執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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カテゴリ : 健康 : 
2017/06/08 (9:00 am)
梅雨の時節になりました。

手紙文には「季節の変わり目につきくれぐれもご自愛ください」という定型文がありますが、考えてみれば季節の変わり目はほんとうにしょっちゅうあるなあと思います。

この時期には気圧が低くなっているために、からだが重く感じられたり古傷が痛んだりということがおこりがちです。

手首の脈をとる時に指三本をあてますが、その人差し指あたりの位置に「内関」というツボがあります。

ここを数分間、ゆっくり呼吸しながら5秒くらいづつ指圧すると低気圧の影響を和らげられるそうです(その他乗り物酔い防止にも)。

こういうツボの知識を持っているかどうかで健康状態はずいぶん左右されるのではないかと思います。

たとえば九九やラジオ体操を覚えるように全身の主要なツボを全国民が心得ておけばきっと莫大な健康メリットが生まれることと思います。

注射をしたり採血をしたりするのではなく、薬を飲むのでもなく指圧するだけですから誰でもどこでもいつでもできます。

かく言う私も今回改めて梅雨のシーズンと内関のツボの関係について改めて知ったばかりなのです。

他のツボについてもずいぶんうろ覚えの状態です。

これを機会に毎日少しづつ覚えて行こうかなと思い直しているところです。

栄養学の方はローカーボダイエットやケトン体ダイエット、肉食の是非、ストレッチの方法などなど、賛否どちらの側からもプラスとマイナスが指摘されるような一筋縄では行かない面がありますが、ツボについては一定の体系があるわけですから安心して覚えて行けばよいと思います。

まずは「内関のツボ」を手始めに・・・。


次回の更新は6/15(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/06/01 (9:00 am)
人工心臓、人工心肺、人工腎臓、人工血管、人工皮膚・・と何でも「人工」とつくものが開発され、実用化されています。

さすがに人工脳というようなものはないだろう、と思っていましたがAIが進化してきて今や囲碁や将棋では最高レベルの棋士と同格以上の戦績をおさめるまでになってきています。

苦渋に満ちた表情で敗戦のインタビューに答える名人達人の人たちの様子を見ていると、とうとう機械もこんなレベルにまで達したかという感慨があります。

ほんとうの意味での人間の脳の全体を機械が超えてしまうということは永久にないでしょうが、限定された領域であれば機械の進化には上限はないはずですから「人間はどうやったってAIにはかなわない」というところに、たとえば30年もすれば行ってしまうはずだと思います。

ともあれ、私たちが毎日つかっているスマホやパソコン、カーナビなどにしてもすでにかなりの部分「脳」の代替(あるいはそれ以上のこと)をしています。

コンピュータのことを中国語では電脳と書きます。

鉄腕アトムの頭は「電子頭脳」でした。

つまりコンピュータも広い意味での人工臓器です。

白内障の手術で眼球に挿入するレンズなどはまちがいなく人工臓器、体液の老廃物を濾しとる腎透析は人工の腎臓です。

インプラントの歯、大腿骨折をした人に使われる人工骨とうなども人工臓器としては身近なものです。

こういった人の身体に埋め込むようなデバイスはお医者さんによって据えつけられるものですが、もっと手軽なものたとえばコンタクトレンズ、メガネ、靴なども人工臓器と考えてよいところがあるように思います。

ついこの間、これまで使っていたメガネがだいぶ合わなくなってきたので新しいものにとりかえました。

私の知らない間にメガネ作りの技術もとても進化していて、あの手この手で眼の状態をあっという間に分析してしまう機器にもおどろきましたが、UVやブルーレイのカットはもちろん背後からレンズの内側にはいってくる光の反射まで防いで眼球をプロテクトするようなものが開発されていました。

事実、交換してからは格段に眼の疲れが減りました。

靴もそうです。

一日5000歩ほど歩く場合でも、一年間では200万歩近くになります。

足の裏には多数のツボがありますし、足首、膝、股関節から腰にかけて(あるいは全身の姿勢への)負担の多寡は累計でものすごい差になって現れてくるはずです。

ですから眼にメガネが合っていることと同じく「靴という人工臓器」が足に合っているかどうかということはとても重要なことだと思います。

眼、足、歯などは毎日駆使するものであり、日常の刺激の累計が膨大である点、少しお金をかけてでも十分にフィットしたものを装着しておくことは健康の秘訣といえるかもしれません。

じっくり時間をかけて専門家に相談しながらメガネを選び、買いかえてみて、無造作に外見中心に靴を選んでいたことに思わずハッとしました。

今度はぜひ「進化した靴屋さん」を探してみたいと思います。


次回の更新は6/8(木)です。
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2017/05/25 (9:00 am)
わたしの最近の得意技のひとつはいいレストランや飲み屋さん、喫茶店などを直感でさがしあてることです。

ウェブサイトの口コミ情報などに頼るのではなくてあくまでもお店のたたずまいだけをたよりに探します。

というよりたまたま歩いていたり車に乗って通りがかったりするときに「あれっ?」と気になったら入ってみるわけです。

ここのところ特に運がついているようで、何軒かたて続けに「すごい!」とびっくりするようなレストランやカフェを見つけることができています。

数えたわけではないので正確なところはわかりませんが、どうも最近その「打率」がぐんぐんと上がってきているような自覚があるのです。

ところで脳の奥まったところに大脳基底核という部分があります。

さらにそこには尾状核なる部位がありますが、この領域はいわゆる「直感」がはたらくときに作動していることが最近の研究でわかってきています。

将棋の棋士などはここが非常に発達しているということです。

興味深いのは脳のこの部分というのは年齢が高くなってきてからも訓練次第で鍛えられるのだそうです。

直感とは何か、というとたぶん「言語を介さないである結論に到達すること」といったところでしょう。

あれこれ考えるのではなく、一瞬に結論がわかるということは驚くべき能力だと思います。

言葉を介さないので、自分でもなぜそれがわかったのか、それを他人に説明することができないということです。
齢をとれば脳なんて衰える一方、と思われるのが一般的ですが大脳基底核に関しては加齢とともに発達するのだそうです。

レストランやカフェをウェブにたよらずにみつける、というようなことももしかしたら私の脳の奥が「熟成」してきたせいかもしれないな、などと考えながらちょっと愉快になっている今日この頃です。


次回の更新は6/1(木)です。
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2017/05/18 (9:00 am)
かつて上方で林家小染という噺家がいました。

この人は好角家(相撲好き)でも有名で、懇意にしていた力士も少なくなかったようです。

力士と言えばもちろん大食漢も多いわけですが、小染さんによれば中でも飛び抜けていたのは福の花という人だったそうです。

小染「関取、焼き肉やったらどのくらい食べられますか?」

福の花関「焼肉か、どのくらいやと思う?

小染「さあ、私も噺家の中ではよう食べる方で、7−8人前くらいやったら食べられますさかい、関取やったら20人前ぐらいですか」

福の花関「いやいや53人前や」

小染「53人前!?」

いくら巨漢の力士とはいえこの食欲は超弩級ですが、これに対する小染さんのコメントがおもしろかった「こらすごい。なんせ、ひとクラス分の給食を一人で食べるようなもんでっさかいなぁ!」(爆笑)

なるほど、途方もない胃袋です。

ところでこの前テレビで女性の大食いの人が競い合う番組をみました。

こういう人たちはフードファイターと呼ばれるのだそうですね。

数人の札付きの実力者がハワイで何日かにわたって次々にいろんなメニューを平らげてゆくのですが、1キロのT-ボーンステーキあり一羽丸ごとのチキンあり丼ものありラーメンあり、と、それはそれはこれでもかというくらいのたべものがあっという間に女性たちの胃袋に流し込まれて行きました。

最後の決勝戦となったラーメンでは皆15杯前後も平らげていたと思います。

これを見ていて不思議に思ったのは、こういう女性フードファイターの人たちというのは決して太ってもいないし大柄でもないことです。

見た目はふつう、というよりむしろ小柄な人が多いようにみえます。

以前ギャル曽根という女性フードファイターがどんどん食べているところをレントゲンで撮影しながら調べて行くのを見たことがあります。

論評していた消化器内科のお医者さんも「こんなに大きくなった胃袋はみたことがない!」と仰天していました。

なんでも通常の15倍だかの大きさまで膨張しているんだそうです。

まあそうでもなければ数キロ以上におよぶ食材を食べ続けることはできないでしょう。

ともかくレントゲンでは胴体のほとんどが胃に占拠されているように見えていました。

この人たちの身体がどうなっているのか、想像するしかありませんが、食べた物が吸収されないか、ものすごい速度で燃焼しているか、そんなところでしょう。

しかしもし吸収されないのだとしたら、普通の食事ではもたないはず、なのでそんなことはないと思います。

食べた端からどんどん燃焼しているのだとしたら・・・そのエネルギーは特に運動もしていないのであれば熱になるはずです。

けれども体温は平熱のまま・・・ガンガン燃えている、のでもなさそうです・・・。

仮に非常な速度で燃焼しているのだとしたら、普通の食事をしているときにはたちまちエネルギー不足になってしまうにちがいありません。

力士であれば大きな身体に吸収され、はげしい稽古が求めるエネルギー需要に対応してそれなりにバランスするのだと思いますが、小柄な女性の場合には本当に不思議なことです。

幽門という、胃から十二指腸につながる出口が閉塞したような状態になると「胃拡張」という病気になりますが、この場合にはたちまちにして嘔吐が起こったりして身体が受け付けなくなります。

いずれにしても私はその番組をみている間ずっと不思議だ不思議だと繰り返し思っていたばかりで、感心もしなければとくに面白くもありませんでした。

危険極まりない行為なのでこういう番組は如何なものかと思いますが、そもそもそういう特殊な体質の人は「やってみようかな?」という気持ちになるのでしょうね。

人間どんなことであっても「やってみようかな」という気になることについては適性があるということなのかもしれないな、などとあらぬ方向にまで思いが及びました。

それにしても・・・いやはや・・・!


次回の更新は5/25(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/05/11 (9:00 am)
漫画家の田中圭一さんの『うつヌケ』という作品が話題になっています。

自らのウツとそこから抜け出した経験をはじめ、多くの著名人の人たちの体験がわかりやすく描かれています。

「わかりやすく」といっても、実は非常に難しいことです。

ウツにはそれになってみなければわからない独特のものだからです。

それだけに「わかりやすく」伝えることが重要なのですが、ここではマンガがとてもすぐれたツールになっています。

わたしも最近ウツの人と長時間向き合う経験をしていますが、この疾病のむつかしいところはトンネルの出口が結構近いのかずいぶん遠いのかが外から見ていてまったくわからないところにあると思います。

どんなに長いトンネルでもいま3割までクリアできたなとか、あと半分だとかいうことが血液検査の数値などで見えればよいのですが、それがわかりません。

またふさぎ込んでいることの原因が疲労なのか、不安なのか、混乱なのか、不眠なのか、昼夜リズムの崩れなのか、栄養失調なのか、運動不足なのか・・・・これもよくわかりません。

というよりこれらすべての要素が混然一体となってもつれあっているのです。

それから脳神経細胞の故障といった問題もあります。

ハードウェアの故障ですからこれは擦り傷、切り傷、骨折などと同じで、あと形もなく回復するまでには一定の時間がかかります。

昔はこれらを一緒くたにかんがえて「根性が足りない」「なまけもの」などとみなされたのですから何とも気の毒な状況でした。
現在はもっと社会的に理解が進んでいます。

けれども、抑うつ、不安、疲労といった要素を分けてかんがえることの必要性はまだまだ一般には知られていませんし、ハードウェアの故障が癒えるまでは待つほかない、といったことはなおさら理解が手薄なところだと思います。

またあらゆる病気がそうであるように、心の病も罹ってしまってからそれを元に戻すより、事前に抑止するエネルギーの方がずっと小さくて済む、ということは言えるでしょう。

認知症と並んでウツの対処法もまだまだ未熟な段階にあるのだと思います。


次回の更新は5/18(木)です。
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2017/05/04 (9:00 am)
日本人が他国の人とちがうところはさまざまありますが、お風呂をたのしむ習慣もそのひとつでしょう。

東日本大震災の時に自衛隊の人たちが設営した大きなビニルプールのような設備にお湯をはって入っておられる被災地の方たちの様子をテレビでみたことがあります。

何日かぶりで肩までつかる温かいお湯に心底から「生き返った!」という表情がなんとも印象的でした。

今ではお風呂のお湯もスイッチひとつで難なくたてることができますが、ずっと以前には銭湯に行くか薪割で一回づつわかさなければならなかったわけです。

古い映画などでは板を下に敷いて五右衛門風呂につかっている主(あるじ)が「もっと熱く」と窓越しに怒鳴ると外にいる書生さんや女中さんが一生懸命薪をくべるようなシーンがときどきみられます。

このお風呂ですが、43℃くらいであれば「熱っ!」となりますし40℃ならどうも物足りなく感じるような微妙なしろものです。

40〜43℃というとほんとうにわずかな差ですが、私たちにはその微妙な範囲においてのみ心地よさを感じることができます。

これはもちろん体温が36℃台という細かいところで微調整されていることとも関係があります。

体温計が37℃になると微熱ですし35℃ならこれもかなり具合が悪いのです。

たとえば40℃に設定された150リットルのお湯で満たされたお風呂があり、そこにザブンと飛び込んだとします。

ヒトの身体の水分量は体重のおよそ60%ですから60キロの人なら36キロ、だいたい36リットルになります。

36リットルというとストーブの灯油タンク2つ分と同じです。

つまり大人ひとりが40℃のお湯に入るときには36℃の灯油ポリタンク2本分の水を注ぐのと同じ温度変化が生じることになります。

湯船につかった直後はけっこう気持ち良くてもお湯そのものの温度は時々刻々下がって行きます。

そこで主は「もっと熱く!」と怒鳴ることになったのです。

逆もまたしかりで42℃を超えるあたりからヒートショックプロテインという熱に反応するタンパク質やその関連遺伝子が応答しはじめますので今度は熱くて飛び出したくなります。

しかし大きな温泉や温度の自動調節ができる最近の家庭のお風呂ではこのあたりの調節が絶妙にできますので私たちはごくあたりまえにそれを享受しています。

冬場の寒い時期など熱いお湯にさっとつかって上がるよりややぬるめのお湯にゆっくり入った方が良いという有名な教えは、結局36リットル36℃の身体の水分に対して湯船のお湯の熱量が十分に交換されないと風呂上りの温かさが確保されない、そこのところを指しているのでしょう。

私たち日本人はそんなお風呂に慣れ親しんでいますが海外ではシャワーだけで済ませてしまうところも少なくありません。

身体を清潔にするということだけであればシャワーで十分なはずですが体温を微妙に調節しながら他にすることもなくゆったり湯船につかるという習慣は脳や自律神経などにも大いに影響してきます。

「温度調節が自在のお風呂」は生物の体温調節能力に対応した精密機械とも言えそうです。

もしかしたら日本人の寿命を伸ばすことにも一役買っているのではないかと思います。

GW中はどこかに行楽にでかけるのもすてきですが、少し早めの時間からゆったりとお風呂を楽しむというのもなかなかオツな過ごし方ではないでしょうか。


次回の更新は5/11(木)です。
2017/04/27 (9:00 am)
先日ある週刊誌に、トクホとして販売されている難消化性デキストリンなどを含む健康食品について「実は効かない」とする記事が二週にわたって掲載されずいぶん話題になりました。

私も読んでみましたが、どうもトクホの根拠になっている論文を有識者(大学の名誉教授の人など)が調べたところ、脂肪の排出促進などに関する件の論文の有効性データが不十分だということのようでした。

そのトクホのコーラの「脂肪排出力」を信用して毎日飲み続け計算してみるとなんと36万5000円もの資金をつぎ込んでいた人がいるそうです。

その人は毎日1.5リットルのペットボトルを飲み続ける日々を送ってきたそうですが、「効かない」とする週刊誌の記事を読んで愕然とし、はげしい怒りが込み上げてきたということです。

私はこの記事を読んで特に驚きはしませんでしたが、随所に問題はあるなという気はしました。

まず、そういうトクホの認定を得るような商品の根拠になっている論文をどういうスタンスで理解するのかということがあります。

もちろん専門家の審査を経た論文ですから虚偽が書かれているとは思われませんが、医薬品にしても食品にしても「100 %効果があること」が示されることはありません。

また誰が、いつ、どんな条件で飲むのかということは予想できませんが、論文ではある一定の条件を設定せざるを得ません。

効き目を客観的に評価するために有意差検定という統計処理を行い、効いたのが偶然ではないということを示すルールになっています。

たとえば野球4割打者といえば間違いなく強打者ですがそれでも6割は凡退しているわけです。

トクホに裏切られたと逆上する人は、もしかするとその商品が10割の打率であると思っているのではないかと思います。

だからこそ毎日それを飲み続け、途方もない出費額になったということでしょう。

私はそういう事例に接して、そのメーカーが消費者を欺いているとは思いません。

私たちは朝起きてから寝るまでのあいだに実にたくさんのチョイスをおこなっています。

朝食に何を食べるか、運動不足だから少し早めに家を出て一駅分を歩くかどうか、昼食を中華にするか和定食にするかあるいは野菜サラダだけにするか、午後に飲むコーヒーにはフレッシュミルクと砂糖を入れるかどうか、夕食のときに酎ハイにするかハイボールにするか・・・

たとえば今から30-40年以上も前であれば、そういう選択は気持ちと食欲のおもむくままだったことと思います。

もしお医者さんの忠告などを受けて健康に留意している人があったとしても、そもそもトクホ製品など世の中になかったわけですからのどが渇けば缶ジュースやサイダーを買って飲むしかありませんでした。

現代社会はその点が充実してきており、選択肢に関しては相当なバラエティが生みだされています。

ある日ハンバーガーを食べながらたまにはコーラもいいな、と思ったとします。

そこでコンビニに行きますと「ふつうのコーラ」「ダイエットコーラ」「トクホのコーラ」などの選択肢が眼の前に用意されているわけです。

健康に気をつかっている人ならここで「トクホのコーラ」をやや高い値段を払ってでも選ぶ可能性は高いと思います。

そして実際「ふつうのコーラ」を飲むよりはいくぶんかでも健康留意に役立つ方向に進んで行くことができるでしょう。

こういうところ、つまり「柔らかいチョイス」にトクホというオプションが用意できること、ここにひとつの存在価値があると私は考えています。

36万円も払って飲みつづけた人が「実は効かない」という週刊誌の記事を読んで怒り心頭に達したというのは、そもそも健康ということに対する気構えが「厳しいようで甘い」と思うのです。

「健康はひとつのトクホ製品によって支えられる」などと信じて疑わない人は逆にその他の食習慣や運動習慣をどう心得ているのか問いたくなってきます。

もちろん供給する企業としては真摯に開発と研究を行い、できるだけ確実な効き目をめざすべきだとは思います。

そしてその意味で「考え方の甘い企業」が一部に存在することも事実だと思います。

さらにそういう実態について一面的な結論に向けて記事にしようとする週刊誌にも問題はあるはずです。

最終的には毎日のさまざまなチョイスに際して「どちらかといえば健康に良いのはこちら」という柔らかい選択をしながら生きてゆくこと、これが最も重要なことではないかと思います。


次回の更新は5/4(木)です。
2017/04/20 (9:00 am)
化学記号で(CH2O)nと書かれてもピンと来ないかもしれません。

これを漢字に直すと(炭・水)nですが、これでもまだよくわかりません。

炭と水がくっついて「化けた物」とすれば、「炭水化物」となり、これでだんだん通じてきます。

文字どおり炭水化物は炭と水がくっついてできたものですので、たとえば炭水化物の一種である木材や紙、お米などを燃やすと水が抜けてあとに炭が残ります。

ここまでは化学の話ですが、炭水化物はさらに細かく「法律によって」分類されています。

炭水化物の中でもブドウ糖やショ糖(グラニュー糖)のように食べればほぼそのままエネルギーに変わるものは「糖類」です。

この糖類にデンプン(ブドウ糖が多数つながったもの)や人工甘味料などを加えたもの、それが「糖質」と定義されています。

つまり「糖類」は「糖質」の一部です。

炭水化物から「糖質」を差し引いたら何が残るか、というと「食物繊維」が残ります。

というわけで「炭水化物」は「糖質」と「食物繊維」からできていて、さらに「糖質」の一部に「糖類」があるというわけです。

食物繊維はさらに水に溶けるものと溶けないものに分類されますが、法律ではそこまで区別していません。

ところで「糖類」は「糖質」の一部なのですから「糖質ゼロ」の方が「糖類ゼロ」よりも含んでいるものが少ないことになります。

たとえば「糖類ゼロ」という場合にはブドウ糖ははいっていませんがデンプンは入っているかもしれません。

デンプンは酵素(アミラーゼ)によって分解されてブドウ糖「糖類」になり、それはエネルギーになります。

「糖質ゼロ」でも「炭水化物」が含まれているというのなら、「食物繊維」があることになります。

しかし「食物繊維」はエネルギーにはなりませんので、結局「糖質ゼロ」とあれば一応カロリーは非常に少ないものと考えてよいわけです。

こんな分類は何故あるのか?というと、食品製品のラベルにそういう情報を書いておくことによって消費者は「カロリーが低い製品はどれか?」を判断できるからです。

ただしこれはあくまでも法律の世界での理屈であり、科学的な分類ではありません。

消費者に与えられる情報が科学的なものか法律的なルールに基づくものか、といったことはそれこそ「消費者には関係のないこと」ですが、理解できるものでなければ困ります。

大学の専門学部で生化学など教えている先生でも「糖質」と「糖類」のちがい、といってもまともに答えられる人は少ないと思います。

それはこの分類が法律によるものだからですが、いずれにしてもここで私が思うことは「こんなにわかりにくくていいのかな?」ということです。

食品のラベル表示にはかなり厳密な取り決めがありますが、狭い面積に細かい字で書かれたことも読まれて理解されなければ意味がありません。

とはいえ、「糖質」と「糖類」、「食物繊維」そして「炭水化物」の関係あたりを理解されれば自分の欲しいものを選びやすくなるかもしれません。

糖尿病傾向の人や風邪や食欲不振で元気が出ない人、それぞれが何を選べばよいか?

お役人の方々にはどうかもっとわかりやすいものをめざして頂きたいと思います。


次回の更新は4/27(木)です。
カテゴリ : 食生活 : 
2017/04/13 (9:00 am)
この前テレビで缶詰めの特集をやっていたのを偶然見て驚きました。

同じ缶詰めでも早めに食べた方が良いもの(野菜など)と賞味期限間際が最も美味しくなるもの(魚など)があるとか、缶詰めを食材にして料理するとびっくりするくらい手早く「じっくり煮込んだ感」のあるメニューができるとかいうことです。

これまで缶詰めというと「時間のない時、それで済まそう」というふうに何となく手抜き感覚のようなものがありましたが、ある一流の料理人の言によれば缶詰めというものは「非常に高度に調理されたすぐれた食材」なのだそうです。

たとえば炒めた玉ねぎに牛肉の大和煮、缶詰めのホワイトソースを加え、ケチャップとウスターソースで味付けをするとあっという間に最高においしいハヤシライスができるということです。

スタジオでの試作品をゲストの人達が食べていましたが実際みごとな出来栄えだったようでみな一様にうなっていました。

また、サバやサンマ、イワシなどの缶詰はオイルの中にω-3脂肪酸が入っているのでこれを捨ててしまうのはとんでもなくもったいない、ということも改めて認識しました。

かんがえてみればその通りですが、何となく缶詰めの汁などに特別な価値があるとは考えず、ほとんど捨ててしまっていたなあと思います。

あと、これはまた別の番組ですが昔ながらの「もと」を使ってカレーを作る時に、ピーチネクターを一本分入れると一流ホテルのカレーの味になる、というのも見ました。

実際多くの人がホテルのカレーと食べ比べてどちらが即席のものかあてられずにあきれたり失笑を買ったりしていたのです。

実践女子大学の田嶋先生の謎解きによれば、この場合はピーチネクターの甘味とそこに含まれているペクチンという水溶性の食物繊維が醸し出すとろみの効果らしいということでした。

水溶性食物繊維はまた腸内細菌の保養に役立つ成分ですから、そういう面でもメリットが見込めるのではないでしょうか。

また、安い蒸しケーキを3時間冷凍庫で凍らせると、生地の食感が変化してこれまたコクに満ちた最高レベルのチーズケーキと区別がつかなくなるという実験もありました。

なんとゲストの全員がまちがってしまったのです。

手抜き料理というと聞こえがよくありませんが、あらかじめ引き上げられた調理度に何かひと手間ふた手間を加えて最高の美味や栄養価値を享受する方法というのはもっと見直されてもよいのかもしれません。

缶詰め流ハヤシライス、ピーチネクター式カレーライス、冷凍裏ワザ蒸しケーキ・・・試してみたくなりませんか?


次回の更新は4/20(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/04/06 (9:00 am)
先月の国会でのこと、ある野党議員が麻生大臣に対して「人間が生きる上でいちばん必要なものは“空気”、では2番目に必要なものは何か?」という謎かけ的な質問をしました。

これを受けて麻生さんは「人間が生きていく上で大事なことは朝は希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る、この気持ちだと思っています」と切り返しました。

はっきりいって質問者が誘導したかった趣旨とはちがう回答だったわけですが、グンと高い次元から降ってきた一連の言葉に当の野党議員も思わず脱帽、感服の意を表明していました。

国会の場でこういう形而上的なフレーズが交わされることはあまりないことですので私もちょっと驚きましたが、あとでお風呂にゆっくりつかりながらふとこれを思い出し、ほんとうにそうだなあ、そうできればいいなあ、と妙に納得しました。

とくに私が感じたことはふたつあります。

一つ目はこの朝、昼、夜の気構えというのは「心身の健康」と表裏一体になっているだろうということでした。

先の稀勢の里優勝の日など、彼はまさに(逆転優勝への)希望をもって目覚め、懸命に相撲を取り、夜は感謝をもって眠りに就いたのではないでしょうか。

横綱は負傷していましたから身体の方は決して健康とはいえない状況でした。

けれども「心の健康力」がそれをみごとに補ったのではないかと思います。

「どうせケガをしてるんだから本当なら休場なんだ。土俵に上がるだけでもいいんだ、勝てるわけなんかないんだ」と思っていたらあのような結果を生むことは200%できなかったにちがいありません。

もうひとつ思ったことは、希望→懸命→感謝というパターンは一過性のものではなくて希望→懸命→感謝→希望→懸命→感謝・・・という連続性でなりたっているようだということです。

すると一日づつの単発ではなく、一日が二日になり、一週間になり、ひと月になり・・・とだんだん拡大して行けることになります。

また今月は希望を宿し、来月は一生懸命に働き、再来月は感謝をささげる、というようなふうにはなりません。

やはりお日さまが出て、日中天上を照らし、日が落ちてゆく、というこのサイクルに人間の生命リズムの基本があるということでしょう。

実際には、希望をもって目覚められない時、仕事に打ち込めない時、感謝より不安で眠れない時、こういう日も少なくありません。

それでも「麻生さんのサイクル」を念頭に置いてリセットや調整をしながら日々を送ることはいろんな意味でよい影響をもたらすのではないかと思いました。

「働き方改革」などもいたずらにデジタル的な数値の多寡を議論するよりも、こういうどっしりした目標を基幹に据えて職場や個人が対応して行けばよいように思うのですが、いかがでしょうか。


次回の更新は4/13(木)です。

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