執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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カテゴリ : 健康 : 
2017/02/02 (9:00 am)
このほど日本老年学会・日本老年医学会から65歳以上という高齢者の定義には医学的な根拠はなく、高齢者の定義が現状に合わなくなっているという発表がなされました。

最近のデータによれば10〜20年前とくらべてからだの加齢変化のあらわれ方が5〜10年遅れてきていて、文字どおり若返りが進んでいることがわかってきたということです。

とりわけ65歳から74歳では活発な社会活動が可能という認識が示されています。

そこで学会では新たに75〜89歳を高齢者に、90歳以上を超高齢者と定義すべきと結論付けています。

これまで高齢者として区分されていた65〜74歳の人は準高齢者になり「高齢者」という区分からははずれることになります。

私の曽祖母は私が小学校6年生の時(1969年)に亡くなりましたがそのとき明治19年生まれの84歳でした。

今回の定義では単なる「高齢者」にあたりますが、当時の私の感覚では曽祖母は今の104歳くらいのイメージだったと思います。

悠々自適、自分の人生もやがてはそうなりたいものだと漠然と考えることはだれしもあると思いますが、しだいに「一生働き続ける」ということの意味を問い直さなければならなくなってきています。

「働く」「労働」「拘束時間」という語感からその反対を「遊び」「自由時間」と考えてしまうと働くことがたいへんな労苦のような気がしますが「生涯現役」と置き換えるとかなりイメージもかわってきます。

生涯現役というのは必ずしも勤務することばかりではなく、スポーツでもボランティアでも芸術的なことでも何でもよいわけです。

「生涯現役」は社会から何かを提供してもらう側から社会に何かを提供する側で居続けることともいえるでしょう。

のんびりする、ゆっくりする、ということはもちろん人生の大切なシーンであるにはちがいありませんが、それが単純に「悠々自適な晩年」の意味だとしたらすいぶん退屈なことと思えてきます。

90歳以上を「超高齢者」と名付けてみたところで、だから何なんだという反問をしてみたい気がしますし、そもそもそれが何らかの人生の豊かさつながるという感じが湧いてきません。

私の年代はそろそろ還暦間近ですが「武蔵野の逃げ水」のように「高齢者」という定義がどんどん遠のいてくれることにむしろ「得した感」を受け取って行きたいものだと思います。


次回の更新は2/9(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2017/01/26 (9:00 am)
インフルエンザが流行する季節です。

免疫抗体を産生させるために予防接種をしたりして備えている方も多いかもしれません。

そのほか、免疫機能を充実させるために重要な手段としては保温、栄養、睡眠、過度なストレスの抑止などが代表的なものとして挙げられます。

これらに加えて最近言われているちょっと意外な予防法があります。

口腔ケアです。

口腔ケア、というとまず歯磨きが思い浮かびます。

もちろんそれも大切なのですが、それに劣らず効果的なのが舌や歯茎、頬や唇の内側など、つまり歯以外の口腔パーツを清潔に保つことがウイルスの侵入防止に有効なのだそうです。

方法はガーゼなどを指に巻きつけて各部を丁寧に拭います。

ドラッグストアで入手できる舌苔(ぜったい)除去のツールでも舌にやさしく効果をあげられます。

それからもう一つのお勧めは寝るときに医療用のテープ(絆創膏など)を鼻の下から下唇の下まで貼って口を閉じて寝ることです。

舌苔が生じる原因のひとつは唾液分泌の不足と考えられますが、口を開けて眠ると口の中がカラカラになってしまいます。

これを防ぐことによって口腔粘膜を瑞々しく保てるわけです。

このテープ法では当然鼻呼吸になりますのでいびき対策にもなりぐっすり眠れるといった効用も期待できます。

そんなわけで、口腔ケアの大切さは全身の免疫力にもつながります。

その他、メタボリスクや糖尿病リスクも低減できることも知られています。

腸内細菌に超重要な役割りがあることについては昨今急激に知見が充実してきていますが、同時に口腔細菌などお口の健康についてもますますいろいろなことがわかってくることが期待されます。

まずはこの冬インフルエンザに罹らずにお過ごし頂けますよう、私も今夜から早速口腔クリーニング作戦を早速実践してみたいと思います。


次回の更新は2/2(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/01/19 (9:00 am)
東京大学の西成先生が提唱するおもしろい理論に「渋滞学」というものがあります。

交通渋滞に代表される「渋滞」がなぜ起こるのか、をテーマとした研究です。

渋滞をひきおこさない一つの秘訣として「無理をしないこと」が挙げられています。

たとえば高速道路を想像してみてください。

車間距離50センチで時速120キロで自動車の列が流れているとします。

一方時速60キロで、車間距離が100メートルある場合を思い描いてみてください。

この車列、当然120キロで走っている方が目的地に2倍早く着くはずです。

ところがたった一台にほんのちょっとしたトラブルが起こったとしますと車間距離50センチであればたちまちにして玉突き衝突がおこってしまいます。

道路はあっという間に大渋滞となるにちがいありません。

一方時速60キロ、車間距離100メートルであればもし前を走る車に不具合が生じてもそれを十分に回避する余裕があるはずです。

そうすると、一時的に時速70キロが40キロになったとしてもまたすぐに70キロに復帰することができるでしょう。

それで結果的に目的地にたどりつくのもスムースになるというわけです。

渋滞学では高速で短い車間距離で走るような状態のことを「メタ安定状態」と名付けられています。

これをふつうの仕事になぞらえると「かなり無理をした状態で休みなく仕事をし続けること」などがそれにあたります。

早朝から深夜まで働き、休日も出勤するということをすれば一応仕事ははかどるように見えますが、結局いつかは心身のどこかに破たんが生じて戦線を離脱しなければならなくなってしまいます。

そもそも休憩時間や休養日はそれを避けるために古くから設けられた人類の知恵とも言えるものです。

昨今さまざまな職場が「メタ安定状態」におかれているようです。

ぜひ長い目で効率を見直して心身をいたわりながら「ゆっくりと急ぎたい」ものだと思います。

人生そのものはすべからく長距離走です。


次回の更新は1/26(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2017/01/12 (9:00 am)
まずは年頭にあたりまして、今年も皆様方のご健康と充実をお祈り致します。

まもなく行われる新しいアメリカ大統領の就任にはじまり、今年は世界中のあちこちで何となく落ち着かない話題がたくさん控えているようです。

けれども世相がどうあろうと、私たちはまた一年分の齢を重ねるという事実は変わりません。

日々毎回の食事、睡眠、運動に気配りができる余裕をいかに保ち続けるかを今年も最重要なテーマとして掲げて行きたいと思います。

こんなふうに書きますと、いかにも平凡なことのように思われますがここにはたいへん重要な二つの「平凡なこと」が含まれています。

「食事、睡眠、運動などに対する気配り」ですが、すべての人があたりまえのようにこれらに十分な知識を持ち注意を払っているわけではありません。

また「どのように注意を払えばよいのか」ということは非常に奥深いものであると同時に、基本を踏まえながらも最終的には個々人の事情に応じたオリジナルな手法を年々歳々工夫して行かねばなりません。

つまり、自分にとって昨年の健康法と今年の健康法は必ずしも同じではないということです。

それから「余裕をいかに保ち続けるか」はさらに手ごわい問題です。

かくいう私も昨年一年をふり返ってみれば月のうち2−3度くらいの頻度で「余裕のない状況」に陥ったように思われます。

こういう状況を皆無にすることはできないでしょうから、むしろ「そういうことがある」⇒「そのときにはこうする」という方法を予め考えておいた方がよいのかもしれません。

「織り込み済み」にしておくことですね。

ともあれ、今年もまた目からうろこの健康法とたくさん出会えますようにアンテナを高くしながら楽しい話題を提供して行きたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。


次回の更新は1/19(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2016/12/22 (9:00 am)
いよいよ今年も押し迫ってきました。

このブログを最初にアップしたのは2006年2月24日でした。

知らぬ間にすでに10年目も過ぎ、来年ではや11年になります。

これまでおつきあい頂いた皆様に心より感謝致します。

思えば毎週木曜日の朝に健康に関する話題でブログをアップする機会を得て以来、私自身常に(いわばネタ捜しとして)健康のことについて考えるようになりました。

10年前にはスマホなどまったく想像もできませんでしたが、昨今ではむしろパソコンよりもスマホでアクセス頂いている方が多い傾向ともなってきています。

ここから先10年後にはどんなツールが発達し、日本人全体がどんな健康状態にあるのか、想像すると楽しいようでもあり、恐いようでもあり、不思議な気持ちになります。

このあいだにも日本人の平均余命は世界のトップクラスであり続けていますが、うかうかしているうち、あっという間に自分自身も後期高齢者となるのに違いありません。

私は来年59歳ですので、あとたったの16年です。

16年前のことをふり返ればまるで昨日のことのように事細かにさまざまなことが思い返されます。

「Only Yesterday、まるで昨日のことのよう」です。

今年の前半私はひどい四十肩になやまされましたが、夏以降それも癒えてジム通いを再開することができました。

ひどい痛みにみまわれたときにはこれも年齢相応の変化のひとつとして受け入れることにしました。
 
一方それが治ってからの3-4か月に新たにジムトレを再開したら、身体能力は明らかに増進されたと感じられます。

これをアンチエイジングと呼ぶこともできるのかもしれません。

けれども齢は一年一年、一日一日重なって行くものであり、絶対に逆にはもどれません。

こんなことをつらつら考えながら、とにもかくにも大過なく健康に一年を終えられたなら、これに優る幸せはないと思います。

新しい年がまた瑞々しい発見と焦りのない柔らかなマインドセットに満ちた日々となることを祈りながら、せめて年の瀬を静かに過ごしたいと思います。

残る9日間を大切に、そしてよいお年をお迎えください。


次回の更新は1/12(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2016/12/15 (9:00 am)
東京駅の地下にラーメンストリート、という一角があります。

ここは以前「ラーメン激戦区」なんていうものものしい名前がついていたと記憶しています。

ともかくこのコーナー、自我ほとばしるラーメン店が文字どおり軒を連ねていますが、興味深いのは行列ができているお店とそうではないところが比較的はっきりしていることです。

SNSでの口コミの結果なのかタウン誌での取り上げ方のちがいなのか、そのあたりはよくわかりませんが、通りがかりの旅人や中国ツーリストの人も多そうですからもしかしたら「行列ができているかどうか」が最も大きな目あてになっているのかもしれません。

こうやって毎週健康ブログなどお読みいただいていますが、かんがえてみればこの私、実のところ元来根っからのラーメン党です。

学生時代の下宿の近くに夜明けまでつつましく開いているいいラーメン屋さんがありまして、試験前の追い込みに疲れた深夜などひとりぼっちで、あるいは散々街中で呑んで騒いで帰ったあとに友人と連れ立って、途方もなく遅くなってから掻きこむフィニッシュの一杯が天の恵みさながらに格別だった、そんなこともなつかしく思い出します。

カップ麺やお湯をかけるだけのいわゆる昭和の即席ラーメンだって何日続いてもOK、もちろん有名店のオーソドックスな醤油ラーメンや由緒正しい中華そば、それから札幌ラーメンもいいですね、コテコテの絶品豚骨ならなお最高です。

いま住んでいる町の最寄りの駅前には「家系ラーメン」のお店があります。

いじましい話で恐縮ですが、私はそこでは決まってトンコツを注文し、ゆで卵のトッピングにすりおろしニンニクをたっぷり入れて食べます。

そうしないと食べた気がしないのです。

ついでに半ライスを一緒に掻きこみ、最後はスープを飲みほして・・・、と、こんなふうに書いているだけでお腹が鳴ってきそうなのです、が、これは本当の話です。

ラーメンストリートについては並み居るメニューの「片っ端制覇計画!」なんかが実行できたらさぞかし痛快だろうな、とも思います。

とはいえ私はくだんのストリートの暖簾をくぐったことはただの一度もありません。

先ほどの家系ラーメンでの品格なきドカ食い、これも二年か三年に一度あるかないか、の話です。

己の食い意地の張るがままに食べたいものを食べていたのは40代の前半ころまででした。

要するにL-カルニチンと出会って「クスリに頼らない健康」をテーマとしてとっぷりつかるようになって以来、たとえばラーメンにとっぷりつかるような無意識な選択がいかにキケンなことかを改めて理解するようになり、自然と「撃ち方やめ」に至ったわけです。

ドクターストップではなく、セルフストップです。

そんなわけで現在の私は駅地下の「大いなる行列」を東京の一風景とみなし、ただただ足早に横目で通り過ぎる存在にすぎません。

ああうらやましい、と思いながら、ではありますが。

でもドクターストップではない、そこがミソです。

何かめでたいことでもあった折、二年に一度、三年に一度、一期一会とばかり昔のような「濃い注文」をしてみるのも悪くないかな?

たかがラーメン一杯に命がけかね?

そんな大袈裟な思いに苦笑しながらも「いざとなったら何でも食べられる」ということのしあわせをふと思う今日この頃です。

ラーメンストリートならぬラーメンストイックもまた愉し、です。


次回の更新は12/22(木)です。
カテゴリ : 健康 : 
2016/12/08 (9:00 am)
高齢になると眼や耳が不自由になってくるのは避けがたいことです。

もちろん眼に限らず感覚器官がすべてつつがなく機能してくれることはとても重要なのですが、何をするにも眼の調子はとくに気になるところです。

もともと視力の良かった人は、遠近どちらを見るのもなかなか苦労が多いと聞きますが、私は元来かなり強い近視ですので、近いところを見るのには裸眼にすればよく見えます。

それにしてもパソコンの画面に長時間向かっていると就寝前にはさすがに眼の疲れが激しく、こんな状態を続けていてはいけないなあとつくづく思います。

それで、ビタミンB12を配合した目薬を注して寝たりするようになりましたが、この目薬ひとつにもそれなりの方法があるということです。

あまり瞼をぱちぱちさせると液が外にこぼれてしまうので、目頭をしばらく押さえるなどがコツだそうです。

スマホの使い過ぎが眼に良くないことは近頃さかんに言われていますが、私の場合は大きめのパソコンの画面を長時間視ているとダメージが多いように感じます。

それで先日眼鏡屋さんを何軒か回って(なかなか置いている店がなかったもので)ブルーライトをカットするフィルターを買ってきました。

普段使っているメガネの上からクリップで装着するタイプです。

これによって眼の刺激になるブルーライトが約50%、UVは99%カットされるとのことでした。

ブルーライトの方をもっとカットできるものはないのかお店の人に聞いたところ、それ以上になると暗くてかえって見づらくなるとのことでした。

使い出してみるとたしかに若干暗くなった気がしないでもありませんが、なかなか調子はよく以前よりは眼の凝り感がだいぶましになったように感じました。

何しろ毎日のことですし、これからまだだいぶ長いこと使って行かなければならない眼ですのでこんなちょっとしたケアでも大事だなと改めて感じました。

さらに目の健康に良いとされるサプリメントも取り入れるとなお効果があるのではと期待していますが、こちらはまだ試していません。

けれども基本的にまずいきなりサプリに行く前に、生活習慣的な手段を講ずることが先だということは他のサプリメントと同じことだと思います。


次回の更新は12/15(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2016/12/01 (9:00 am)
とうとう今年も師走に入りました。

この前ある本を読んでいたら月日の経過が早く感じる理由について興味深いことが書いてありました。

子どもの頃にそんなに早く感じない理由は見るもの聴くもの、世界がまだ経験したことのないものに満ちているからだという仮説があるそうです。

まだ通ったことのない道を歩く場合、初めて見る長編映画を観る場合、この先どれだけ何が続くのかわからない状況にある時には人間その時間を長く感じるものです。

逆に行きなれた道、見たことのある映画を観るときには「あとこれだけ経ったらここに出る。こんなシーンになってこう展開する」ということがわかっていますから、残る体力や気力の調節がより容易になるということは十分考えられるでしょう。

ということは逆に、未経験のことをするように心がければ月日は長く感じられるということになります。

読んだことのない本を読む、聴いたことのない大曲を聴く、はじめてのところを旅行する、などなど、改めて考えればそういう経験をする機会はたしかにどんどん減ってきているように思います。

一方私たちは昔より格段に頻繁にウェブを使って新しい情報やニュースを浴びるようになっていますが、こちらの方は新しい刺激ではあってもブツブツに途切れた断片情報が降ってくる中を通過しているわけですので長編小説や旅行のような一貫性がありません。

ニュース画面やメール、SNSを通じた情報は個々には新しくてもトータルにみれば同じような行為の繰り返しに過ぎません。

そんなことに気付きながら来年から、と言わず、今月から是非「新しいまとまった経験」に触れるようにしてみようと思います。

とはいえ、そんなに簡単に日常が許してくれますか、どうか・・・・!


次回の更新は12/8(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2016/11/24 (9:00 am)
トランプ氏が大統領になってから世界は大わらわです。

今年の10大ニュースにはまだ少し早いですが、東京都知事選? リオ五輪? 築地市場問題? こんなところが上位かと思っていたら・・・ イギリスのEU離脱が国民投票で可決されて大騒ぎ、ほどなくボブ・ディランのノーベル賞受賞が最大のビッグサプライズ!かと思っているうちに今度はトランプショックがやってきました。

トランプ氏は数々の過激な発言の中で、わが国の米軍駐留コストにも言及しており、日本がもっと負担すべきだ、と言い出しました。

その額はいくらか、というと7500億円、これで駐留費用のちょうど半分なんだそうです。

ということは、駐留費の総額は1兆5000億円、これがどのくらいの額なのか?

私は1兆5000億円という数字にはピンとくるものがあります。

人工透析という、腎臓機能が停止してしまった人に行われる医療があります。

尿ができないために血中の有毒物質が排泄できない、そのために人工的な膜でろ過して対応するという方法です。

1回あたり数時間、一週間に3回ほども通院しながら生涯を過ごすことになりますが、これはかなり大変なライフスタイルです。

この人工透析の前段階に慢性の腎不全という疾病があり、さらに前段階となる多くのケースは糖尿病です。

そして糖尿病のさらに前の段階にいわゆるメタボリックシンドロームという状態があります。

つまりメタボの段階で健康体に引き返すことができれば結果的に人工透析となる確率が格段に低下するだろうと考えられます。

ところで、この人工透析には一人あたりの年間医療費が500万円ほどかかります。

目下30万人の人がこの施療を受けておられます。

そこでですが、30万人×500万円 = 1兆5000億円という計算が出てくるのです。

つまり人工透析に要する医療費と米軍駐留費用の総額は同じくらいだということです。

このことから何を思うか、それは人によってちがうと思います。

駐留費用を全額米国に負担してもらえれば、45万人の人が透析医療を受けられるともいえます。

透析医療にそれだけ使っているのだから、あと7500億円くらい何とか日本ががんばって負担し、きれいさっぱり米国への気後れをなくしてはどうか?という考え方もあるでしょう。

私は、まず透析施療が必要となる人の数を半分に減らして7500億円くらいにできないものかと思っています。

そこから余剰となる7500億円を米軍の駐留費用にまわす、のがよいのかどうかはわかりませんが、少なくとも健康な人が増えることによって使えるお金の額が非常に増えるということはいえるでしょう。

深刻な状況の下で透析施療を現在すでに受けておられる方については、これは当然引き続き十全なケアが与えられるべきだと思います。

けれども多くの場合、メタボの段階から養生を行って健康体に復帰するということはやる気さえあれば可能だということを考えるとき、私は日本国民の栄養バランスや量、そして適度な運動が合理的にアレンジされることの意味の大きさに改めて驚いてしまうのです。

そして何より、最も大きなメリットを享受できるのは透析施療を事前に回避することのできた方々本人であるに違いありません。


次回の更新は12/1(木)です。
カテゴリ : 健康のための運動 : 
2016/11/17 (9:30 am)
高校生だったころにはほぼ毎日部活動をしていました。

剣道をやっていたのですが、まあ毎日ぶっ倒れるくらいの練習でした。

(たいしたレベルでなかったとはいえ)今にして思えばよく毎日あんなことができたものだと思います。

その名残か、昨今トレーニングジムで走ったりするようになってからもついつい「頑張りすぎ」になってしまうことがあります。

以前お話ししましたように、同じマシーンで同じ速度、強度に設定して訓練していると自分の体調のよしあしがわかります。

苦しくなったら絶対に無理するな、と自分に言い聞かせても何となく達成感を得たくなってあるところまでは頑張ろう、になってしまうのです。

そのツケは翌朝かならず回ってきます。

それを押して今度は「毎日通う」という学生時代のような感覚が湧いてきます。

苦しくても辛抱して毎日やっていれば身体は強くなってきてそのうち平気になるだろう、と期待してのことです。

ところが、実際にはそのように慣れることはなく逆に疲れは蓄積されて行くようでした。

もちろん高校時代の運動量とは比較になりませんが、今は今なりに私の身体が耐えられる限界に近いところまでやってしまうこともあるのです。

この場合必要なのは「毎日通い詰める」ことではなくて「休息」なんだ、とそのことに気付くまで少しかかりました。

運動強度もさることながら、疲れを癒すための時間が必要だ、というあたりまえのことです。

これが加齢ということなんだな、やりすぎると疲れは一日では取れないんだな、と、実感を伴いながら納得しました。

かんがえてみれば、「かなり頑張って行う運動」という負荷のかけ方は微視的に見れば筋肉の細胞がいくらか損傷し、関節は摩耗しているに違いありません。

つまり部分的には毎日ケガをしているのと同じことです。

若い頃に毎日負荷をかけても平気だったのは、単純にその損傷回復のサイクルが短くて済んでいたからです。

あのころはまだ組織は成長すらしていたわけですから、少々の回復くらいわけのない話でした。

もちろん部分的な細胞や組織の損傷はきちんと栄養素を補給していれば間違いなく治癒してくれるとともに、損傷の前よりも少しづつ強靭にもなってゆくいわゆる「超回復」という現象は何歳であってもおこることとは思います。

けれども損傷を癒すために必要な時間は身体と相談しながら決めて行かないと結局不可逆的なケガや不具合を招いてしまうことにもなりかねません。

私の今のレベルではそんなところまで行くほどのこともありませんが、逆にこのあたりに留意して2−3日癒してからトレーニングをすると全く問題を感じず、楽々とこなせるようになりました。

何ごとも過ぎたるは及ばざるがごとし、お金については財布と相談しながらでないとどうしようもないように、運動もまた身体と相談しながら「負荷と回復の円滑なサイクル」を楽しめるようでありたい、と思う今日この頃です。


次回の更新は11/24(木)です。

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