「健康ってありがたい!」 病気になる前にそう思えるかどうか?
健康な人は健康のありがたさや存在そのものにあまり意識を傾けません。
しかしひとたび健康を害される経験をすると否応なくそのありがたさを思い知られされます。
ところで加齢の方はどうでしょうか。
老化や加齢は自然な生理現象であって病気ではありません。
よって「治る」ということはないので「老化から復活して若さのありがたさを実感した」などという人もいないと思います。
年齢にもさまざまあります。
たとえば、生物学的な年齢、社会的な年齢、精神的な年齢、などがあります。
平均寿命がどんどん長くなっている、というのは生物学的な年齢そのものを意味しています。
一方、もうすぐ定年退職の時期にさしかかるという場合は社会的な年齢とかかわりがあります。
精神的な年齢は個人差や多様性が最も大きく、社会的にどういう立ち位置にあるかといったことにも深くかかわりが出て来ます。
昨今では年齢が高くなって退職することになると時間の余裕ができてくるとともに収入に余裕がなくなってきますと、
時間の余裕×収入の減少 = 働き続けることの必要性
という一種の方程式のようなものが浮かび上がってきます。
ここに「やりがい」という精神的なモチベーションが加わってくるかどうかも立体的なファクターです。
さて、この「方程式」のベースとなるものについて考えると、ここで「健康のありがたさ」ということが浮かび上がってくると思います。
病気でない、という状態からできれば「絶好調」でありたい、となってきます。
ここで必要になることは「健康であり続けるための投資」ではないでしょうか。
特にお金をつかわなくてもできる健康投資はさまざまありますが、ちょっとしたこと例えばジムの会員登録をする、週に1回はヨガ教室に通う、ストレッチや整体でボディメンテナンスをする、といったことが生活の全体にポジティブな弾みにつながる可能性大です。
とはいえ、こういうことはすでによく言われて尽くしている常識的なことに属するかもしれません。
私が是非とも強調したいのは「何につけても健康が第一だよねぇ」というあたり前のことを「「今」本気で実感できるかどうか?」ということです。
この実感ができないと、結局「病気になってはじめて健康のありがたさがわかる」というところに陥ってしまいます。
そのとき、もとの健康だった状態を復元できればよいのですが、できない場合には「寝たきり」などの状態になります。
目下国家的に注視されている「健康寿命をいかにのばすか」という命題は結局「健康な時から健康のありがたさを思い知ること」が最も大きなポイントではないでしょうか。
次回の更新は8/31(木)です。
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