執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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2018/01/11 (9:00 am)
新年明けましておめでとうございます。

おかげさまでこのブログをはじめてから今年の二月でなんと干支が一巡することになりました。

戌年の私はその二月で何を隠そう「還暦男」です。

「昭和の年齢」でよく引き合いに出されるサザエさん一家の磯野波平さんは54歳だそうですから、それよりも6歳も年長ということで、これはちょっとげんなりします。

還暦といえば赤いちゃんちゃんこ、ですが、どうも私はこれが苦手です。

というのは最近なにかの余興のようなところで無理やりそれを着せられる人を毎年どこかしこで目撃するのですけれど、悪いですがどなたも「まったく似合っていない」。

理由は明らか、いずれもひとえに「若すぎる」のです。

現代の感覚からいえば、たとえば傘寿(八十歳)などでちゃんちゃんこ、というのがちょうど良いのではないでしょうか。

ついでながら先の波平さんのプロフィールをウェブで拾うと「・・・趣味はたくさんあり、囲碁、盆栽、釣り、俳句、骨董品の収集などなど・・・」とあります。

当時の会社の定年は55歳ですから、それを一年後に控えた人物描写としては趣味と言っていかにもそういう感じだったのだなあと思います。

サザエさんの連載が開始された翌年昭和22年の日本人の平均寿命は50.06歳、現在のそれは80歳を超えているわけですから、波平さんは今様に言えば81歳くらいの気構えであったかもしれません。

まあ年頭初回のブログが年齢のことばかりで恐縮ですが、今回ばかりは自然とそちらに意識が向いてしまうようです。

一日でも体調の良い日をたくさん確保して充実した一年にしたいものだと例年にも増して気分を一新しているところです。

どうぞよろしくおつきあいくださいますように、そして、健康いちばんでつつがなくお過ごし頂けますように!


次回の更新は1/18(木)です。
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2017/12/21 (9:00 am)
先週の月曜日の午後に用事を終えて新大阪から新幹線に乗って東京方面に向かいました。

まったく普通に京都を過ぎ名古屋までは定刻に到着したのです。

が、そのあとなかなか列車が発車せず「ただ今車両点検中」とのアナウンスが数回入りました。

そうするうち、ほどなく「別の列車に乗り換えてください」との通告。

遅れた時間そのものはさほどでもなく、私自身もその後順調に目的地の新横浜に到着したのですが、その車両が大いに問題でした。

翌日に「新幹線始まって以来の重大インシデント発生」との報道があり、当該の車両はなんとそれから数日の間名古屋駅の番線に留め置かれたのです。

9日を経た昨日(12月20日)の新聞には「あと3センチで台車に破断、大脱線の恐れがあった」との詳細なレビューがあり、紙面にはJR西日本の役員の人たちが頭を垂れて謝罪する写真が載っていました。

2005年にJR福知山線で車両が脱線して近隣のマンションに突っ込み前代未聞の事故があったことも記事の引き合いに出されていましたが、もう少し故障の発見が遅れていたら他ならぬ自分がさらに大きな事故に巻き込まれていたのかもしれない、そうと思うと改めて背筋が寒くなる思いがしました。

ただ私は今度のことを通じて健康問題も同じようなものだと思いました。

少し異常があると気付いても「まあ大丈夫だろう」とやりすごし、やがて大きな破たんがやってくる。

そしてそのような破たんは(新幹線の台車がそうであったように)少しづつの負荷の積み重なりが一気に表面化してくるのだと思います。

身体の中の筋肉のどこか、関節のどこか、神経や血管のどこかにもしかしたら今この瞬間にもダメージが進んでいるかもしれない。

そこで大切なことは「あれ?ちょっとおかしいかな?」という感受性だと思います。

もちろん健康診断の数値というものもありますが、件の事故車両にせよかなり直前の検査で異常なしとされていたといいますから、やはり異音や異臭に最初に気づいた「岡山あたりでの処置」を自分の健康管理でも行うことが重要なのだろうと思います。

これからいよいよ年末年始の歳時に入って行きますが、みなさま方におかれましてもくれぐれも用心なされますよう。

さて、まだ少し早いですが28日はお休みを頂きまして今年はこれにて筆おさめとさせて頂きます。

新年第1回目は1月11日からお目にかかりたく思います。

今年もこのブログに最後までおつきあい下さいましたこと、改めて厚く御礼申し上げます。

それでは良いお年をお迎えください!


次回の更新は1/11(木)です。
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2017/12/07 (9:00 am)
何度思い知ってもやはり同じことですが、時間のたつのがあまりにも早く感じられます。

仕事で使っている手帳(私は古典的な手帳派です)を繰り直してみると毎日毎日ぎっしりと「用事」が入っています。

というか、1年が終わってみると「用事」はすべて「記録」と化しています。

日々メールでのやりとりをこなしている中、考えてみればメールというのはほぼ「他者との約束ごと」で満たされています。

つまり手帳にぎっしり残っている記録はそんな約束事に対する対応の記録でもあります。

もちろんそれらは私から相手の方にお願いをし、それに応えて頂いた記録もたくさん混じっています(お世話様。感謝感謝です)。

一週間に、一か月に、一年間に、いったいどれだけの人との間にどれだけの約束事を交わしたのか、いささか気が遠くなりそうです。

仕事の上での約束事は当然ながら納期を伴います。

時間はたいていこの納期を基準に動いているようです。

そこで被害を受けているのが「納期のないミッション」です。

「自分の自分による自分の為の納期」というものはどうしてもきちんと設定できなかったり、守れないままに時間ばかりが流れて行きます。

もちろん生活の糧を得るために働くということの優先順位が高いことは百も承知ですが、もはや待ったなし!で自分のためのミッションに現実的な納期を設けてゆかなければなあ、といつになく強く思うこの頃です。

前回書いた同窓会で抱いた感想しかりで、時間は有限、というか心身ともに随意に安寧が保たれている時期というのは寿命とは別の「現に保有している貴重品」にちがいありません。

今年はぜひ来年に向かっての「助走の時間」をこの師走にしっかりと確保したいものだと思っています。


次回の更新は12/14(木)です。
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2017/11/30 (9:00 am)
先週の祭日は慌ただしさにかまけて突如ブログをお休みしてしまい申し訳ありませんでした、改めてよろしくお願いいたします。

さて若い頃、といっても20代から40代くらいまででのことかもしれませんが、例えば同級生の誰彼とたまに会ってもそれほど昔と印象が変わらないという気がしていたものです。

そんな中、先日高校時代の同窓会がありました。

面影がほとんどかわらない人がいる反面、まったく昔からは想像できない風貌の人もいていろんな感慨を覚えました(自分のことはいったん棚に上げての話です)。

恩師の方々が6名参加されていました。

ほとんどの方が80代、しかし皆さんお元気でした(この前までこのブログでご紹介した体温測定健康術を教わったのもその中のおひとりです)。

もちろんすこぶる懐かしく、楽しいひと時はあっという間だったのですが、漠然と抱いた感想、それはこれから先はもっとこまめに会わないといけないな、というものでした。

昔の印象があまり変わらない間にいろいろ話しておきたいことも多いように思われたからです。

人間は対数的感覚で齢をとるといいます。

85歳でも100歳でも若い人からみればあまり差がないという意味です。

それは確かにそうですが、実際還暦付近の年齢になり、その先までの時間を推し量ってみると別に対数的でもなく、かなり直線的というかむしろ老化の速度は指数的に早まるのではないかという気がしてきます。

現在80代でお元気な恩師の方々があと10年後はどうだろうと考えると、なかなか複雑な思いがこみ上げてきたものです。

いまさらながら今回還暦付近からどのようにスローエイジング(slow aging)に転じられるのかが健康寿命を実現してゆく上での腕の見せ所だと思った次第です。

見かけの若々しさは身体状況の若々しさを反映しているということは昨今の研究でも明らかになってきています。

逆に言えば見かけの若々しさを保つように工夫努力すればそれが内面のコントロールにもつながるということになりそうです。

上手く行くかどうかわかりませんが、私もいよいよそんな年代に入ってきたのだな、と、そんなこんなを改めて感じた同窓会ではありました。


次回の更新は12/7(木)です。
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2017/10/26 (9:00 am)
昨年でしたが、ひどい五十肩になってしまいほとほと困って整形外科医に行きました。

よくある五十肩の場合はレントゲンを撮り「映像を見た限りで異常はない」と判断され、筋弛緩薬と痛み止めの処方箋が出て時間が経てば治ると言われて終わるのが通例だと思っていました。

はたして実際に受診してみるとまったくその通りで、レントゲン写真を見て異常なし、時間がかかりますがそのうちよくなるでしょうと言われ、筋弛緩薬と痛み止めの処方箋が出ました。

もちろんおかしな筋肉の断裂や骨に異常がないことなどがわかってほっとはしたのですが、あまりに型どおりの展開に少しがっかりする面もありました。

現代日本の医療は国民皆保険で3割か1割の自己負担で施療が受けられるようになっています。

このおかげで世界一の長寿大国が実現していることは周知の事実です。

保健医療を成立させているものは厳格な「ガイドライン」というしくみです。

問診や視診などによってざっと診断し、検査によって診断を確定し、それに基づいて施療や処方箋の発行が行われる、そして処方箋に基づいて調剤薬局で医薬品を購入するという流れ、これらすべてが一定の「ガイドライン」に基づいてなされます。

これがないと、医師ごと、医療施設ごとに主観的な尺度で様々な措置がとられ、結果的に保健医療というシステムが持たなくなってしまいます。

主観的な医療判断を回避するためのしくみが「ガイドライン」というわけです。

たとえば、中性脂肪が151 mg/dLであれば異常149 mg/dLであれば正常と判断され、後者の場合に薬を処方したらガイドライン逸脱になるわけです。

しかし実際に数値が149でも151でも本質的な差はありませんがどこかで線引きせざるを得ないということです。

ところで、ある医師は「これはこういう原因でこういう症状が出ているんだな」と察知し「それなら〇〇の治療が良いだろう」と判断したとします。

けれどもそれがガイドラインにない措置だとしたらその施療は自由診療扱いになり、保険診療を使うことができません。

こういう医療の事情は学生食堂に似ています。

学生食堂には「日替わり定食」があって格安で空腹を満たすことができます。

けれども日替わりとはいえ、そのうち飽きてきてアルバイト収入などあればキャンパス近くのプチ高級レストランで少し高めのメニューを食べたりする日も出てきます。

この場合学生食堂の調理人さんは保険診療の医師、プチ高級レストランのシェフは自由診療の医師のような立場に喩えられます。

学生食堂の調理人さんだって自由な食材でメニューが組むことが許されれば相当のことができるはずです。

昔のように食材が乏しかった時代にはそれでも矛盾は起こらなかったと思いますが、選択肢が増えてくるとしだいに制限がきつく感じられるようになり消費者のニーズを満たすことが難しくなってきます。

この場合選択肢が増えてくるということには「食材が増えてくる(あたらしい医療情報が増えてくる)」ということと「顧客の嗜好性が洗練されてくる(より健康寿命に対する要求が強まってくる)といった二つの意味あいがあります。

先端医療技術やある種のサプリメントなどはそんな「ガイドラインの外」にある選択肢のひとつになってきています。

手塚治虫の名作『ブラックジャック』は超絶技巧の手術を施し、法外な料金を課することで有名ですが、彼が無免許医であることはともかくガイドラインを踏み越えて施療をすることに一種の哲学をもっていたこと、これがあの作品のベースモチーフのひとつになっていたのかもしれません。

その意味で非常に時代を先取りしたテーマだったように感じます。


次回の更新は11/2(木)です。
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2017/10/19 (9:00 am)
あれよあれよという間に今年ももう冬支度が気になる季節になってしまいました。

時の経つのが速い、という実感は現代人に共通の実感だと思いますが自分のこととして素直にふり返ってみてもまさに、確かにその通りだと思わないではいられません。

私はまとまったデスクワークをするときに30分ごとにアラームが鳴るようにセットしたタイマーを使っています。

すると、まったくあきれるくらい「どの30分も」あっという間に過ぎてしまうのです。

えっ!? もう? まだろくに何もしていないのに・・・!

という感じ、それの連続であっという間に2時間3時間が経過して行きます。

その理由を考えてみると、私が懸案を処理する速度より懸案が舞い込んでくる速度の方が速い時が少なくないということです。

電話がかかってくることもありますが、もちろんメールで飛来する用事の方が圧倒的に多いものです。

昼間に自分にめがけて飛んでくるメールはほとんど何らかの「納期」を伴っています。

中にはパッと返信してしまえば片付くようなものも少なくありませんが、時に難問や奇問も含まれています。

すぐにケリのつくような案件にしても1時間に3件5件となると30分タイマーをかけている間にもどんどん溜まって行きます。

人によっては毎回の食事を写メで飛ばしてくる人もあります。

さすがにそれに逐一「いいね」を押すこともありませんが、よくそんな時間があるものだと感心してしまいます。

でもこんなことは今や現代人ならだれでも経験している日常茶飯の風景にちがいありません。

メールが発達する前はファクスだったでしょうか。

その前は固定電話。

電話もなかった頃の仕事などというのはほぼすべて郵便だったのでしょうか。

その当時なら半年分くらいに相当する「〆切り」が今では一日の単位で多くの現代人に舞い込んでいるにちがいありません。

こんな社会に暮らしていれば一日が短くなるのも無理はありません。

この30分タイマー法を試してみて「毎回の30分」があっという間に感じられるとしたら、それは「一日や一月、一年が短く感じられる」ということの直接の証明といえると思います。

こうした時間感覚から解放されるかどうかということは現代人の人生航路のあり方として真剣に検討する必要があるように思います。

今このブログを書いているのは夜更けですのでさすがにメールは少ないですが(それでも1件来ました!)もうあと6分でアラームが鳴ります!!

では今日はこの辺で。また来週!


次回の更新は10/26(木)です。
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2017/10/05 (9:00 am)
「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるのが「イグ・ノーベル賞」です。

今年は「猫は固体か液体か?」や「あくびはうつるかどうかの研究」などが受賞したそうです。

あくびの方ですが、カメを実験に用いて観察したところ(カメもあくびをするということ自体驚きではありますが)結論としては「うつらない」だったそうです。

今回私はウェブでその記事を確認しているとき、そこに出ていた一匹のカメのあくび写真を眺めていてみごとにあくびがこみ上げてきました。

絶対うつると確信しました・・・!

このイグ・ノーベル賞、日本人の受賞は非常に多いとのことです。

どれも一見ばかばかしいのですが、その実着想がすばらしく、ほんとうにうーんと唸ってしまうようなものばかりです。

私の友人で大学の教授をしている人が以前嘆いていたことなのですが、大分前から大学は独立行政法人になってスポンサーのつくような研究をしないと研究室の存立が危うくなったという事情があるようです。

スポンサーのつく仕事というのは、わかりやすくいえばすぐにお金になる研究ということです。

したがって、基礎研究にはお金が回らなくなってくるわけです。

ところで、『昆虫記』を著したファーブルは自然観察の天才でしたが、たとえばフンコロガシの習性などをはじめこれぞイグ・ノーベル賞そのもの、といった話が山ほど出てきます。

そもそも昆虫の世界などはそれ自体人間には関係ないものです(ちなみに今年の受賞のひとつは「メスが交尾器をもつ昆虫」の発見に関するものでした)。

けれどもそういう研究がいつどんな役に立つかわかりません。

あるいは永久に役に立たないことにこそ意味がある場合だってあるでしょう。

ともあれ、フンコロガシの研究をしている大学をもっている国家、というのはすばらしいと思います。

ところで、ノーベル賞をとることはなかなか容易ではありませんが「イグ」の方ならアイデアと執念で何とかなるかもしれません。

こんなことを考えながら家の中、町の中でネタ探しをしてみるのもなかなか一興かもしれません。


次回の更新は10/12(木)です。
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2017/08/17 (9:00 am)
ヒトの進化の歴史の中でもネアンデルタールはとくに有名です。

彼らは大きな脳やがっしりした体躯をもち、毛皮など来て暮らしていたようです。

彼らは旧人とよばれ、基本的には現生人類(新人:ホモ・サピエンス)とは異なる種とされています。

一方2万年ほど前に生きていたとされるクロマニョン人の化石が欧州で発見されていますが、彼らは私たちと同じ新人の仲間です。

クロマニョン人の手によるラスコーの洞窟画をご存知かと思いますが、あの伸び伸びした線で表現された牛や馬の姿を表現する知性は驚きよりも同じ「人間種」として親近感をおぼえます。

同じ種ですからもしクロマニョン人の赤ちゃんを現代社会で育てたとすれば私たちと同じレベルの言語を操り、パソコンやスマホを使って遊んだり仕事をしたりするはずです。

2万年くらいの時間幅では遺伝子はほとんど変化しません。

だとすれば当時の彼らが一生の間に接する情報量はずいぶん少なく、脳のキャパにはたいへん余裕があったと思われます。

べつにクロマニョン人を持ち出すまでもなく江戸時代や明治あたりの生活でもひとりの人間が朝起きてから寝るまでにやりとりする情報のビット数はたかが知れたものだったはずです。

それに比べてのべつまくなしにスマホをいじったりメールのやりとりをしたりしている今のわたしたちの情報量はまったく比較にならない膨大さです。

2万年前になぜこんなに大きな頭脳のキャパが獲得されたのかはほんとうに不思議ですが、私が知りたいのはその限界まであとどのくらいあるのだろうということです。

せめて「まだかなり余裕がある」のか「すでに限界に近いのか」ということくらいわかりたいものだと思います。

ただ、うつ病などの心が折れる状況の人や「睡眠負債」を持っている人が相当いるらしいという状況からすれば「すでに限界近し」ということなのかもしれません。

それにしても寝床にまでスマホ(という電子頭脳)を持ち込んで暗闇の中で情報を浴びているごく一般的な現代人が、人類史上はじめての、かなり極端な脳への刺激体験を通過していることはまちがいないでしょう。

昨今進化が著しい人工知能がそんな私たちの脳を余裕のある方向に運んでくれるのか、さらなる窮地に追い込んでしまうのか、そんなことがとても気になる今日この頃であります。


次回の更新は8/24(木)です。
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2017/07/20 (9:00 am)
医師の日野原重明さんがこの火曜日に105歳の大往生を遂げられました。

たとえば85歳の方でも私から見れば「かなりのご高齢」だと思いますが、105歳というのはそこからさらに20年もあるということになります。

20年という時間があれば人間相当いろいろなことができます。

私はもうすぐ還暦(!)を迎えるのですがそこから105までの距離となると実に45年、これはもう一度べつの人生を生きるのと同じともいえそうです。

こういうと「そうはいっても15歳から60歳までの45年と60歳から105歳までの45年の生産性は同じではない」といった声が聴こえくるかもしれません。

日野原先生がたしか90歳すぎのときに書かれた本だったと思いますが、自分は激務に追われていて睡眠時間も極めて短く、週のうち2−3日は徹夜することもある、起きている間はずっと仕事をしている、講演や原稿執筆のアポイントメントがもう数年先まではいっている、よくこれで過労死しないものだと思う、こう述べられていてびっくりしたことがあります。

また、95歳になれば少しは自分の時間も取れるだろうからゴルフをはじめるつもりだ、ともありました。

さらに驚いたのは97歳当時の著述の中、なんと、2年前からはじめたゴルフがたのしい、と!

95歳でゴルフ開始というのはシャレでも出まかせでもなかったのだ、と思わずうなりました。

テレビで「私は電車の中でもつねに仕事をしていますよ」とも話しておられるのをきいたこともありました。

おそらく先生が100歳少し前あたりのころだったと思いますが、そのころわたしは偶然京都から新横浜に向かう新幹線の車両で日野原先生の姿をお見かけしたことがあります


夜更けの時間でしたので、同じ車両に乗っていた多くの人たちはほぼほぼ眠り込んでいました。

わたしは下車駅に近づいてきたところで手洗いに席を立ち、その時に先生をお見かけしたのです。

先生はせまいテーブルの上に広げた原稿用紙に向かってマス眼もかまわず大きな字で一心不乱に執筆をなさっておられました。

テレビのコメントのとおり。

先生がご自身の生活について公に語られた信じがたいエピソードはことごとくほんとうのことだったようです。

人間ドックや生活習慣病といった今日一般名詞として語られる医療概念を提唱し、最期までみごとに実践して来られたその後ろ姿は私のような一面識もない人間にさえ健康や人生について大きな影響を与えられました。

60歳からの45年の人生の密度や生産性は、やりようによっては決してその前の45年に劣るものではないのだよ、と説きながら人生の達人は静かに逝かれたように思います。 

改めて新鮮な気持ちで生きていきたいものだと思います。


次回の更新は7/27(木)です。
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2017/07/13 (9:00 am)
佐藤一成さんはAI将棋ソフトの『ポナンザ』を開発した人です。

最近佐藤さんのプログラム開発について書かれた本を読みました。

いろいろ疑問に思っていたこと、不思議に思っていたことがたいへんわかりやすく説明されていて、読みながら思わず興奮し、何度もうなってしまいました。

ここ10年くらいの間に読んだ本の中で最も衝撃的だったかもしれません。

囲碁やチェス、将棋というのは勝ち負けがはっきりしている上、「現在の人類最強者」が厳格に定義づけられています。

ですから、最高レベルの将棋や囲碁を理解できない人、AIなんてまったくわからないという人(いわば一般市民のほぼ全員がそれに属するといってよいわけですが)にもそのすごさが理解できます。

ただ、重要なことはこのゲームの世界の話はそこにとどまらないというところです。

つまりそれくらい高い精度で人間の最高度の知的作業をできるのであればこんなこともできるのでは?あんなこともできるのでは?という想像が私のような素人にも働かせられます。

実際それはそのとおりであるらしく、たとえば自動車がほんとうに「自ら動く車」になれる(すなわち完全自動運転)というのはそう遠くない将来のことだといいます。

従来のコンピュータは一秒間に何回計算できるか、といったところに論点がありましたが、昨今のAIはそういう腕力的な性能も(「京」に代表されるように)さることながら、自分でデータを学習しながら人間が考えつかなかったようなこともやってのける可能性があるという点でまったく存在感がちがいます。

ポナンザを開発した佐藤さん自身がすでに「彼」の考えていることをもはや説明も想像もできない、とコメントしています。

また、AIの特徴はその進歩の速度が直線的ではなく指数関数的だというところにもあります。

AIの学習速度ははじめのうちはのろいようでも、状況が整ってきたらあっという間にとんでもないレベルに行ってしまうのです。

コンピュータ将棋そのものはだいぶ以前からありますが、ポナンザは誕生してからわずかに10年。

14歳の藤井四段もすごいですが、ポナンザは10歳で名人(というか全人類)の力量を追い越してしまったということです。

昨今では本当に強い棋士はコンピュータの手筋を取り入れることによって競争を勝ち抜いているといいます。

いまのところまだ「昨今」などと言っていますが、そのうちそんなことはあたりまえになるでしょう。

もちろん私のような素人がポナンザの手筋を見ても何もわかりませんが、最高レベルの棋士にはそれがわかるということで、こうなるともう何だか雲の上の神の対話の様相を呈してきます。

さて、そんな有能な機械に私は何をしてほしいかというと、われわれが健康でいるためにはどうすればよいか、ということについて名人将棋ばりのレベルで指南してくれるような仕事です。

ただし、そんなに健康で長生きして何がうれしいのか?そこのところは永遠に「自分で考える」しかないように思います。

そんなことないでしょうか?


次回の更新は7/20(木)です。

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