執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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カテゴリ : 健康 : 
2017/09/28 (9:00 am)
ローカーボダイエット(炭水化物制限食)やケトン体ダイエットの話をよく耳にします。

炭水化物をカットして健康になろうというわけです。

ローカーボにすると脂肪が燃焼し、ケトン体が生成します。

ケトン体は急激に過激な運動をした時にも増えてきます。

つまりケトン体は糖質が欠乏してきたときに生き伸びるための非常食です。

非常食を毎日たべる・・・これはおかしい・・・ですね。

教科書にもケトン体が増えるのはよろしくない、たまってくると過疲労感や倦怠感、筋肉痛などが起こる、できるだけこれは避けたい、と書かれています。

ケトン体ダイエット提唱者はそれに反抗します。

ですが、糖質はビタミンCやビタミンEなどのリサイクルに必要ですし、何より脳でも筋肉でも最も使い勝手のよいエネルギー源。なので、完全に糖を遮断せよ!などという主張に私はまったく賛同できません。

さて、先日厚労省が発表したところでは2016年の国内糖尿病患者数は1000万人を突破し、予備軍とあわせるとほぼ2000万人になるとのことです。

お隣の中国ではこのスケールはさらに10倍。患者数が日本の人口よりも多いのです。

ホモ・サピエンスが出現してから今まで身体のつくりはほとんど変化していません。

しかし食生活はがらりと変わり、マンモスを狩らなくてもコンビニに行けば24時間どんな食べ物でもお腹いっぱい食べられます。

この穀物(デンプン。カーボ)中心の食事は農耕が発達して以来の劇的な変化です。

飢餓から解放され、平均寿命も格段にのびたのはそのおかげです。

戻りますが、私は炭水化物を目の敵にするケトン体食論者の主張には反対です。

ですがいま、ちょっとズームアウトして地球をグッと遠目から眺め、糖尿病患者数の数、特に中年以降の人口に占める割合を見てみると・・・・やはり人類は炭水化物の食べ過ぎで世界規模の栄養アンバランスの時代を突き進んでいるようにみえるのです。

地球社会の住人はこのあたりで本来のからだの設計思想どおり「カーボひかえめ」の方向を見たほうがよいと思います。

寿命が65歳くらいで尽きていた時代には弊害も目立ちませんでしたが、人生100年時代ではシリアスです。

ただ心配しなくても私たちの食生活から炭水化物を完全に追放することはそう簡単ではありません。

健康を害するということは自分や他人の時間を奪うことにつながります。

「命とはその人が持っている時間のことである」という日野原重明さんの名言がありますが、ひとりひとりが元気でいることは自分のみならず他人の命を延ばしていることにもつながるのですね。

「カーボ控えめ運動」は食糧問題の裏側にある重要な大規模課題だと思います。


次回の更新は10/5(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/09/21 (9:00 am)
国際宇宙ステーションという基地があります。

最近米国でこの関係の仕事をしている人からいろいろ話を聴く機会がありました。

まずこの基地の高度ですが、地上からおよそ400 kmのところに浮かんでいるのだそうです。

浮かんでいる、というとポカンと漂っているようなイメージになりますが、実際には飛んでいます。

どのくらいの速度で飛んでいるのかご存知でしょうか。

なんと秒速7.7 kmです。

この速さだと、地球の周りを400キロの高度で1周するのにわずか90分しかかかりません。

つまり、朝と夜が90分ごとにやってくるのです。

これでは時間の感覚など吹っ飛んでしまいます。

重力は「微重力」です。

この状態では打ち上げ直後、脳や目や血管などすべて膨らんできます。

厳しい訓練を経た宇宙飛行士でも最低3日くらいは非常に苦しいそうです。

しかも、乗組員の人たちには主にフリーズドライ食しかありません(それどころか一歩外に出れば空気がない!)。

そして何より「ただ乗っていればいい」というようなわけにも行かず、様々なプロジェクトを遂行するためにものすごく忙しいわけです。

こういう過酷な状況の下で500日以上も過ごした人もあるわけですから感服するほかありません。

そもそも私たちのからだは血液循環も骨も筋肉もすべて地上の重力、24時間サイクルを基本に設計されています。

そのことごとくが通用しない空間に行くのですから、まともに機能する器官があるほうが不思議といってよいくらいです。

それが火星となると、地球に最も接近した時で5400万キロ、離れているときは1億キロにもなるそうです。

地上の距離とちがって、同じ目的地でもタイミング次第で距離が違うのですね。

ここに行き着くためには数か月を要します(光の速度でも数分かかるわけなので)。

往復時間と火星での仕事の時間を考えると最低でも2〜3年は見ておく必要があります。

天才学者ホーキング博士はつい先日、人類が地球に住んでいられる時間はあと100年だと予言しました。

だから、最も棲むのに適した天体に真剣に移住する計画をたてるべきだというのです。

そのためには途方もない科学の進歩が要求されますが、それはともかく米国の宇宙開発計画では真剣に人類の火星への到達を視野に入れています。

そんな宇宙での人体の適応を考えていると、少々暑かったり寒かったりしても、嵐や竜巻がやってきてもこの地球環境に暮らせることがどれほど快適であることか、改めてそのことのありがたさが身に沁みます。

核爆弾の開発などにうつつを抜かすことのばかばかしさがいっそうはっきりしてくることでもあります。


次回の更新は9/28(木)です。
カテゴリ : 健康のための運動 : 
2017/09/14 (9:00 am)
ボクシング世界チャンピオンの具志堅用高さんが現役時代、ランニングのあとで吐かないような走り方ならしないほうがマシだ、というようなことをどこかで語っていました。

トップアスリートはかくして極限まで身体を追いこんで栄冠を勝ち取って行くのだと知って大いに感動しました。

私もその当時運動部にいましたので刺激を受けましたが、ランニングひとつとってもそこまで厳しい経験をしたことはついぞありませんでした。

ところで実はまったく一生懸命じゃないけれど「何か運動しているふり」をしてみるということは健康にとってまったく意味はないものでしょうか。

たとえば、一日に腕立て伏せを50回、ランニングを10キロ、腹筋を100回などという運動があったとします。

私の経験では中学や高校の運動部でやっていたころのもっともきついレベルでそのくらいだったように思います。

成長期の人間にこれだけの運動をほぼ毎日課するということになるとあっという間に筋肉は増え、腹筋も割れてきます。

これだけの運動負荷をかけることで身体中に活性酸素が発生し、筋肉はずたずたに損傷してしまいますが、それを旺盛に修復することが身体にとっても「日課」のようになっていますから朝起きてから寝るまでの間身体中の筋肉増強モードのスイッチがONになっているわけです。

今の私にはとてもじゃありませんが、不可能です。

ですが、ぐっとレベルを落として腕立て伏せ5回、ランニング200メートル、腹筋15回程度であれば・・・それはほぼ苦痛なくできます。

具志堅さんではありませんが、以前私もそのような軽すぎる運動、運動ともいえないほどの運動であれば「やってもムダ。しない方がマシ」と考えていました。

つまり運動するからには「絶対量」が必ず必要であって、それなくしては意味がない、と考えていたわけです。

たしかに、120 kgのウェイトをあげるとか、試合に出る、そこで勝つというような目標に対しては「やってるふり」程度の運動はナンセンスなことにちがいありません。

ただし運動を競技のためではなく、健康維持や増進のため、と考えると事情がちがってきます。

そもそも高齢期には(ふつうの市民レベルの身体能力の人であれば)そもそも限界まで力を出し切るような運動は短期間でも実行することはできません。

一方だからといって「何もしない」のと「やってるふり。ナンチャッテ運動」をするかしないか、の間にはかなり大きなちがいがあるはずだと思います。

ポイントは運動の絶対量ではなく、身体に「これからこういう負荷がかかるかもよ」という意思表示のシグナルを送ってあげるということです。

何もしなければ沈黙しているだけだった遺伝子に、そういう刺激(ふり)が伝わることによってそれに備えなくちゃ、というアクションが必ず生じるということです。

まとまった運動でなくてもこま切れの早歩きでいい、という話を聞かれたこともあると思いますがこれなども「合計で〇〇キロ歩けばいい」ということではなく、身体にこまめにシグナルを送っていることのほうが重要なのだと考えられます。

予防接種などもその例といえるかもしれません。

弱った菌や死んだ菌を体内に接種するということは、まさに「ナンチャッテ病原菌」を身体に入れて準備させようとする作戦です。

現在まったく運動していないな、という方が居られましたら一日のどこかで「腕立て伏せ5回、腹筋15回を予防接種」することで眠っている遺伝子にシグナルを送ってみてください。

「しないよりマシ」以上のものが得られると思います。


次回の更新は9/21(木)です。
2017/09/07 (9:00 am)
前回このブログで、私たちのからだの中では大腸だけでなく、これまで無菌だと思われていた臓器にも微生物がたくさん棲んでいることが最近次々に明らかになってきた、そんなことをお話ししました。

つぎにこの話を少し哲学的な問答につなげてみましょう。

いまある臓器(たとえばAとします)について考えたとき、その臓器Aには

1.微生物がいる
2.微生物はいない

このふたつの可能性しかありません。

ここで2.のケースは少し脇に置いておき、1.微生物がいるという場合について考えてみます。

臓器Aに微生物が棲んでいる、という場合、

(ア)その種類や数に何らかの秩序がある
(イ)種類にも数にも特に秩序はない

のふた通りになります。

実際に調べられた結果が出ているわけではありませんが、この答えはわかっています。

(ア)以外にありえない、そうではないでしょうか。

存在の仕方に秩序がないとしたら、そもそも秩序の塊である私たちのからだに問題なく棲んでいられるわけがないからです。

健康な人の便をある患者さんの大腸の中に移し替えたらあっという間に元気になった、というおどろくべき「便置換療法」も、こう考えてくると特に不思議なことでもなくなってきます。

病気というのはもしかしたら体内にいる微生物相の秩序の喪失、と定義されるのかもしれません。

宿主の体調が乱れるから間借り人の秩序が乱れるのか、あるいはその逆なのかよくわかりません。

けれども健康な人には口腔内にも、大腸内、子宮内にもきちんとした微生物社会の秩序が存在しているはずだと考えてみることにさほどの無理はないでしょう。

だとすれば、ちょっとカゼをひいた、ちょっとお腹をこわしたといっては抗生物質を大量投与しようという手法(これこそ近代西洋医学の金字塔のひとつだったはずですが!)はたいへん無謀なやり方に思えてきます。

生物学には寄生、共生ということばがありますが、私たちのからだが健康である以上、同居している彼らはことごとく「共生者」であるにちがいありません。

命を終えた身体からはすみやかにその共生の秩序が失われて腐敗し、ほどなく宿主は骨だけになって風化してゆきます。

けれどもさらに大きな視野からこれをみると、バクテリアやカビに分解された肉体は炭酸ガス、水、アンモニアなどになって土や大気にもどってゆくことにも思い至ります。

これも立派な地球レベルのスーパー秩序にほかなりません。

「ばい菌」の哲学問答、いかがでしたでしょうか?


次回の更新は9/14(木)です。
2017/08/31 (9:00 am)
この前あるセミナーで体内微生物に関する話を聞いてきました。

昨今急速に研究の進んでいるのは腸内細菌の世界です。

セミナーではもちろん腸内細菌の話も盛りだくさんでしたが、「体内微生物」になると大腸に限りません。

たとえば口の中にも微生物はいます。

歯周病菌は有名です。

それから胃の中にはピロリ菌が棲んでいます。

あまり知られていませんが小腸にも相当な数のバクテリアがいます。

驚いたのは無菌だと思われていた子宮の中にも微生物、とくにラクトバチルス菌がたくさん存在しているという話です。

けれども改めて考えてみると、口腔が外界と接していることからわかるように、あらゆる消化管は体内ではなくて「体外」です。

空気中にたくさんの微生物がいる以上、口腔、鼻腔、肺、皮膚などにもそれらが存在したとしても不思議はありません。

さらに胃から小腸、大腸に至る消化管もひとつながりのトンネルですからこれらのことごとくに微生物がいることも納得できます。

子宮は一応「体内」に分類されていますが、トポロジカルな構造からいえば「体外」の一種とも考えられます。

ところが最近の研究では卵巣などにも微生物が暮らしている、ということがわかってきているそうです。
卵巣といえば、これは完全な体内ですから、こんなところにも「部外者」が棲んでいるというのはびっくり仰天です。

こうなれば心臓や脳なども(今はまだ知られていませんが)例外ではないのかもしれません。

大腸の細菌叢は腸内フローラと名付けられテレビなどでもよくみかけますが、そもそもこの数は500兆個とも1000兆個ともいわれる凄まじい数です。

ヒトの細胞の数が30-60兆ということからして、そもそもどちらが主役なのかわからないほどです。

これまで無菌と思われていたところにもそうではないのだということがわかってきたのはそういう微生物を培養せずに正確に検出できる技術が発達してきたことによります。

これからもまだあっとおどろく体内微生物が発見されるに違いありません。

また大事なことは、そんな「部外者たち」がそこかしこにはびこっている状態とわたしたち自身の健康状態が密接に関係しているはずだということです。

次回はそのことについて考えてみたいと思います。

本日8月31日はところによっては10月なみの気温になるのだそうです。ご自愛のほど。

ではまた来週!


次回の更新は9/7(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/08/24 (9:00 am)
科学的なトピックスが発表されて一般の新聞に報道されることはよくあります。

そういった発表について改めて考えてみますと、えっ?ホント?!と驚くような場合と、昔から広く知られていることが改めて科学的に証明された、という場合の2種類に分かれるような気がします。

特に後者の場合は「何を今さら」と思うこともあります。

「腸内細菌が脳に影響を与えている」ということを実践的に示した「便置換療法」という施療方法があります。

健康な人の便をうつ病や不定愁訴に悩まされている人の大腸に注入すると瞬く間に症状が消失して行ったという事例です。

これなどはえっ!ホント!?とびっくりしましたね。

「病は気から」という養生訓のようなことが医学的に証明されたと、今月の16日に北海道大学の遺伝子病制御研究所から発表されました。

こちらは「何を今さら」の部類に思えました。

ストレスだけを与えたマウスは死なないけれど、CD4という物質と免疫にかかわるT細胞をマウスに注入しておいてストレスを与えると脳に微小な炎症が起きて突然死がおこる、という発見です(ここまで知ればなかなかすごい、と思います)。

「病は気から」ということは迷信ではなく、ほんとうのことだろう、ということは多くの人があまり疑いもなく心得ていることでしょう。

「あたりまえと思っていたこと」が「実はそうじゃなかった」というのも科学トピックスになりますが、「やはりそのとおりだった」ということもトピックスになります。

あたりまえのことでも「なぜそうなのか」という説明がついてくると、病気の治療などに積極的に応用できる可能性も出てきます。

今回の北大グループの研究も今後はキラーストレスやアルツハイマー病などの克服に一役買う可能性が示唆されています。

閑話休題。私も体調がいまひとつすぐれず、胃の調子が悪かったり妙に肩こりが激しかったりという不快感に襲われることがあります。

先月一度そういう状態になって困りました。

ところが、あるちょっと重い仕事(たくさんの細かい資料を作らなければならないような仕事)が終了し、提出してしまったとたんにいっさいの不調が泡のように消えていきました。

それは見事なものでしたので、以来私はどこか体調がよくないな、と思うときには何か心に引っかかっているストレスや心配ごとがないか探すことにしました。

こいつはしんどいからこの辺でやめておこう、と引き延ばすよりも少々無理してでも気になる仕事なら片付けてしまうこと、これも健康を手に入れるひとつの養生訓かも知れないなと思うようになりました。

もっとも「きつい仕事」はつぎつぎに出現してくるわけではありますが・・・!


次回の更新は8/31(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/08/17 (9:00 am)
ヒトの進化の歴史の中でもネアンデルタールはとくに有名です。

彼らは大きな脳やがっしりした体躯をもち、毛皮など来て暮らしていたようです。

彼らは旧人とよばれ、基本的には現生人類(新人:ホモ・サピエンス)とは異なる種とされています。

一方2万年ほど前に生きていたとされるクロマニョン人の化石が欧州で発見されていますが、彼らは私たちと同じ新人の仲間です。

クロマニョン人の手によるラスコーの洞窟画をご存知かと思いますが、あの伸び伸びした線で表現された牛や馬の姿を表現する知性は驚きよりも同じ「人間種」として親近感をおぼえます。

同じ種ですからもしクロマニョン人の赤ちゃんを現代社会で育てたとすれば私たちと同じレベルの言語を操り、パソコンやスマホを使って遊んだり仕事をしたりするはずです。

2万年くらいの時間幅では遺伝子はほとんど変化しません。

だとすれば当時の彼らが一生の間に接する情報量はずいぶん少なく、脳のキャパにはたいへん余裕があったと思われます。

べつにクロマニョン人を持ち出すまでもなく江戸時代や明治あたりの生活でもひとりの人間が朝起きてから寝るまでにやりとりする情報のビット数はたかが知れたものだったはずです。

それに比べてのべつまくなしにスマホをいじったりメールのやりとりをしたりしている今のわたしたちの情報量はまったく比較にならない膨大さです。

2万年前になぜこんなに大きな頭脳のキャパが獲得されたのかはほんとうに不思議ですが、私が知りたいのはその限界まであとどのくらいあるのだろうということです。

せめて「まだかなり余裕がある」のか「すでに限界に近いのか」ということくらいわかりたいものだと思います。

ただ、うつ病などの心が折れる状況の人や「睡眠負債」を持っている人が相当いるらしいという状況からすれば「すでに限界近し」ということなのかもしれません。

それにしても寝床にまでスマホ(という電子頭脳)を持ち込んで暗闇の中で情報を浴びているごく一般的な現代人が、人類史上はじめての、かなり極端な脳への刺激体験を通過していることはまちがいないでしょう。

昨今進化が著しい人工知能がそんな私たちの脳を余裕のある方向に運んでくれるのか、さらなる窮地に追い込んでしまうのか、そんなことがとても気になる今日この頃であります。


次回の更新は8/24(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/08/10 (9:00 am)
わたしたちが食べる食品や食材は非常に多岐にわたっています。

一日に30種類以上の食物を食べましょう、とも言われます。

さらに実際の肉や魚、くだものや野菜の中にはさらにおびただしい数の成分が混在しています。

おそらく一つの食品の中に含まれている成分は少なく見積もっても30種類は下らないでしょう。

そう仮定すると、30種類の食物を食べるとその中の成分は(重複もありますが)まあ数百種類以上ということになるのではないでしょうか。

すばらしいのは、それだけいろいろなものが混在していてもそれらが消化管を通過して行く間に各成分ごと、確実に決まった扉から体内に吸収されて行くということです。

たとえば肉を食べたとき、そこに含まれる20種類ほどのアミノ酸は「アミノ酸専用」の扉から吸収されて行きます。

調理に使った塩に含まれるナトリウムも決まった入り口から入って行きます。

水でさえアクアポリンという専用口(受容体:レセプター)から細胞の中へ入って行くのです。

これは驚くべき精密なソーティング(決まったものをその種類ごとに分類して集めてゆくしくみ)です。

無数の成分が美しくソーティングを受けて取り込まれ、さらに肝臓に運ばれてもっと厳密に分類され、腎臓で要不要に応じて取捨選択された後に血流に乗って身体中のひとつひとつの細胞にくまなく必要なものだけが必要な量だけ届けられるというわけです。

この気が遠くなりそうな仕事を、身体は生まれてから死ぬまでまったく休まずに続けています。

前回このブログで「使わない臓器は加齢とともに店じまいをはじめる」という話を書きましたが、この観点からいえば「使わないレセプターは退化する」可能性があります。

こういうすばらしい仕組みを利用しないのはとてももったいない。

できるだけ色々な食材を楽しむことはやはり理にかなっています。


次回の更新は8/17(木)です。
カテゴリ : 健康のための運動 : 
2017/08/03 (9:00 am)
「死に仕度」などというと縁起でもないことに聞こえますが、生きとし生けるものは生まれた瞬間から死に向かって進んでいるとも言えます。

とくに成長期が終わってしばらくしたころ、たとえば30代の中盤以降はこの「死に仕度」というコトバがリアルなものになってきます。

中年以降にお腹が出てくるのは筋肉の減弱によって脂肪燃焼の場が失われ、過剰になった分が徐々に内臓や皮下に溜まってくることの具体的なあらわれです。

この「死に仕度」の典型的な一側面に「廃用性萎縮」という現象があります。

これは「からだの使わない部分」がどんどん小さくなってゆくということです。

たとえば眼などでも非常に長時間覆いをして何も見ないようにすると眼が休まるどころか視力が失われてしまいます。

また筋肉や運動神経も使わなければどんどん「店じまい」が進んでゆきます。

イメージ的にはラストオーダーが近づいたレストランのような状態です。

ここで閉店時間を延長するには「お客が入ること」つまり「使う」ことが重要です。

と、ここまでは比較的常識的なことで、だからこそ中年以降の人々はウォーキングをしたりジムトレをしたりという対応策をとっているのだと思います。

ただし、ここで大切なことはからだを一時に過度に使いすぎないということです。

たとえばテーブルのへりを使って20回くらいの斜め腕立て伏せのようなことをしますと、からだは「あ、まだお客さんがいるんだな」と気付きます。

そうすると、筋肉や関節というお店に対して「あたらしい材料の仕入れ」を命じます。

仕入れの指令を具体化するのが遺伝子です。

つまりヒマであることを察知して店じまいをリードして行くのは遺伝子の眠りなのです。

生物の遺伝子はその時その時の状況に応じて必要な部分だけが読み取られながら生命活動をつつがなくすすめて行きますがオーダーが来ないとなるとさっと閉店したがるようにできているのです。

中年以降はとくにそれが顕著になり、ちょっと使わないでいると「あ、もういらないんだね」とそっぽを向いてしまうという感じになります。

ですがごくわずかな刺激を与えてあげることでそっぽをむいて眠りに行く遺伝子を目覚めさせることができます。

つまり、大切なことはからだの各所に向けて小さな刺激を絶やさないということです。

筋肉を使う、関節を動かす、五感を使う、時には大声で歌う、感動や緊張の一瞬に立ち会う・・・これが「死に仕度」をしたがるからだに送るべきメッセージです。

廃用性萎縮は内臓にもおこります。

きちんと咬み、飲み込み、そこそこに食べ続ける、ということも立派な刺激です。

ただし、はげしく使った後には回復する時間や栄養を十分にとってあげることも必要です。

「心を込めて準備中」という札がかかっている午後3時のレストランのように、仕込みや癒しの時間をよいタイミングで与えてあげることもコツです。


次回の更新は8/10(木)です。
2017/07/27 (9:00 am)
元祖スポコンもの『巨人の星』は少年マガジンに連載されていました。

読んでいた私は小学生でしたからなんともう半世紀前(!)にもなります。

星飛雄馬は根性の塊、それを描くのに最適だったのはモーレツなウサギ跳びでした。

中学に入ってから運動クラブに混じった私もこのウサギ跳びはずいぶんやらされました。

効果はかなり絶大で、あっという間に足腰強靭、ぽっかり腹筋が割れました。

大汗をかいても水を飲むな、が一種の美学でした。

補水なしのウサギ跳びは昨今さすがにすたれていますが、当時はデメリットなど知る由もありませんでした。

夏休みにはプールサイドで甲羅干し、真っ黒になるのを競いました。

海水パンツのあとがくっきりツートーンになるのが二学期に向かう勲章のよう、のみならず夏場に焼いておくと冬に風邪をひきにくくなるともいわれていました。

ある日、こういった健康常識はまっさかさまの評価を受けるようになります。

研究云々というまでもなく、今の夏の猛暑、日照りのきつさは異常に思われ、眼や肌がヒリヒリしてくるのはまぎれもない実感です。

先ごろ亡くなられた日野原先生はプロの医師でもありますが、医者の不養生と言われるようにほんとうの養生の達人は知識や理論を超えた観察を絶やしません。

養生訓を残した貝原益軒はあの当時で83歳まで生きていますから説得力がちがいます。

遺伝子も腸内細菌もエネルギー代謝も何もしらなかった昔の達人は、ただただ己のからだとの対話だけをたよりにいろいろな気付きを重ねていったのです。

知識によらず観察による強み、この夏もなにか自分なりに気の利いた養生訓をみつけてみたいものだと思います。


次回の更新は8/3(木)です。

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