や「観測史上初めての降水量」という気象庁のコメントをみているとわたしたちの身体にも何がしかの「生まれて以来はじめての強いダメージ」を知らず知らずのうちに受けてしまっているのではないか、という気がしてきます。

アブノーマルな天候・気象をかいくぐることは人それぞれに新しい養生訓をかんがえながら過ごすことであるのかもしれません。

ちなみに、低気圧と身体の不調は「内関(ないかん)のツボ」を10回程度指圧することが対策になるということです。

このツボは脈拍をはかるときの人差し指の位置付近にあります。

あの手この手でマイナスから±ゼロへ、そしてプラスに転換しながら乗り切りたいものです。

七夕の笹飾りにはそんなメッセージを託したいと思います。

つつがなく、たのしい夏をおすごしくださいますよう・・・!


次回の更新は7/13(木)です。

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