執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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カテゴリ : 疲労 : 
2006/06/02 (10:50 am)
もう一つ、私が覚えている例を挙げてみたいと思います。

1970年11月25日の三島由紀夫の自決に対して、思想家の吉本隆明さんは、「暫定的メモ」と題する秀逸な評論を残しています。その中で、私の印象に強く残っている一節は、つぎのようなものです。

「すぐれた文学者には、すぐれた文学者にしかわからない、心の空洞のようなものがあるのかも知れぬ。私にはそれがわからぬ。」

このことは、前述の手塚治虫さんについて私が感ずるところと、非常に似たものを連想します。



三島さんが、「過労の末に亡くなった」などというと、独断に過ぎるのでしょうが、要するにモーツアルトにせよ手塚治虫、三島由紀夫にせよ、「創造のイマジネーションは倦むことなく湧き続け、その情念を抑制することすら難しかった」という点で、共通しているといえるのではないでしょうか。この「抑制し難い情念が、いわゆる過労死なるものへと導いた」のではないかというのが、今回、私が言いたいことです。

「湧き出る活力を上手に制御できるかどうか」−このような観点も疲労という現象を考える際に、非常に重要なヒントになるように思います。

(つづく)次回の更新は6/6(火)です。
カテゴリ : 疲労 : 
2006/05/30 (1:50 pm)
漫画家の手塚治虫さんは、アトリエの中やとなりの部屋に出版社の人に列で並んでもらい、連載の原稿を次々と描きあげては渡していったのだそうです。

アンプルの眠気覚ましを飲んだり、机に突っ伏してしばしの仮眠に入ったり、といった様子は、テレビのドキュメンタリーで私も見たことがあります。最終的には、肝臓を病まれて亡くなられましたが、手塚さんの場合は、いわゆる天才の過労死のようなものではないかという気がします。



なぜ、そんなにまで無理をしなければならないのか、少しくらい休めばいいじゃないか、などと思うのは、恐らく凡人の思うところで、私の推測では、手塚さんはべつに、出版社との約束を果たすことを第一の動機として、無理を重ねておられたのではないように思います。

恐らくは、沸々と湧いてくる漫画やアニメのアイデア、美しい画像を紙の上で表現せずにはいられないような衝動が、手塚さんの精神や肉体を突き動かしていたのではないでしょうか。

書いた作品のことごとくが傑作になる、そのような経験をしたことのない凡人には、手塚さんの心境がわからないのだろう、そうとでも考えて納得しようと思ってしまいます。

(つづく)次回の更新は6/2(金)です。
カテゴリ : 疲労 : 
2006/05/26 (4:20 pm)
誰にでも経験があることでしょうが、私も子供のころに、「何かの天才になりたい!」と考えたことがありました。音楽の天才、絵画の天才、スポーツの天才などなど、何でもいいので。

今もって、年甲斐もなく、そんな妄想を抱かないわけではありませんが、それは、「天才=幸福な人」という単純な発想を、どこかで信じているからだと思います。しかし、天才本人は、「天才であることが、必ずしも幸せにつながるわけではない」というでしょう。

もちろん社会的名声を得、経済的にも恵まれて、一生を終えた幸福な天才も少なくないのでしょうが、一方では、天才といわれた多くの人が、湧き出ずる情念を抑えきれず、社会との軋轢に悩んだり、創造の才に振り回されて、不幸のうちに、生涯を閉じた人々も多かったことも知られています。



かなりむかしのことになりますが、宮城音弥先生の書かれた、「天才」(岩波新書刊)という本を読んで、一口に天才といっても、本当にいろいろなパターンがあるのだなあ、と驚いたことを覚えています。

現在では、脳科学の研究の進展により、それら天賦の才がある人の脳内では、ドーパミンという神経伝達物質が、非常に大量に分泌されていた、前頭葉の機能が亢進していた、逆に抑えられていた、などということが類推されるようになってきています。

しかし、それら多くの、天才と呼ばれる人に共通する大きな特徴は、「創造的活動において疲れを知らないこと」ではないかと思います。たとえばエジソンは、1日18時間発明をしていたといわれていますし、名画「アマデウス」に登場するモーツアルトは、アルコールを呑み、ビリヤードをしているあいだにも、五線譜にメロディーを書き入れていました。

(つづく)次回の更新は5/30(火)です。
カテゴリ : 高齢者・療養中の方 : 
2006/05/23 (3:20 pm)
ここで試みに、「アンチエイジング」ということばを、思い切り広げて解釈してみましょう。

たとえば、髪の毛が薄くなってきた人が、人工植毛やカツラをつける、白髪が目立つ人が、白髪を染める−こういったことは、昔から行われていることです。これらは明らかに、その人の見かけの年齢を若く見せる、という意味では立派なアンチエイジングだと言えるでしょう。

あるいは老眼鏡をつける、補聴器を使う、入れ歯をしつらえる、といった補助具の助けを借りることによって、いったん衰えた肉体の機能を補うことも、私はアンチエイジングと呼びたいと思います。



このようなことがきっかけとなって、実際に、精神的にも快活さが取り戻され、それが本当にホルモンの分泌などを促し、真の意味での肉体的な若返りにつながるということも、あり得ないことではないと思います。

化粧品やエステ、整体術やマッサージのような、外部からの物理的刺激も、きちんと行えば効果のあることとして、事実、非常な賑わいをみせています。

L-カルニチンが担当するような、脂肪燃焼といったことが、通常、アンチエイジングの一つと認識されることは、今のところ少ないのかもしれません。けれども増加しすぎた内臓脂肪を燃焼させて「メタボリックシンドローム(生活習慣病)の危険の軽減」とするならば、脂肪燃焼はかなり本質的なアンチエイジングの手段の一つに数えられるのではないかと思います。

(つづく)次回の更新は5/26(金)です。
カテゴリ : 高齢者・療養中の方 : 
2006/05/19 (3:00 pm)
「高齢化とそのリスク」について、このブログの視点で考えるならば、それは何よりも肉体面、健康面の衰えに対してどう備えるか、ということになると思います。

昨今、アンチエイジング(日本語では抗老化)ということばを、よく耳にするようになりました。このことばが、サプリメントの分野で用いられる時には、抗酸化という作用に関連付けられることが多いようです。



ここでは敢えて、いろいろな観点から、アンチエイジングについて考えてみたいのですが、その前になぜ最近になって、特にこのことばが注目されるようになったのかについて、私なりの考えを述べてみたいと思います。

第一に、「日本人が男女ともに、世界で最も高い平均寿命を有するようになった」ということが挙げられるでしょう。そのことはとりもなおさず、「老後をどのように充実させるか」、また、「肉体的な老化を遅らせてもっと生活を楽しもう」という願いに、以前にもまして、強く結びついていると言えるでしょう。

第二に、「老化現象がなぜおこるのかが、科学的に説明されるようになってきた」ということが挙げられます。中でも重要なのが、「老化現象の原因は、活性酸素による細胞や組織、器官の損傷」という考えです。

第三、第四に、「そのような、活性酸素を抑えるのに役立つような成分が、具体的に見出されてきたこと、そして、それらが食品成分として、利用可能になってきた」ということが挙げられます。

老化は病気ではないので、そもそも「医薬品でそれを治療する」というようなものではありません。むしろ、老化は健康だからこそ迎えることのできる人生のステージなのです。

というわけで、アンチエイジングということばが、注目されるようになった背景には、健康な人が摂取するものとしてのサプリメント(食品)が、いろいろな形で利用できるようになったということに、非常に大きな意味があると思います。

(つづく)次回の更新は5/23(火)です。
カテゴリ : 高齢者・療養中の方 : 
2006/05/16 (4:40 pm)
わが身に引き寄せて、老いを考えることについて、もう少し、私自身の実感を言ってみたいと思います。

とはいっても、昭和33年生まれの私自身が、それほど深刻な老いを感じている、ということではありません。老いの宿命を感じるのは、自分の周囲を見渡してみたときにです。それはつまり次のようなことです。

たとえば、私が社会に出てまもなかったころ、私の上司だった人で、とくに仕事の上で大きな権限も持ち、いわゆる脂の乗り切った先輩だった人々は、現在、ある人は引退され、ある人は隠遁され、ある人は何かの新しい仕事に就かれています。いずれも、現役時代には元気溌溂で、厳しい人なら近寄りがたく、こちらの仕事のどんな隙もごまかせないな、と身の縮むような思いをさせられた人々も、引退とともにあらゆるカドがとれ、丸い笑顔を浮かべて「お世話になりました」なんて挨拶を頂いたりします。

また、私の新入社員時代が、その人の定年にあたるような世代の人の場合には、その人たち自身の訃報に接することも、昨今ではしばしば経験するわけです。



もちろん、自分の親、親類である叔父や叔母、学生時代の恩師の世代なんかも、そういう年代です。また、テレビを見ていても、この頃、あの人を見かけないな、と改めて気付くようなことが多くなっています。

もちろん、そんな現象はずっと昔から、あたりまえに起こっていたことですけれども、最近とみに、私自身が、そういうことに対して、第三者として自然に意識するような年代になった、ということが大きいと思います。

そして私が、たまたま現在の年代において、健康に関する仕事をしているということも、偶然ながら、いろいろなことを考える、大きなきっかけになっているとも思います。

(つづく)次回の更新は5/19(金)です。
カテゴリ : 高齢者・療養中の方 : 
2006/05/12 (3:30 pm)
一つの事実として、高齢化社会では、「長生きすることがリスクだ」というような考えが、それほど特別なものではなくなってきているということがあります。

昔は、というより今でも、敬老の日に100歳以上の人に対して自治体が表彰したりしています。そこには「長生きは善」という価値観しかありませんが、特別、それに異議をとなえる心情は、沸いてはきません。



しかし、病院や介護施設に行き、たくさんのチューブを鼻や口から通され、静かに寝息をたてて横たわっておられる方々の様子を目の当たりにすると、そこに心穏やかならざる何かを感じてしまいます。

それを、一言で言い表すならば、まさに「他人事ではない」ということでしょう。それは、自分自身と、それから自分の親族のことを思うところから来ます。

中年である私は、自分の親の世代が今日にもそのリスクに瀕しているわけですし、遠からぬ先には、確実に自分自身の問題となってくることは、憶測ではなく事実です。

これは、肉体的なこと、精神的なこと、経済的なことの三位一体の問題であり、またその三者は複雑に関連しあっています。

そして、この三者のうちどれが不足しても、うまくゆかないんじゃないかな、と思います。これは、本当に難しいことであるような気がしてなりません。

(つづく)次回の更新は5/16(火)です。
2006/05/09 (6:47 pm)
メタボリックシンドロームに関する実態調査結果が、厚生労働省から発表されたというニュースが、今朝(2006年5月9日付け)の各紙朝刊の1面トップで扱われました。
(メタボリックシンドロームについては、2月、3月のブログでも触れていますので、そちらもご覧ください)

これは2004年11月、無作為に選んだ20歳以上の男性1549人、女性2383人を対象に行われた調査で、40〜74歳の男性では、メタボリックシンドロームの有病者と予備軍あわせて50%を超えたということです。



この結果は、これまでに予測されてきた考えを裏付けるものになっています。特に新しい発見があったわけではないのかもしれませんが、私は、ここで重要なこととして、三つのことを言ってみたいと思います。

一つ目は、単に成人病とか生活習慣病といわれていた時には、このような危険域にある人の数を、明確に数値化して把握することができなかったということです。つまり、メタボリックシンドロームの基準(男性腹囲長85cm以上、女性腹囲長90cm以上など)が非常にはっきりと定義されていることから、集団としても個人としても、リスクマネジメントが簡便に行える、これはやはり大変なメリットだと思われます。

二つ目は、このようなしっかり定義付けられた、日本人を対象とした疫学調査が行われることによって、より実態が確実に把握されるということです。また定点観測的に、例えば10年に一度同じ調査を行って、健康施策の効果を客観的に判定することもできます。

三つ目は、そのように把握されたリスクを回避する具体的な方法(食事のコントロールと運動)が提示されていること、そしてその方策が、心がけ次第で誰にでも実行可能なものだということです。

私は、サプリメントの適切な利用も、この三つ目の観点に含まれると考えています。とりわけメタボリックシンドロームは、エネルギー代謝に非常に関連の深い症候群ですので、L-カルニチンをはじめとした脂質代謝に関連するサプリメントについて、今後さらに科学的な知見が蓄積されることが望まれます。

(次回の更新は5/12です)
カテゴリ : 高齢者・療養中の方 : 
2006/05/02 (5:00 pm)
「少子高齢化社会」や「QOLの向上」が、昨今、あらゆる場面において、さかんに話題になっています。これは、環境問題・教育問題などと同じように、大きなスケールの社会問題です。

しかし、わたしたち個々人が、それらについて問題意識をもち考えてみますと、総理大臣でも大統領でもないわたしたちは、結局、まず「自分の人生を、自分でできる限りの責任をもって歩む」、ということにつきると思います。



それをもう一歩進んで考えてゆくと、私の場合は、人生の終末をどういうふうに充実させるか、人に迷惑をかけずにやってゆくか、が問題になります。

こんなことをいうと、「おまえ、何を先細りなことを課題にしてるんだ」と思われるかもしれませんが、それでもやはり、とても重要だと思うのです。

そのように思う背景には、一生の前半・中半・後半、どの時期かがどんなに絶好調だとしても、晩年に恵まれない人生はやはりきついんじゃないかな、という、そんな例を私も人並みにたくさん見知るようになってきたからではないかと思います。

(つづく)次回の更新は5/9(火)です。
カテゴリ : 健康のための運動 : 
2006/04/28 (5:30 pm)
前回、実行可能な運動計画が必要であることについてお話しましたが、ここでもう一度ポイントを整理します。

メタボリックシンドローム(生活習慣病)対策としての健康運動を実行できる、時間と動機を持ちえるのは、定年引退後比較的時間に余裕があり、かつ現実に内臓脂肪型肥満・高脂血症・高血圧・高血糖などの危険因子を持ってしまった人々です。言い換えれば、これからの人生をよりよく迎えるために、それらのリスクを軽減するという、それなりに切実な動機をもった人々であるといえます。



特にこれから続々と定年を迎える団塊の世代にとって、重要な試金石になると思われます。従って、ぜひ正しい効果が期待できる健康運動を計画し、実行して頂きたいと思います。

しかし、現役引退前あるいは働き盛りにある40-50代の人々にとっては、そもそも健康運動をする時間そのものが不足していること、健康リスクに対する意識が低いなどの点から、せっかくの健康運動プログラムでも、「わかってはいるけど、やっていられない」ものに終わる可能性が高いといえます。

また、70歳80歳を超えた多くの方にとっても、理想的な健康運動を継続的に行うことは体力的に難しいでしょう。

ですから、それら中年現役世代と、高齢世代には別の提案が必要になってきます。次回はそのことについて少し考えてみたいと思います。

(つづく)次回の更新は5/2(火)です。

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