執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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カテゴリ : 健康のための運動 : 
2016/11/10 (9:00 am)
トレーニングジムの便利なところは、ランニングマシーンなどでデジタルに速度を入力しておけば天候や季節、体調に関係なく機械が自動的に全く同じ条件で身体を引っ張ってくれるところです。

いつもと同じ速度や傾斜で設定しているのに非常に軽やかにメニューを終えられるときもあればその逆のこともあります。

長期的に持久力のアップやダウンを知ることもできます。

私は身体がなまらないように、体脂肪がたまりすぎないように、また少しでも筋肉を維持するためにジムに通っているつもりですが、それ以外に自分の体調の良し悪しのチェックをしに行くという目的もあります。

一昨日のことですが、ちょっとおもしろい体験をしました。

私の場合、毎日同じ調子で走っていると3日目、4日目となるに従って疲れが溜まってくる傾向がみえてきます。

それで1−2日ブランクを空けるのですが、そうすれば次の日には疲労は回復して比較的快調に2時間弱のプログラムをこなすことができます。

この前は3日のブランクがあり、いわば休養は十分でした。

ところが何となく気分が乗らず、このままもう一日休んでしまおうかなどと思っていたのです。

しかしそれが疎遠のはじまりのような気もしましたので、少し多めにカロリーを仕込んでから何とかジムに出向きました。

走りはじめると案の定いわゆる「絶不調」というやつで、いつもの半分以下の(歩くほどの)ペースに落としてようやく1本目、最低ノルマの距離を終えました。

体調が本当におかしいのかも、と少し不安になりながら途中で脈拍を測ってみましたが意外なくらい数字が上がっていません。

つまり心臓循環器系は「疲れてないよ」と知らせてくれたわけです。

吐き気なんかもありませんし、筋肉、関節系にも全く違和感はありません。

念のため血圧も測りましたがこれも問題なし。

結局「肉体」は全く正常、という結論になりました。

ではこのしんどさの正体は何か?と考えたとき、ふと鬱病、慢性疲労症候群という病名が浮かびました。

肉体にこれといって問題がないのに全身的な疲労感が漂っている感じですから、これはもしかしたら「プチ鬱状態」「プチ慢性疲労状態」かもしれないと思いました。

特に慢性疲労症候群の場合は血中のアセチルカルニチンの量が減ることが知られています。

ジムの前にL−カルニチンをいつも摂取していますが、この状態で少しきつめに走ると血中のアセチルカルニチンを増やすことができるはずです。

それで2本目は全力疾走に近いような速度で200メートルほど走り、また緩める、というような濃淡のあるペースをくり返し試してみました。

その結果、2本目の終盤(ということは1本目を走り始めてから40分目あたり)で疲労感がスーッと消えて行き、ウソのように身体が軽くなってゆくのがわかりました。

その調子が持続しそうでしたので、5分ほど休憩して3本目に挑みました(通常私は2本までしか走らないのですが)。

意外なくらいあっけなく4キロ強を終えることができました。

疲労感があるときに、肉体の状態にこれといって問題がないならむしろ「プチ異常」の原因は脳にある、そしてその不具合は身体を動かすことによって「治療」することができる(のかもしれない)。

ふつう「疲れたら休む」「おっくうに感じたら身体を休める」としか考えませんから、これはちょっとうれしい発見でした。


次回の更新は11/17(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2016/11/03 (10:40 am)
もし健康診断の結果糖尿病もしくはその予備軍に該当すると言われた場合、通常行われるのはまず運動療法と食事療法です。

私は週に何度かジムで汗を流していますが、そこでやっていることは糖尿病の運動療法と基本的には同じです。

今のところ私はその関係の数値に異常はありませんので、ジム通いはいわば予防になっています。

このように疾病には予防と治療の方法が同じものがたくさんあります。

食事についてもしかりで、糖尿病で糖質をひかえること、腎臓疾患の人が塩分摂取をひかえること、肝疾患の人が飲酒量を減らすことなどは、ある程度の年齢になればだれもが心がけた方がよい習慣です。

というわけで健康な時にこそ日常生活の中で行われている治療法について少し学び、今日からでもとり入れるというのは賢明な選択だと思います。

最近特に問題視されている新しい健康禍のひとつに「スマホ老眼」というものがあります。

これは早くも小学校以降の子どもにも見られるスマホ画面の見すぎによるピント調整能力の減退という症状です。

特に「歩きながらスマホ」「電車スマホ」「寝転がってスマホ」はスマホの3大悪習慣なのだそうです(これを聴くと眼ではなく耳が痛い私ですが!)。

もし目に異常を感じてそれを「治療」するとなればそういう習慣をなくすことやスマホを見ている時間そのものの制限が治療の一歩になるはずです。

ここでも「初期治療の先取り」を行うとすれば、スマホ画面をながめる時間をうんと削る、という実に簡単な対策をとりいれることになります。

まして私の場合など本物の老眼があるわけですので、このブログを書き終わったらさっそくそうしようと思います。

同時に、さほど興味がないニュースばかり見ながら電車やバスを待つ悪習慣もありますから、こちらの方も削減できれば「判断力低下の認知症予防」にもなるかもしれません。


次回の更新は11/10(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2016/10/27 (9:00 am)
先週はあまりおいしくないチョコレートが実は健康によいというお話をしました。

似たようなことは他にもあります。

たとえば日本人の主食であるお米ですが、もみ殻を取ったいわゆる玄米の状態では炊き上がりにくく、色も褐色で見栄えがよくありません。

また口あたりもしかりで、イマイチという感じがするものです。

逆に完全にふすま(米ぬか)の部分を取り去った通常の白米になるとおいしさがぐっとあがります。

そこに梅干しだとか佃煮、お漬物のようなものがあればいくらでもご飯が進みますが、こういう食欲の快感を思う時、ああ日本人でよかった!と思います。

ところが米という穀物にはそうやって取り去って使われない部分に非常にさまざまな栄養素が含まれています。

ビタミンB1をはじめ、タンパク質や食物繊維、不飽和脂肪酸もありますし、フェルラ酸のようなユニークな栄養素もそろっています。

すべて挙げてゆけばまるでサプリメントの宝庫ではないかと思うほどです。

けれども古代から食べつけてきた米という作物を最も美味しい食品形態に工夫してゆくと、皮肉なことに「サプリメント部分」がほとんど捨てられてしまうことになるわけです。

前回のチョコレートもそうで、おいしい味に仕上げる為にカカオを減らしミルクや砂糖を増やして行くに従って栄養素が抜けて行きます。

寿命が60年そこそこだった頃(そんなに昔のことでもないのですが)には食品はだいたいそういう「たべやすさ」「おいしさ」を追及して行っても全く矛盾がなかったと思います。

国民のほぼ全員が栄養失調だった戦争直後にはどんどん栄養を摂取して健康な身体になろう、ということが国家的目標でもありました。

白米を食べ過ぎて太ってもメタボ(どころか生活習慣病や成人病)という概念がそもそもありませんでした。

一方口あたりのよくない玄米であれば食べ過ぎることもありません(苦すぎるチョコレートのように)。

このように考えてみると、これまで「ひたすらおいしくするための工夫」をこらされた食品のあり方を再検討してみることで日常食の新しい側面がいろいろ見えてくるのではないでしょうか。

一見とっつきにくい風味や食感の中に「おとなの味」を見出すことができればコーヒー通やワイン通のような「わかる人にはわかる境地」に至れる可能性もあることと思います。


次回の更新は11/3(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2016/10/20 (9:00 am)
ポリフェノールがたくさん含まれていて健康に良いという話を聞きましたので先日「カカオポリフェノール高含量のチョコレート」を探しにスーパーに行きました。

最高含量の商品は95%、その次が86%とあります。

このふたつをためしに買ってみました。

最初に95%の方を食べてみたところ・・・・!

ウン? なんだこれは、という感じでした。

改めて箱をみてみると、「非常に苦いチョコレートです」「1枚でポリフェノール142 mg」などと書いてありました。

ちゃんと断り書きがしてあるだけのことはあるなあ、と妙な納得をしながら何とかかんとか食べたのですが、もし何も知らない人がこれを食べたらチョコレートの形をした別のものだと思うんじゃないかと思えるような、そんな風味でした。

86%の方はそれに比べればまだしも普通のチョコレートに近いように感じられましたが、それでもこれをいきなり食べたら滅茶苦茶苦いチョコレートだと思うはずです。

わずか9%のちがいでこれほどまでに大きな差があるとはちょっと意外でした。

ただ、どちらの製品についても何といいますか一種の「効く効く感」のようなものが感じられたのは事実で、これは健康に良いんだということが理解されていたらまた買ってみようかなと思わないではありません。

それに、こういう味と風味のチョコは「食べた感」が強い反面、ついパクパクと食べ過ぎになる心配がありません。

考えてみれば、コーヒーにしても何十品種かがありますが、ブラックで飲んでその違いを楽しめるのは相当なコーヒー通です。

実際子どもたちが好きな口あたりのよい飲み物は「淹れたてのブルーマウンテン」ではなく、昔ながらのコーヒー牛乳の方にちがいありません。

このように考えてくるとカカオ95%のチョコレートにしてももっと食べこなしてくれば味わいが理解できてくる可能性があると思います。

平均寿命が90歳に近づこうかという世の中にあっては、どうも「おいしいもの」というのは健康機能とは逆の関係にあるのかもしれません。

つまり、一見「おいしくないもの」の中に価値を発見して行く時代になってきているのかもしれないということです。

そういえば、だいたい「食通」の好むたべものにとっつきやすいものはまずないようです。


次回の更新は10/27(木)です。
2016/10/13 (12:10 pm)
活性酸素は私たちのからだの中で不要な細胞を分解したり、外敵として侵入してきたバクテリアなどを撃退したり、女性の毎月の排卵を助けたり・・・とさまざまに重要な役割を演じています。

その一方で活性酸素は健康な細胞を傷つけたり、遺伝子の情報を狂わせたりといった「わるさ」も相当しています。

これを使いこなして呼吸をしながら何食わぬ顔をして私たちは生きているのですが、酸素はもともと身体にとってはたいへん扱いにくい過激な成分です。

「使いこなし」には様々な工夫があります。

たとえばSODという酵素は活性酸素をたちどころに消去して無害化することができますが、ヒトはこの酵素を豊富に持ち合わせていて、それが他の動物に比べて飛び抜けて長寿である理由のひとつと考えられています。

しかしながら、活性酸素を退治する能力は加齢とともに失われて行きますので、抗酸化サプリメントなどが効力を発揮する場面が多くなってくるわけです。

ところで、鉄イオンは私たちの身体の中には血液中の赤血球を中心にかなりの量が含まれていますが、これもまたなくてはならない成分であるとともに活性酸素の発生源ともなっています。

鉄と聞けば「鉄欠乏性貧血」などが連想されるかもしれません。

もちろんそういった疾病状態に陥ることはあり得ますので、その場合には医師の指示に従って治療を行って頂きたいのですが、ひとつ興味深いことをご紹介します。

米国で試みられた一種の健康法なのですが、半年に一度くらいの割合で500ミリリットルの血液を抜くと体調がよくなる、という研究があるのです。

鉄はいったん身体に入るとゆっくりとした新陳代謝以外に抜けてゆく出口がありません。

そのためどちらかというと、少しづつ身体に蓄積してくる性質があります。

結果として活性酸素の発生源が増加することになり、加齢が早くなったり、発癌が起こったりという不具合がおこりやすくなるという理屈なのです。

特に加齢してくると身体活動度も減少してきますから、それほど大量の鉄は必要ではなくなってきます。

女性であれば月経が終わったあとにはやはり鉄イオンの排泄は少なくなってきます。

この理論に基づけば半年に一回くらいの献血を行うことは合理的だということになります。

この話は先日行われた「腎とストレス学会」というところで聞いたのですが、講演された医学部の先生は「献血を定期的に行っていると体調がよいという方は確かにおられる」と話されていました。

献血をすることで困っている人を助けることができますが、献血した側にもメリットがあるとすればたいへん興味深い話だと思います。


次回の更新は10/20(木)です。
カテゴリ : つれづれ : 
2016/10/06 (9:00 am)
昨日見たNHKの番組で紹介されていたのですが、加齢が進んでくると色調を感知する網膜上の錐体細胞がだんだん鈍くなり、微妙な色の区別、特に青い色が見えなくなってくるのだそうです。

私もご多分にもれず老眼が進んで来ていますが、それだけでなく薄暗いところでものを見るのが難しくなっており、煌々と明かりをともさなければ本も読めないようになっています。

色彩については自覚しておりませんが、おそらくそれもあやしいものなのでしょう。

この前の休日、とあるワイナリーに見学に行ってきました。

風光明媚で水はけの良さそうな斜面にはさまざまな種類の葡萄が作付られていました。

その年その年の天候を考慮して収穫時期を機敏に判断しながら発酵工程に進め、手間暇かけて微妙な味わいが生みだされて行きます。

ワインは味覚、嗅覚、視覚をフルに働かせて生みだされる食の芸術品ともいうべき存在ですが、その一方でこれを味わう方も同じく感覚を鋭敏に研ぎ澄ませて受け取る必要があります。

達人ソムリエはテイスティングで葡萄の種類から生産国・地域さらに収穫の年代までを当ててしまう信じられない感覚の持ち主です。

また複数の微妙な味わいをイチゴ、麦わら、クロスグリ、サクランボ、ハチミツ・・・等々アナロジカルな名詞の組み合わせで表現して行きますが、この表現は好き勝手な想像でしゃべっているのではなく、ちゃんと「ある特定の化学成分」と対応しているのだそうです。

ですからひとりの達人ソムリエが列挙した味わいや風味の描写を別の達人ソムリエが聴けば、もはやそれを口にせずともどんなワインかがわかるというわけです。

ところで眼の細胞が衰えてくるように味覚の細胞も劣化してくるとすればだんだんおいしいものもわからなくなってくることになります。

これは何ともさびしい話です。

もっとも、センサーとなる細胞が表面に出ていたとしても最終的にはそれはすべて脳に到達され処理されるのですから、結局これは脳の問題でもあります。

こういうさびしい老化のイメージにさいなまれるのもいかがなものかと思いますので、ここは逆に加齢とともに味わいが理解できるようになる「年輪の技」を信用したいものです。

加齢とともに衰えてゆくものと逆に熟練発達して行くもの、ものごとには常にこの両面があります。

ワインにもできたてのところから樽の中、ボトルの中で熟成して整ってくる味わいがあるように、人間の方にも同じような熟達があってしかるべきだと思います。

熟達はしかしそれなりの修練あってのことでしょうから、結局は美味しいワインでも滋味に溢れた名画でもこれらを鑑賞することにかけてはますます積極的でいたいものだ、そんなことも考えた一日でした。


次回の更新は10/13(木)です。
2016/09/29 (9:00 am)
ジムトレーニングをするとかなりの汗が出ます。

すっきりした気分になってストレッチマットに仰向けに寝転がるときにはほんとうに充実感があります。

私はメガネをかけていますので、仰向いていると汗が湯気になってあがってきてレンズがゆらゆらと曇ってちょっと驚くことがあります。

汗はいうまでもなく上がりすぎた体温を下げるために出てくるもので、これが体表で乾くときに気化熱が奪われるというしくみです。

つまり運動をしたときに出てくる汗は運動によって上昇してきた体温を下げるのが目的です。

ではなぜ運動をすると体温が上がるのかというと、それはミトコンドリアで糖や脂肪、あるいはアミノ酸などが燃焼してエネルギーを生み出すからです。

ミトコンドリアは身体の奥から表面まであらゆる細胞に含まれていますので、この熱源はことごとく身体中の細胞の中から湧き上がってくるものといえます。

一方サウナに入ったときには、10分もすれば汗が連続的にしみ出てきます。

これも体表に向けて発汗し、気化熱で対応しようとする点では運動のときと同じメカニズムの働きによります。

けれども違うのは熱の出どころです。

サウナの場合はヒーターで熱せられた岩石などが熱源となっており、それが体表を通じて体内に浸透し、その結果発汗がはじまります。

つまりこのときには細胞(の中のミトコンドリア)では糖や脂肪を燃焼して新たなエネルギーを生み出す必要がない、というよりもむしろ発熱しないように活動は抑えられる可能性もあるでしょう。

同じ発汗でもミトコンドリアに起因するものか外部の熱によるものかは異なります。

ついでながら、気温が非常に高い状態で運動をした場合には体表からの熱への対応と体内のエネルギー産生からの熱への対応で当然発汗はフル稼働になります。

このような状態では水分やミネラルの補給がいかに重要かがわかります。


次回の更新は10/6(木)です。
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2016/09/22 (9:00 am)
パラリンピックについて改めて気付いたことについて書きとめておきたいと思います。

とはいえ、私の知識や認識は相当遅れていると思いますので、誤解や稚拙な点が含まれるかもしれないことは予めご容赦頂きたい次第です。

パラリンピックが通常のオリンピックと同じ年、同じ開催地で行われるようになったのは2004年だそうですから、そういう意味ではまだ歴史は浅いといえます。

肢体の不自由な人が参加するのだから多くの競技で義足や車いすなどの補助器具が使われ、それによって不自由な機能が補われるのだ、私は単純にそう思っていました。

ですが、昨今では補助器具が進化して「補助」という役割を超えてもっと積極的な道具として機能している面もあるようです。

例えば通常の棒高跳びで用いる棒がありますがそれによって数メートルという高さを飛び超えられるわけですから、あれなどは一種の補助器具です。

パラリンピックでの、例えば走り幅跳びで用いられる義足などを観ていると、その義足は高跳びの棒と同じ類の器具ではないか、そういう印象を持ちました。

また車椅子バスケットボールにおける車椅子は単に移動する手段ではなく、もっと攻撃的な意味を持っているようにみえます。

つまり通常のバスケットボールとは全く違うスキルが磨かれ、それが競い合っているということです。

車椅子のホイールを扱うのは上半身の腕ですが、選手の腕は非常に発達した筋肉を蓄えているのみならず、自在に車を扱う高度な技術が備わっていますのでこれはもうバスケットボールとは別のスポーツとみなしてもよいように思います。

もはや椅子が単純な足の代わりでないならば、逆に健常者が車椅子というツールを使って同じような競技をするということがあっても不思議ではないと思います。

サッカーにも驚きました。

ボールには音のする鈴のようなものが入っているそうですが、実験的にプロのサッカー選手が目隠しをしてプレーしようとしても全くうまく行きませんでした。

音と気配だけをたよりに人間の動きやボールの動きを察知してプレーするという驚くべき能力が発揮されているのです。

最近の研究では脳の働く部分が独特に発達してそういうことが可能になっているということがわかってきているそうです。

こうなってくると、人間の能力のもつ新しい可能性が見えてきます。

今や世界的ピアニストである辻井伸行という人がいますが、彼の演奏を観ていると「視力が使えない」ということが逆にピアノを弾く上で有利に働いているのではないかとさえ思えるようなところがあります。

視力に頼らず初めから指や腕の幅(および脳)で正確無比にあらゆる鍵盤の位置関係を把握している、だからこそミスタッチが少なかったりする、といったことです。

パラリンピックにはまださまざまな見どころやポイントがあるのだと思いますが、何はともあれ深い感慨と切り離せないこと、それはここに出場する人のすべてが例外なく一度は絶望のどん底に落ちるほどの厳しい思いをし、そこから希望を捨てずに見事な方向転換と上昇志向で努力を積んできたというところでしょう。

どんなふうに補助器具が進化し、記録が更新されてもこのネバーギブアップの精神がパラリンピックの神髄、感動の源泉だということはこれからも決して変わることはない点だと思います。


次回の更新は9/30(木)です。
カテゴリ : 健康のための運動 : 
2016/09/15 (3:20 pm)
金曜の夜にどうやって過ごすかは人さまざまですが、仕事を早めに終えて気の合う仲間と街に繰り出して杯を交わしたりするのはやはりたのしいものだと思います。

振りかえってみても30代40代のころは私の週末もだいたいそんなパターンが多かったなと思います。

ちかごろはうっかり深酒をしてしまうと翌朝からだが途方もなく重く感じることもしばしばですので、ペースを上げることにも思わず慎重になるようになりました。

私の家の近所の公営ジムが夜11時まで使えます。

町の施設がせっかく開いてくれているんだからということで何だかこれを利用しないのももったいない気になり、このごろは例えば夜の9時をまわっていてもジムでひと汗流すことが多くなってきました。

金曜日の夜に酒場ではなくジムで過ごすというのは私のような者にとっては結構なパラダイムの転換だと思います。

ところで、実際出かけてみると金曜日の夜更けにもジムはけっこうにぎわっているということを知って私は少々おどろきました。

男性が8割以上ですが年代層は若い人も中年以上の人もいてバラエティに富んでいます。

こういう光景を見ていると、深酒をしながら遅くまでオーバーカロリーの食事をしている自分とジムで身体を動かしている自分の違いの大きさを想像してハッとなります。

いつも思うことですが、不摂生をしてもそれを受け止めてくれたのが「若さ」だったのです。

加齢とともに失われるものはそういった身体のもつふところの深さのようなものです。

だとするとある一定の年齢以上になれば深酒を控える⇒やめる⇒ジムで汗を流すというような方向に意識的に舵を切って行くことがいかにも賢明な気がします。

ソファに寝転がることではなく、汗を流すことが中年以降の身体のいたわり方だとは知りませんでした。

それにしてもトレーニングで発汗したあとの気分爽快さは、美酒にしたたか酔うのとどちらというくらい魅力的なものです。

どうやらお酒もジムトレもやみつきになるところは似ているようです。

皆さん明日の夜はどうやってお過ごしになりますか?


次回の更新は9/23(木)です。
カテゴリ : 健康のための運動 : 
2016/09/08 (9:00 am)
トレーニングジムでランニングマシーンに乗って走っているとき、以前は退屈しのぎに音楽を聴くこともありました。

そうすると、あまり苦労なく一定時間(私の通っているところでは1回あたり20分)が過ぎるのです。

最近は聴くのをやめています。

そのかわり走っている間に、走ることについていろいろなことを考えます。

私はもともと距離によらずランニングは苦手な方で、最高にがんばったときでも高校1年生の時に1500メートルを5分35秒で走るのがやっとでした。

こんなありふれた数字を記憶しているということは自分にとってよほど一生懸命走ったという自覚があったからだと思います。

ところで、もしこれと同じペースでフルマラソンを走ったとしたらどうなるだろうと計算してみますと、2時間37分でした(これはいま電卓で計算したのですが)。

待てよ、この前のオリンピックで猫ひろしさんがブービーゴールで話題になったけれど、そのタイムは2時間45分だったから、2時間37分なら悪くないかな?などと想像するのは楽しいものです。

しかしながら、少年時代の私がベストで頑張ったそのペースで42キロを走るということは考えただけでも凄まじい、ショックなことでもあります。

一昨日ジムで「そこそこ」頑張って走ってみたところ5分35秒時点で1000メートル。

つまりありふれた高校生の私がゴールしてからまだ500メートルも残しているというありさまでした。

何せ43年前の話ですから、まあこのくらいはあたりまえかな、などとも考えたりして。

トレーニングマシーンの最高速度は時速14キロ。

ということはこの最高速度で3時間走り続ければフルマラソンレベルということになります。

サブスリー(フルマラソンを3時間以下で走ること)の人たちの身体能力がいかにすごいかが実感されます。

男子の世界トップクラスはほぼ2時間ほどですから、時速21キロ!

・・・・さて、こんなことを走りながら計算するのはちょっとたいへんなことではあるのですが、20分は退屈せずに過ぎてくれます。

そしてびしょ濡れになったTシャツをとり換えるとき、この気分爽快感はお金では買えないものだなあ、という気持ちになるのです。

私は私なりに爽快になれればOKだと思っています。


次回の更新は9/15(木)です。

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