執筆者の紹介

王堂 哲
ロンザジャパン社勤務。

L-カルニチンに限らず、すぐれたサプリメントがきめ細かく研究され、正しく用いられながら日本人のQOL向上に役立つことをテーマとして活動している。


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カテゴリ : スポーツ : 
2016/08/11 (9:00 am)
リオオリンピックが盛り上がってきています。

時差を度外視して見入っていると睡眠不足になってしまいますが、やはりリアルタイムでの勝負の瞬間は何とも人間らしいドラマに満ちていて目が離せません。

競技には時間や精確さを競うもの、勝ち負けを争うもの、演技の完璧度を追及するものなどいくつか種類がありますが共通しているのは「前人未到の境地」をめざすところではないでしょうか。

ふだんの自分の持っている力を出し切れば結果はついてくる、というレベルであればオリンピックでなくても観る機会は多々あると思います。

しかし、オリンピックではこれまでまだ練習でも一度も出したことのないような技や力を出し切ることが目標になっており、実に金メダルはそういう成果に対して与えられるものです。

一度も成功したことのないパフォーマンスを出すわけですから、もう相手はあってないようなもの、まさに自分の知らない自分の境地を発見するための挑戦です。

その境地が人類未踏の境地である場合も続出します。

観戦する側としては、その一世一代のドラマを見られるかどうか、そこが核心なのでやはり録画ではなくたとえテレビであってもリアルタイムで目撃できれば価値もひときわ大きくなります。

アナウンサーや解説者の肉声もいわば本物ですから、よい実況に接すると感動も高まります。

そして、とても重要なシーンがメダル授与式です。

表彰台に上がる人の表情には歓喜、安堵感、充実感、感謝の念など、ポジティブなものが猛烈に凝縮していますから、それを見ていると元気がもらえそうな気がしてきます。

肉体的なベストの瞬間がゴールや勝利の一瞬にあるとすれば、表彰台では精神的なベストの瞬間が見られます。

リアルタイムで行われる最高度の人間ドラマの数々、オリンピック・パラリンピックはやはり人類最大の祭典のひとつだと思います。

まだ半分あります、十分にお楽しみを!


次回の更新は8/18(木)です。
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2013/01/24 (10:00 am)
運動選手がトレーニングを積み続けることによって、それぞれの競技特有の体型を獲得するようになります。

これは生物学的には「適応」といわれるものです。







イルカが魚の形を獲得した哺乳類であるという場合も代表的な適応ですが、これはむしろ進化による適応であり、その特徴は遺伝子によって子孫に伝えられます。

それに対し、運動選手の体型変化などは遺伝子そのものの配列が変化しているわけではなく、ある遺伝子を読み取られる頻度の後天的な差異に基づくため、次の世代にそのまま単純に遺伝することはありません。

わかりやすい変化を示す臓器は筋肉です。よく使う筋肉が発達し、それぞれの競技に適した肉体構造が作られて行きます。

逆に肉体構造が作られた結果、その競技での競争力が高まるということも言えます。

例えば重量挙げ選手の体躯は頑丈であるのみならず、概してずんぐりして見えますが、重量物の付加をかけ続けることによって下肢の縦方向の成長が抑制される結果、そのような見かけになるということがあります。

と同時に、その結果として重心が低くなることによってより有利にバーベルを上げられるようになるため、よい記録を生み出すことができるようになります。

筋肉の付き具合や骨格の大きさといった特徴は体構造として目に見えやすいものです。

またトップクラスの長距離ランナーの身体には無駄な筋肉も脂肪もないかのようにものすごくスマートです。

長距離を有利に移動するためには車でいえば「燃費」がよいかどうかがかなり重要ですから、身体が軽い人は有利になります。

あと必要な要件はそのスレンダーな身体にできるだけ効率よく「燃料」を蓄えられるということがあります。

さらに、その燃料をスムースにエネルギーに変えるしくみにも適応が進みます。

この燃料をコンパクトに蓄えられる身体の構造がいかなるものであるかについてはまだ決定的な研究は進んでいないと思われますが、恐らくは糖質エネルギーであるグリコーゲンを筋肉細胞や肝臓に格納する能力が、優れた長距離ランナーでは高まっているものと考えられます。

あるいは糖質と脂質のエネルギーの消費比率を絶妙にコントロールできるような仕組みも発達している可能性もあります。

最後の「燃料をスムースにエネルギーに変えるしくみ」作る上でポイントになるのは細胞の中にあるエネルギージェネレーター、ミトコンドリアです。

長距離ランナーではこのミトコンドリアが豊富に存在すること、またそれらミトコンドリアが頑丈で長く働き続けられることなどが要件となっているはずです。

L−カルニチンはこのミトコンドリア(いわば発電所ですが)を丈夫な状態に保ち、「発電効率」や「絶対発電量」を確保する上において重要な働きをしていることが最近の研究でわかってきました。

ミトコンドリアの健全性を保つことの重要性はスポーツ選手に限らず中高年の健康にとってもとても大切なことです。


次回の更新は1/31(木)です。
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2009/08/27 (5:21 pm)
この1週間はヒトの身体の神秘について、またしてもいろいろなことを考える興味深い機会となりました。

世界陸上2009では、ジャマイカのウサイン・ボルト選手が100mで9秒58という驚異的な世界記録を樹立しました。

これはフルマラソンで言えば、さしずめ2時間を切るというようなレベルではないでしょうか。

こういうシーンを見ていると、単に走るということだけではなく、人間の持っている能力の素晴らしさを感じさせられます。














金メダル、銀メダルなどというのは他者との相対的な優位関係を表わすものに過ぎませんが、こういう神がかり的な記録はもっと絶対的な、何かとてつもない現実として、見るものを圧倒的な感動に導きます。

感動といえば、マラソンの尾崎好美選手の銀メダルも大変な快挙でした。

ボルト選手などを見ていると、確かに短距離競技は、出身地によるかなり明らかな遺伝的身体能力が、選手の特質としてあることを想像させられますが、同様に女子マラソンの場合には東洋の女性にそういう素質が備わっているような気がしてきます。

さて、いきなり話が飛びますが、ある飲食チェーン店が近日中に「超特大カレー」を発売するそうです。

そのカレーというのは、ごはんが通常サイズの3倍、ルーの量は4倍なのだそうです。

若い男性の取り込みを図りたい、というチェーン店側の狙いがあるそうですが、さしものカレー好きな私も考えただけでお腹がはちきれそうな気がします。

因みにこの特大カレー1食に含まれるカロリーは2,122 kcalだそうです。

食べたものの全てがエネルギーに変わるというわけではありませんが、仮にそうだとすると、これは以前考えたフルマラソン走破時のカロリーでみれば、体重52 kgの人が4時間のフルマラソン走破時に消費する計算熱量(2,393 kcal)にほぼ等しいレベルです。

尾崎選手に関するデータによれば、165 cm、51 kgとありますから、この計算値(52 kg)に近い体格です。

ただし、尾崎選手は2時間20分台という快速ランナーですので、消費エネルギーは優に3,000 kcalは超えるだろうと思われます。

つまり、フルマラソンでは、くだんの「超特大カレー」でも追いつかないエネルギーが必要ということです。

レースの途中で、たいした量のエネルギーを補給するわけには行きませんので、やはりそのエネルギー源は事前に体内に備蓄しておくほかありません。

長距離ランナーの体躯の特徴である「超スレンダー」は尾崎選手も例外ではありませんから、やっぱりあのスマートな筋肉にエネルギー源がコンパクトに収められているという仕組みの見事さには、改めて驚異を感じざるを得ません。

それにしても、ガソリンでも重油でもなく、カレーライスや餃子を食べ、ビールなどおいしく飲んでいれば、それが活動エネルギーに変わるというわけですから、私たちヒトの身体の仕組みの巧妙さにはつくづく恐れ入ります。

次回の更新は9/3(木)です。
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2009/03/19 (4:31 pm)
東京マラソンが近づいてきました。

例年かなり寒い中での開催だったような印象がありますが、今年は暖かな良い天気になれば良いなと思っています。

ランニングをされる方とお話をする機会がけっこうありますが、接していて共通に感じることがいくつかあります。













たとえば、皆さんとてもまじめな方が多いという印象があります。

何十キロも走るということを長らく継続するということから考えて、それは十分予想されることですが、そういえば私の学生時代を振り返ってみても、陸上部に所属していた友人たちというのは、概してきまじめな人が多かったなと思い出します。

そして、当然ながら健康に対する関心にも総じて高いものを感じます。

だからかどうかわかりませんが、サプリメントについては(決して関心が低いわけではないのですが)、あまり積極的に試されるということはないようです。

つまり、安易に素性のわからないものには飛びつかない、という慎重さを持っておられるということでしょう。

しかしながら、十分説明した上で、例えばL-カルニチンを一定期間摂取してもらえれば、今度は逆に、「もう少し継続して摂ってみたい」というコメントに変わるという特徴もあります。

これは恐らく、体調のちょっとした変化にも敏感に観察眼を向けられるということに関係があるのではないかと思います。

返ってくる感想は様々ですが、目立ったところでは「L-カルニチンを摂取したら疲労感が残りにくくなった」と言われる方が多いようです。

当日のレースもさることながら、毎日の練習をどれだけ積み重ねられるか、ということがポイントですので、エネルギーを生み出す役割をしているL-カルニチンがそのような形で評価されることはまさに理にかなったことと思われます。

ともあれ、東京マラソンはとりわけ老若男女、本当に様々なレベルの方の参加になりますので、完走を目指す方、タイムを競う方それぞれの体調管理方法があるのは当然です。

それにしても、しとしと冷たい雨の降る日の東京マラソンでの完走率が、確か九十数パーセントと非常に高かったことに驚きました。

今年もたくさんの人が完走され、大いに楽しい大会が盛り上がることを祈っています。

次回の更新は3/26(木)です。
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2008/08/28 (12:36 pm)
北京オリンピックが終わりました。

今回は改めて、陸上、水泳、球技、格闘技、自転車、射撃など「実に様々な競技があること」がこれまでになく強く意識されました。

もちろんそういう色んな種類の競技があることは知っていましたが、今回はそれぞれの種目でよい成績をあげることと身体の栄養ということとの間にどういう関係があるかという点について注意して観戦してみたわけです。

その観点から、競技の多様性ということについてあれこれ考えるところがありました。

私なりにそれらを分類してみたところ、
(1)相手の瞬時の出方によって自分の側の反応を決めるもの(格闘技)
(2)運動を起こすタイミングはある程度自分で決められるが、そこに至る集中力を最高度に高める必要があり、また勝敗を決するポイントが一瞬であるもの(ハンマー投げ、走り高跳び、飛込競技、体操競技など)
(3)スタート後の競技時間が比較的長く、いわゆる後半から終盤へのスタミナが重要となるもの(中長距離走・競泳・シンクロナイズドスイミングなど)
(4)試合時間が比較的長く、スタミナとともに集中力の持続がポイントとなるもの(球技)
といったところになりました。

もちろんこれはテレビから観戦してみての素人の勝手な印象であり、実際にはどうかわかりません。

例えば100m走など9秒そこそこの一瞬だと思っていたら、そのわずかな距離の間に非常に緻密なペース配分があるとのこと。

その意味では100m走もまた「競技時間が比較的長い」部類に属するのかもしれません。

しかしいずれにせよ、フルマラソンにおけるラストスパートと、何度も気合を入れながら精神統一やフォームイメージの描出に専心する走り高跳びの選手を見ていると、同じスポーツとはいえ、その「力の性質の違い」が非常に大きなものであることは確かなことと思われます。

私は普段L-カルニチンといったエネルギー代謝に関連した栄養成分について考えることが多いため、オリンピックではあらゆる「ラストスパート」に類する場面に特別な興味をそそられました。

特に中長距離走などのラストスパートでは、まずその時点でどのくらいのエネルギー源の余裕が体内に残っているかがポイントになりますが、通常は生命の危険を超えるところ、つまり体力の限界を超えて身体エネルギーを取り出すということは起こりません。

しかし、実際には体力以上の負荷がかけられることがあり、その場合には意識が朦朧としてしまいゴールとともにもんどり打って昏倒するといったことが起こります。

私が見ていた範囲では、大抵の競技で金メダルを獲得した人たちは意識が朦朧とすることもなく、逆にゴール直前で笑みがこぼれたりガッツポーズをとったりという余裕があるように見えました。

従って、そういったトップアスリートの体内ではゴールと同時にエネルギー源が燃え尽きるようなことは起こっておらず、まだかなり余裕がある状態にあるということになります。

そういえば(非常に古い話ですが!)1964年の東京オリンピックのマラソンで優勝したエチオピアのアベベ選手は裸足で完走した後、柔軟体操のようなことをやっており、後のインタビューでは「走ろうと思えばあと20kmくらいは走れると思う」というような感想を述べているのを聞いて驚いたことがあります。

このように考えてくると、ぶっちぎりで金メダルをとるような人とそれ以外の人との間には体内に備蓄できるエネルギー総量においてかなり大きな差があり、特に中長距離走などの場合においてはこの差が結果を左右するのではないかと思われます。

ましてや、アスリートでもない私たち一般人とメダリストの違いがどれほどのものであるかは想像もできないことかもしれません。

このような差異の絶対値についての決定的な研究をまだ私は見たことがありませんが、この点は非常に興味のあるところです。

それはさておき、多くの競技で「4年間このために頑張ってきた」というようなコメントが聞かれたことはオリンピックならではのことですが、勝負は一瞬であってもそこに至る営々としたトレーニング、同じ動作を何万回と繰り返し、故障と戦い、本番に向けて集中力を高め、最後に自己ベストを出す。

この過程だけはどんな種目にも共通する原則ではないかと思われます。

野球の星野監督は「オリンピックは強い者が勝つのではない、勝ったものが強いのである」との感懐を述べましたが、(試合結果の是非はともかく)なかなか含蓄に富んだ言葉だと思われました。そして「勝った者たち」が共通して経てきたはずの、地道なトレーニング、故障の克服、そして神々しいばかりの集中力とスタミナ

これらの全てに拍手を送りたいと思います。










次回の更新は9/4(木)です。
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2008/08/21 (11:29 am)
正式に公認された場で、これまで自分が出したこともない記録を出すというようなことを毎日のようにテレビで見ていますが、改めてこれは大変なことだと思います。

のみならず、それが日本新、大会新そして世界新記録ともなれば、これは過去に人類が出したことない記録ということですからその凄みも極まります。

そのうち世界新記録など全く出なくなるオリンピックも遠からず来るのではないかとは昔から思っていましたが、どうやらそういうことはないようです。

これはもちろんウエアやシューズ、コースの科学的進歩ということもあるでしょうし、トレーニング方法の進歩ということもあるでしょう。

しかしそれにしても最終場面のここ一番で自己ベストを出すということは全ての選手にとっての悲願である事情は永久に変わらないと思います。

しかしながら、そういう戦いを演じてゆくアスリートにとっては当然全力を出し切ることが必須になってきますが、その「全力のメーター」が時として振り切れてしまえば身体の故障につながってしまいます。

どこにその限界があるのか、どこまでやればそれが振り切れるのかは当人にもわからないことに相違ありません。そこにはトップアスリートだけが知る過酷な限界が潜んでいます。








今回もマラソンの野口、土佐両選手、そして中国の国宝といわれる劉翔選手が棄権という大波乱が起こってしまいました。

まさに今生きている人類のトップクラスの身体能力が、それを発揮しようとする紙一重の極限を超えた途端に普通に歩くことさえ困難になってしまうわけです。

この過酷な現実にはテレビで観戦しているに過ぎない私などにとってすら身のすくむ思いがします。

選手の肉体もさることながら、特に競技を全うできなかった悔しさ、事後に押し寄せる周囲からのプレッシャーなど、精神的にこれらを乗り越える厳しさは大変なものと思われます。

まさに天才には天才にしかわからない苦悩あり、です。

それだけに、それら全てを調整し、記録やメダルに到達したアスリートの喜びは、これも筆舌に尽くし難いでしょう。

オリンピックに出場するだけでも大変なこと。

そこで入賞するのはもっと大変。

メダルはその先にあり、さらに金メダルがあります。

気の遠くなるような距離ですが、そこにオリンピックの醍醐味があることが、今回私にはいつもより強い実感として得られたように思います。

結果が全て、調整も故障も含めたものが実力である、という見方もたしかにその通りなのでしょうが、まったく過酷としか言いようのない、棄権を余儀なくされた選手のことにも思いを馳せていたいと思います。

次回の更新は8/28(木)です。
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2008/08/14 (2:55 pm)
北京オリンピックが始まりました。

日本人選手のメダルもじわじわと増えてきて、だんだん盛り上がってきました。

私は今回特に、いろいろなスポーツの種目ごとにどういう類の力がどういう結果に結びつくのかを見るようにしています。

ウエイトリフティングは私など見ているだけで疲れてきそうなスポーツですが、これは筋肉に一瞬の力を込める集中力の勝負だと改めて思いました。

あの重いものを持ち上げるために必要なものはもちろん筋力でしょうが、そういうものは試合の当日に急に手に入るものではなく、どんなに鍛え上げても最終的には最後の瞬間を制する精神の力がなければどうしようもないということだと思います。

それにしても営々と鍛錬してきた結果がものの数秒で決するというのはものすごくドラマチックです。

柔道やレスリングは相手のある競技ですが、これも勝負は一瞬、よりファジーで予測がつけにくい中での戦いとなります。

一昨日(8月12日)の谷本歩実選手のような鮮やかな一本勝ちも全くの一瞬のこと。

しかし、数分ある試合全体としてみればその間の集中力を支える肉体的なエネルギーはものすごいものに違いありません。

体操競技ではこれもミリメートル単位、ミリ秒単位の精密度が要求されますが、最後に問題となる着地の出来栄えなどは全く本人にも予測もコントロールもできない境地でしょう。

競技時間の長短を問わず、勝負がある一瞬に賭けられるということ、またそのための数年以上にわたるトレーニングの地道さ、そういったことは等しく共通しています。

全く厳しいと思うことは、どんなに修練を積んだとしても結局は一瞬に集中力と筋力、瞬発力を爆発的に発揮しなければならないという点です。

人間の肉体に許された極限のレベルで追い込まれるこのパフォーマンスの特徴はあらゆる競技に共通のものと思われます。

それにつけても私が特に驚いたのは、一昨日行われた北川麻美選手(競泳女子)の200m個人メドレー準決勝の光景です。








このレースでは2分12秒18(日本記録)をマークしていながら、同タイムを出したハンガリーの選手と同じ8位でした。

8位タイでは決勝戦ができないということで、もう一度2人で「泳ぎなおし」。

こういう仕組みを私は初めて知りましたが、スイムオフというのだそうです。

素晴らしいのはそこでの泳ぎっぷりで、2分12秒02という日本記録更新をやってのけ、相手を完全に圧倒したことです。

もちろん日本新記録ということですから「自己ベスト」。

これを連続して大舞台で成し遂げていることになります。

テレビではあまり頻繁に放映されませんでしたが、私はそこにある集中力に心底感服しました。

きっと肉体的な能力ではその、ハンガリーの選手と極めて近いか、あるいは劣っていたかもしれません。

しかし、ともかくも大差で連続的に圧倒する力量の背景にはやはりある種の集中力が発揮されたに相違ないと思います。

ただもう一つ思うところ、この種の競技ではやはり身体エネルギーのもととなるATPがどれだけ持続するかが決定的な要因だと思われ、ATPが枯渇した状態ではいかに精神力がこれをバックアップしても個人メドレーを最後まで支えることは理論的にはできないと考えられます。

稀にそういうこと(精神が肉体を理論外のところで操るような現象)があったとしても、そういう場合はゴールのあと失神状態になってしまうと思われます。

しかし北川選手はインタビューにも非常にしっかり答えていたので、これはやはり肉体のエネルギーも充実していたということだろうと私は想像しました。

ところでこのようなATPの補給はたぶん、クエン酸などのエネルギーに変わりやすい栄養成分を十分に補給することが理論上有効ではないかと考えられるところですが、はたして北川選手はどういう栄養補給でこの稀有な勝負どころを乗り切ったのか、これは本当に興味深いところです。

次回の更新は8/21(木)です。

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