執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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2017/10/19 (9:00 am)
あれよあれよという間に今年ももう冬支度が気になる季節になってしまいました。

時の経つのが速い、という実感は現代人に共通の実感だと思いますが自分のこととして素直にふり返ってみてもまさに、確かにその通りだと思わないではいられません。

私はまとまったデスクワークをするときに30分ごとにアラームが鳴るようにセットしたタイマーを使っています。

すると、まったくあきれるくらい「どの30分も」あっという間に過ぎてしまうのです。

えっ!? もう? まだろくに何もしていないのに・・・!

という感じ、それの連続であっという間に2時間3時間が経過して行きます。

その理由を考えてみると、私が懸案を処理する速度より懸案が舞い込んでくる速度の方が速い時が少なくないということです。

電話がかかってくることもありますが、もちろんメールで飛来する用事の方が圧倒的に多いものです。

昼間に自分にめがけて飛んでくるメールはほとんど何らかの「納期」を伴っています。

中にはパッと返信してしまえば片付くようなものも少なくありませんが、時に難問や奇問も含まれています。

すぐにケリのつくような案件にしても1時間に3件5件となると30分タイマーをかけている間にもどんどん溜まって行きます。

人によっては毎回の食事を写メで飛ばしてくる人もあります。

さすがにそれに逐一「いいね」を押すこともありませんが、よくそんな時間があるものだと感心してしまいます。

でもこんなことは今や現代人ならだれでも経験している日常茶飯の風景にちがいありません。

メールが発達する前はファクスだったでしょうか。

その前は固定電話。

電話もなかった頃の仕事などというのはほぼすべて郵便だったのでしょうか。

その当時なら半年分くらいに相当する「〆切り」が今では一日の単位で多くの現代人に舞い込んでいるにちがいありません。

こんな社会に暮らしていれば一日が短くなるのも無理はありません。

この30分タイマー法を試してみて「毎回の30分」があっという間に感じられるとしたら、それは「一日や一月、一年が短く感じられる」ということの直接の証明といえると思います。

こうした時間感覚から解放されるかどうかということは現代人の人生航路のあり方として真剣に検討する必要があるように思います。

今このブログを書いているのは夜更けですのでさすがにメールは少ないですが(それでも1件来ました!)もうあと6分でアラームが鳴ります!!

では今日はこの辺で。また来週!


次回の更新は10/26(木)です。
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2017/10/05 (9:00 am)
「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるのが「イグ・ノーベル賞」です。

今年は「猫は固体か液体か?」や「あくびはうつるかどうかの研究」などが受賞したそうです。

あくびの方ですが、カメを実験に用いて観察したところ(カメもあくびをするということ自体驚きではありますが)結論としては「うつらない」だったそうです。

今回私はウェブでその記事を確認しているとき、そこに出ていた一匹のカメのあくび写真を眺めていてみごとにあくびがこみ上げてきました。

絶対うつると確信しました・・・!

このイグ・ノーベル賞、日本人の受賞は非常に多いとのことです。

どれも一見ばかばかしいのですが、その実着想がすばらしく、ほんとうにうーんと唸ってしまうようなものばかりです。

私の友人で大学の教授をしている人が以前嘆いていたことなのですが、大分前から大学は独立行政法人になってスポンサーのつくような研究をしないと研究室の存立が危うくなったという事情があるようです。

スポンサーのつく仕事というのは、わかりやすくいえばすぐにお金になる研究ということです。

したがって、基礎研究にはお金が回らなくなってくるわけです。

ところで、『昆虫記』を著したファーブルは自然観察の天才でしたが、たとえばフンコロガシの習性などをはじめこれぞイグ・ノーベル賞そのもの、といった話が山ほど出てきます。

そもそも昆虫の世界などはそれ自体人間には関係ないものです(ちなみに今年の受賞のひとつは「メスが交尾器をもつ昆虫」の発見に関するものでした)。

けれどもそういう研究がいつどんな役に立つかわかりません。

あるいは永久に役に立たないことにこそ意味がある場合だってあるでしょう。

ともあれ、フンコロガシの研究をしている大学をもっている国家、というのはすばらしいと思います。

ところで、ノーベル賞をとることはなかなか容易ではありませんが「イグ」の方ならアイデアと執念で何とかなるかもしれません。

こんなことを考えながら家の中、町の中でネタ探しをしてみるのもなかなか一興かもしれません。


次回の更新は10/12(木)です。
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2017/08/17 (9:00 am)
ヒトの進化の歴史の中でもネアンデルタールはとくに有名です。

彼らは大きな脳やがっしりした体躯をもち、毛皮など来て暮らしていたようです。

彼らは旧人とよばれ、基本的には現生人類(新人:ホモ・サピエンス)とは異なる種とされています。

一方2万年ほど前に生きていたとされるクロマニョン人の化石が欧州で発見されていますが、彼らは私たちと同じ新人の仲間です。

クロマニョン人の手によるラスコーの洞窟画をご存知かと思いますが、あの伸び伸びした線で表現された牛や馬の姿を表現する知性は驚きよりも同じ「人間種」として親近感をおぼえます。

同じ種ですからもしクロマニョン人の赤ちゃんを現代社会で育てたとすれば私たちと同じレベルの言語を操り、パソコンやスマホを使って遊んだり仕事をしたりするはずです。

2万年くらいの時間幅では遺伝子はほとんど変化しません。

だとすれば当時の彼らが一生の間に接する情報量はずいぶん少なく、脳のキャパにはたいへん余裕があったと思われます。

べつにクロマニョン人を持ち出すまでもなく江戸時代や明治あたりの生活でもひとりの人間が朝起きてから寝るまでにやりとりする情報のビット数はたかが知れたものだったはずです。

それに比べてのべつまくなしにスマホをいじったりメールのやりとりをしたりしている今のわたしたちの情報量はまったく比較にならない膨大さです。

2万年前になぜこんなに大きな頭脳のキャパが獲得されたのかはほんとうに不思議ですが、私が知りたいのはその限界まであとどのくらいあるのだろうということです。

せめて「まだかなり余裕がある」のか「すでに限界に近いのか」ということくらいわかりたいものだと思います。

ただ、うつ病などの心が折れる状況の人や「睡眠負債」を持っている人が相当いるらしいという状況からすれば「すでに限界近し」ということなのかもしれません。

それにしても寝床にまでスマホ(という電子頭脳)を持ち込んで暗闇の中で情報を浴びているごく一般的な現代人が、人類史上はじめての、かなり極端な脳への刺激体験を通過していることはまちがいないでしょう。

昨今進化が著しい人工知能がそんな私たちの脳を余裕のある方向に運んでくれるのか、さらなる窮地に追い込んでしまうのか、そんなことがとても気になる今日この頃であります。


次回の更新は8/24(木)です。
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2017/07/20 (9:00 am)
医師の日野原重明さんがこの火曜日に105歳の大往生を遂げられました。

たとえば85歳の方でも私から見れば「かなりのご高齢」だと思いますが、105歳というのはそこからさらに20年もあるということになります。

20年という時間があれば人間相当いろいろなことができます。

私はもうすぐ還暦(!)を迎えるのですがそこから105までの距離となると実に45年、これはもう一度べつの人生を生きるのと同じともいえそうです。

こういうと「そうはいっても15歳から60歳までの45年と60歳から105歳までの45年の生産性は同じではない」といった声が聴こえくるかもしれません。

日野原先生がたしか90歳すぎのときに書かれた本だったと思いますが、自分は激務に追われていて睡眠時間も極めて短く、週のうち2−3日は徹夜することもある、起きている間はずっと仕事をしている、講演や原稿執筆のアポイントメントがもう数年先まではいっている、よくこれで過労死しないものだと思う、こう述べられていてびっくりしたことがあります。

また、95歳になれば少しは自分の時間も取れるだろうからゴルフをはじめるつもりだ、ともありました。

さらに驚いたのは97歳当時の著述の中、なんと、2年前からはじめたゴルフがたのしい、と!

95歳でゴルフ開始というのはシャレでも出まかせでもなかったのだ、と思わずうなりました。

テレビで「私は電車の中でもつねに仕事をしていますよ」とも話しておられるのをきいたこともありました。

おそらく先生が100歳少し前あたりのころだったと思いますが、そのころわたしは偶然京都から新横浜に向かう新幹線の車両で日野原先生の姿をお見かけしたことがあります


夜更けの時間でしたので、同じ車両に乗っていた多くの人たちはほぼほぼ眠り込んでいました。

わたしは下車駅に近づいてきたところで手洗いに席を立ち、その時に先生をお見かけしたのです。

先生はせまいテーブルの上に広げた原稿用紙に向かってマス眼もかまわず大きな字で一心不乱に執筆をなさっておられました。

テレビのコメントのとおり。

先生がご自身の生活について公に語られた信じがたいエピソードはことごとくほんとうのことだったようです。

人間ドックや生活習慣病といった今日一般名詞として語られる医療概念を提唱し、最期までみごとに実践して来られたその後ろ姿は私のような一面識もない人間にさえ健康や人生について大きな影響を与えられました。

60歳からの45年の人生の密度や生産性は、やりようによっては決してその前の45年に劣るものではないのだよ、と説きながら人生の達人は静かに逝かれたように思います。 

改めて新鮮な気持ちで生きていきたいものだと思います。


次回の更新は7/27(木)です。
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2017/07/13 (9:00 am)
佐藤一成さんはAI将棋ソフトの『ポナンザ』を開発した人です。

最近佐藤さんのプログラム開発について書かれた本を読みました。

いろいろ疑問に思っていたこと、不思議に思っていたことがたいへんわかりやすく説明されていて、読みながら思わず興奮し、何度もうなってしまいました。

ここ10年くらいの間に読んだ本の中で最も衝撃的だったかもしれません。

囲碁やチェス、将棋というのは勝ち負けがはっきりしている上、「現在の人類最強者」が厳格に定義づけられています。

ですから、最高レベルの将棋や囲碁を理解できない人、AIなんてまったくわからないという人(いわば一般市民のほぼ全員がそれに属するといってよいわけですが)にもそのすごさが理解できます。

ただ、重要なことはこのゲームの世界の話はそこにとどまらないというところです。

つまりそれくらい高い精度で人間の最高度の知的作業をできるのであればこんなこともできるのでは?あんなこともできるのでは?という想像が私のような素人にも働かせられます。

実際それはそのとおりであるらしく、たとえば自動車がほんとうに「自ら動く車」になれる(すなわち完全自動運転)というのはそう遠くない将来のことだといいます。

従来のコンピュータは一秒間に何回計算できるか、といったところに論点がありましたが、昨今のAIはそういう腕力的な性能も(「京」に代表されるように)さることながら、自分でデータを学習しながら人間が考えつかなかったようなこともやってのける可能性があるという点でまったく存在感がちがいます。

ポナンザを開発した佐藤さん自身がすでに「彼」の考えていることをもはや説明も想像もできない、とコメントしています。

また、AIの特徴はその進歩の速度が直線的ではなく指数関数的だというところにもあります。

AIの学習速度ははじめのうちはのろいようでも、状況が整ってきたらあっという間にとんでもないレベルに行ってしまうのです。

コンピュータ将棋そのものはだいぶ以前からありますが、ポナンザは誕生してからわずかに10年。

14歳の藤井四段もすごいですが、ポナンザは10歳で名人(というか全人類)の力量を追い越してしまったということです。

昨今では本当に強い棋士はコンピュータの手筋を取り入れることによって競争を勝ち抜いているといいます。

いまのところまだ「昨今」などと言っていますが、そのうちそんなことはあたりまえになるでしょう。

もちろん私のような素人がポナンザの手筋を見ても何もわかりませんが、最高レベルの棋士にはそれがわかるということで、こうなるともう何だか雲の上の神の対話の様相を呈してきます。

さて、そんな有能な機械に私は何をしてほしいかというと、われわれが健康でいるためにはどうすればよいか、ということについて名人将棋ばりのレベルで指南してくれるような仕事です。

ただし、そんなに健康で長生きして何がうれしいのか?そこのところは永遠に「自分で考える」しかないように思います。

そんなことないでしょうか?


次回の更新は7/20(木)です。
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2017/06/29 (9:00 am)
「藤井四段」はいまや日本でもっとも注目度の高い存在。

もちろん30年以上保持されてきた連勝記録があれよあれよという間に破られたからですが、これが「新人棋士」の「デビュー戦」以来のできごとであることが話題をさらにセンセーショナルなものにしています。

一方奇しくもAIがチェスや囲碁、将棋などで力をつけてきていて人間の名人クラスが勝てないということも最近とみに注目されています。

AI将棋についていえばその開発者自身をして「どのようにしてAIが学習しているのかがはかり知れない」という状況です。

藤井四段が彗星のごとく出現した時期とAIの台頭が同じタイミングであったことは偶然のことですが、たいへん示唆的です。

AIと人間の対決に関してはもはやどちらが強いか、とくに将来的にはどうかということはもうあまり興味をもって問われなくなるでしょう(たとえば藤井四段との対決など私はべつに観たいと思いません)。

これはいいかえれば電子頭脳の方が強いということが人々の失望につながらなくなるということでもあります。

それよりも、AI将棋の示している「人間離れした発想」が逆にプロ棋士たちの手筋にどんな影響を与えてゆくかがより重要になって行くようです。

これからの注目点はAIを活用しながら「生身の天才棋士たち」が演じるドラマがどのように展開するかということになりますが、これはまさに棋界にとっての新しい時代の幕開けといえるでしょう。

ところで「中学生の藤井クン」が幼少時にどんなおもちゃで遊んでいたかとか、学級での様子がどんなふうだとか、そんなところにもこまごまとスポットがあてられています。

とくに彼が「何を食べているか?」という話題がケッサクです。

ラーメンが好きだとか名古屋なので味噌煮込みうどんが対局前の勝負めしだとか。

どんな知的な刺激や教育を受けたのかという点に興味注がれるのはもっともですが、頭が良くなる食べ物、あるいは頭の良い脳をつくる食べ物はなにかというのはなかなかおもしろい視点だと思います。

つい先日亡くなった渡辺昇一さんが名著『知的生活の方法』の中で「脳も身のうち」ということを述べていて、頭脳のはたらきと食べ物の関係を真摯に論じています。

もちろん藤井四段と同じものを食べたからといって何か劇的なことが直ちにおこるとは考えられませんが「ある人はその人が食べた物からできている」という真実は食物科学の最も基本にある重要なかんがえです(これとは別に「生まれてきた赤ちゃんのからだはすべてお母さんが食べた物からできている」ということはよりわかりやすい)。

若き天才棋士の出現はこと将棋にとどまらず、脳科学、食物科学、教育学など数々の分野にみずみずしい関心を広げ続けています。

こういうことはAIとちがって、人間味にあふれた想像力をかきたてられる示唆に富んでいてずいぶんほっとするような気がいたします。

ともあれ、どこまで連勝記録がつづくのかまだ当面眼が離せませんね。


次回の更新は7/6(木)です。
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2017/06/22 (9:00 am)
近頃は対向車線から自動車が飛んできたとか登校中の児童の隊列に車が突っ込んだとかそんなニュースを耳目にすることが多いですね。

いったん事故が起こってしまうと当事者はもとより交通妨害がおこり、警察官の人たちもたいへんな事後処理が必要になってしまいます。

昨日の朝、街中で車を運転していたらたくさんの警察の人が出てあちこちで通勤通学の人たちの誘導をしていました。

交通安全週間なのかどうか、運転をしている方にしてみれば白バイやパトカーなどが視界に入ると少なからずハッとします。

それまで飛ばしていたクルマの流れもぐっとゆっくりになったりもします。

何も違反をしているつもりはなくとも一瞬の緊張が走る、これは正直なところちょっと「イヤな感じ」なのです。

けれども、ほんとうにいやな感じがするのはやはり事故現場と出くわしたときです。

大勢のパトロール隊による朝の交通整理を見ていてふと、これはまさに身体でいえば予防にあたるな、と思いました。

事故の後処理は一時的な生活活動の停滞を伴い、車や乗っていた人、巻き込まれた通行人、ガードレールや電柱などのインフラの修理などにとても大きな負荷がかかってしまいますが、この点まさに傷病の治療と同じです。

お酒をのみすぎるな、寝る前にものを食べるな、体重を管理せよ、きちんと睡眠をとれ・・・こういうことはちょっと羽目を外して楽しんでいたい身にしてみれば余計なお世話、「イヤな感じ」がよぎりますが、街中でパトカーが見えた時とよく似ています。

だからというわけではありませんが今日はほんとうに久しぶりに歯医者さんにケアを行ってしてもらいました。

虫歯などは特になく、歯そのものはしっかりしていますねと褒められて少し気をよくしたのですが、同時に痛い思いをして削ったり抜いたりせずに済んだことにほっとしました。

忙しさの最中に紛れてしまうのも交通安全や健康管理の共通点かと思います。

人生の終盤、忙しさから解放されたとたんに放置していた健康の治療にとりかかる、というのはどうもマズいと思います。

まず手始めに近所の歯医者さんに予約を入れてみられてはいかがでしょうか?


次回の更新は6/29(木)です。
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2017/06/15 (9:00 am)
先日片岡鶴太郎さんが全日本ヨガ連盟からヨガ親善大使に任命されたというニュースをみました。

なんでも、インド政府公認プロフェッショナルヨガ検定に合格しレベル1からレベル4まであるうちのレベル1のライセンスを取得したのだそうです。

鶴太郎さんといえば、物まね芸人から出発して、ボクサー、俳優業そしてプロの画家としても大活躍していることで有名です。

鋭敏な好奇心を駆使して面白いと思ったことにはグッとくらいついてものにしてしまう、その発想や執念、努力には感服します。

そんな鶴太郎さんのことですから、ヨガへの取り組みも生半可でなく外出の7時間前に起きて4時間のトレーニングに励み、その後2時間かけて食事そして身支度。

しかも一日一食なのだそうです。

朝6時に出かける場合には午後11時に「起きる」というわけで、なんだか混乱してきそうです。

そんな生活で体重は65 kgから43 kgになり、カゼひとつひかず体調はすこぶる良好、125歳まで生きるのだとか。

鶴太郎流にいえばこれでまたあたらしいジャンルをひとつものにした、ということですね。

ものすごく充実してその成果を楽しんでおられる様子が伝わってきます。

ただ、座禅の足組みをしながらお腹をボコッと引っ込めてポーズをとっている写真をみていると、あばら骨がくっきり浮き出ていて目はくぼんでぎらぎらしており何だか鬼気迫るものがあり、ちょっと引いてしまいそうです。

この鶴太郎さんの姿とそっくりな、骨と皮だけになった荒行後の仏陀の像をみたことがあります。

ほんとうにそっくりです。

こうなると鶴太郎さんが肉体的なことだけではなくて、何かあたらしい精神的な境地に到達したのではないかと、そんなところにも興味が湧いてきます。

体調が良くて充実感もあって、ということなのでいうことはないのですが、それにしてもここまで身体をそぎ落としてしまってほんとうに大丈夫なのか心配になってきます。

この状態、トラブルがおこっていない段階ではまったく問題がない、というかむしろ非常に健康なのだと思うのですが、ひとたび何らかの不調が起きてきた場合にそれに対応できるのか懸念をおぼえます。

肥満体だった人が大きな手術をして退院後に別人のようにスリムになっていた、というような事例をよくみかけますが、これは病巣の除去、修復という非常に大きな身体ストレスに対して持ち前の体脂肪や筋肉を消費した結果にちがいありません。

まさに身を削りながらの闘病・回復ということになります。

こういう観点からかんがえると「無駄なものはなにももたない」ふうに見える鶴太郎さんのすさまじいまでのアプローチについても少し検討が要るような気がしますが。

そもそも、手術が必要になるような病気にならないよ、ということでしょうか。

ともあれ、どんなジャンルにも挑戦してプロフェッショナルなレベルまで到達してしまう鶴太郎さんにしてみれば、活き活きと新天地に突っ込んで行くということが重要なんですね。

ええ、大いに元気を頂ける思いがします。

これからも世間をあっ!と言わせ続けてほしいものです。


次回の更新は6/22(木)です。
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2017/05/25 (9:00 am)
わたしの最近の得意技のひとつはいいレストランや飲み屋さん、喫茶店などを直感でさがしあてることです。

ウェブサイトの口コミ情報などに頼るのではなくてあくまでもお店のたたずまいだけをたよりに探します。

というよりたまたま歩いていたり車に乗って通りがかったりするときに「あれっ?」と気になったら入ってみるわけです。

ここのところ特に運がついているようで、何軒かたて続けに「すごい!」とびっくりするようなレストランやカフェを見つけることができています。

数えたわけではないので正確なところはわかりませんが、どうも最近その「打率」がぐんぐんと上がってきているような自覚があるのです。

ところで脳の奥まったところに大脳基底核という部分があります。

さらにそこには尾状核なる部位がありますが、この領域はいわゆる「直感」がはたらくときに作動していることが最近の研究でわかってきています。

将棋の棋士などはここが非常に発達しているということです。

興味深いのは脳のこの部分というのは年齢が高くなってきてからも訓練次第で鍛えられるのだそうです。

直感とは何か、というとたぶん「言語を介さないである結論に到達すること」といったところでしょう。

あれこれ考えるのではなく、一瞬に結論がわかるということは驚くべき能力だと思います。

言葉を介さないので、自分でもなぜそれがわかったのか、それを他人に説明することができないということです。
齢をとれば脳なんて衰える一方、と思われるのが一般的ですが大脳基底核に関しては加齢とともに発達するのだそうです。

レストランやカフェをウェブにたよらずにみつける、というようなことももしかしたら私の脳の奥が「熟成」してきたせいかもしれないな、などと考えながらちょっと愉快になっている今日この頃です。


次回の更新は6/1(木)です。
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2017/05/18 (9:00 am)
かつて上方で林家小染という噺家がいました。

この人は好角家(相撲好き)でも有名で、懇意にしていた力士も少なくなかったようです。

力士と言えばもちろん大食漢も多いわけですが、小染さんによれば中でも飛び抜けていたのは福の花という人だったそうです。

小染「関取、焼き肉やったらどのくらい食べられますか?」

福の花関「焼肉か、どのくらいやと思う?

小染「さあ、私も噺家の中ではよう食べる方で、7−8人前くらいやったら食べられますさかい、関取やったら20人前ぐらいですか」

福の花関「いやいや53人前や」

小染「53人前!?」

いくら巨漢の力士とはいえこの食欲は超弩級ですが、これに対する小染さんのコメントがおもしろかった「こらすごい。なんせ、ひとクラス分の給食を一人で食べるようなもんでっさかいなぁ!」(爆笑)

なるほど、途方もない胃袋です。

ところでこの前テレビで女性の大食いの人が競い合う番組をみました。

こういう人たちはフードファイターと呼ばれるのだそうですね。

数人の札付きの実力者がハワイで何日かにわたって次々にいろんなメニューを平らげてゆくのですが、1キロのT-ボーンステーキあり一羽丸ごとのチキンあり丼ものありラーメンあり、と、それはそれはこれでもかというくらいのたべものがあっという間に女性たちの胃袋に流し込まれて行きました。

最後の決勝戦となったラーメンでは皆15杯前後も平らげていたと思います。

これを見ていて不思議に思ったのは、こういう女性フードファイターの人たちというのは決して太ってもいないし大柄でもないことです。

見た目はふつう、というよりむしろ小柄な人が多いようにみえます。

以前ギャル曽根という女性フードファイターがどんどん食べているところをレントゲンで撮影しながら調べて行くのを見たことがあります。

論評していた消化器内科のお医者さんも「こんなに大きくなった胃袋はみたことがない!」と仰天していました。

なんでも通常の15倍だかの大きさまで膨張しているんだそうです。

まあそうでもなければ数キロ以上におよぶ食材を食べ続けることはできないでしょう。

ともかくレントゲンでは胴体のほとんどが胃に占拠されているように見えていました。

この人たちの身体がどうなっているのか、想像するしかありませんが、食べた物が吸収されないか、ものすごい速度で燃焼しているか、そんなところでしょう。

しかしもし吸収されないのだとしたら、普通の食事ではもたないはず、なのでそんなことはないと思います。

食べた端からどんどん燃焼しているのだとしたら・・・そのエネルギーは特に運動もしていないのであれば熱になるはずです。

けれども体温は平熱のまま・・・ガンガン燃えている、のでもなさそうです・・・。

仮に非常な速度で燃焼しているのだとしたら、普通の食事をしているときにはたちまちエネルギー不足になってしまうにちがいありません。

力士であれば大きな身体に吸収され、はげしい稽古が求めるエネルギー需要に対応してそれなりにバランスするのだと思いますが、小柄な女性の場合には本当に不思議なことです。

幽門という、胃から十二指腸につながる出口が閉塞したような状態になると「胃拡張」という病気になりますが、この場合にはたちまちにして嘔吐が起こったりして身体が受け付けなくなります。

いずれにしても私はその番組をみている間ずっと不思議だ不思議だと繰り返し思っていたばかりで、感心もしなければとくに面白くもありませんでした。

危険極まりない行為なのでこういう番組は如何なものかと思いますが、そもそもそういう特殊な体質の人は「やってみようかな?」という気持ちになるのでしょうね。

人間どんなことであっても「やってみようかな」という気になることについては適性があるということなのかもしれないな、などとあらぬ方向にまで思いが及びました。

それにしても・・・いやはや・・・!


次回の更新は5/25(木)です。

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