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最先端医療 vs.『養生訓』

貝原益軒は江戸初期に84歳まで生きた人ですが、これは現代の日本人男性の平均寿命と比べても遜色のない抜群の長寿といえます。


彼は亡くなる二年前に『養生訓』を残しています。


それからすでに300年以上が経っていますが、現代に生きる私たちにも即役立つことが多く書かれています。


益軒は古来の薬草学などに通じた人ではありましたがもちろん「科学」というような概念とは無縁でした。


ですから彼はエビデンスに基づいたことなど何も言っておらず、すべてがただ経験に基づくものです。


一方エビデンスの積み上げで出来ている西洋科学(西洋医学)の方は合理的であり、最も信頼のおけるよりどころを持つものです。


たとえばガン治療などは手術、薬物療法、放射線の三大治療はたとえば50年前とは比較にならないくらい進歩していて、以前は非常に深刻なコミュニケーションを擁した「がん告知」などはもはやほとんど問題にならなくなっています。


ですが分野の細分化が進むあまりいわゆる蛸壺化現象が起き、外科医は手術を強く勧めますし、薬物療法専門の医師はそれを最重要の選択肢だとみなす傾向があります。


各々の医師にしてみれば進展著しい最先端医療技術を利用しない手はない、ということを非常に強く信じているため、それ以外の意見には排他的になることもあるのです。


他方治療行為によってより死期が早まってしまうということも言われ、事実そうとしか考えられないような事例もかなりたくさん見られます。


ここで少し別の角度から考えてみましょう。


たとえば今から300年後のことを想像すると、現在のガン三大治療などはどれも残っていない可能性があります。


(どんなものかはわかりませんが)たとえば現代では特別な場合にのみ使用されるチェックポイント阻害剤のようなものを若いころに全員が一度やっておけばあらゆるガンが未然に防がれる、こんなことが一般化するかもしれません。


予防接種で結核や天然痘などが激減したように「新しい治療法」のおかげでガンで死ぬ人などは非常にめずらしくなるわけです。


一方、益軒の養生訓は300年後でも十分機能していると思います。


つまり「最先端医療」というものはあくまでも現時点での最先端にすぎませんので、それなりにリスクが高いしかし現時点では最高の治療法であるというパラドックスを私たちは時代の子として受け入れざるを得ないということです。


『患者よガンと闘うな』という著書でがん治療のあり方に一石を投じた近藤誠さんの示した選択肢はそれがベストかどうかは別として「何もしないことが最先端医療よりもマシ」ということがあり得るのだ、という点についてはたしかに一定の説得力を感じます。


「300年後の治療法」の目線からみれば三大療法も放置療法も無茶なやり方だ、ということになるのではないでしょうか。


とても結論は出せませんが、それだけに貝原益軒のすござが光ってくるように思います。次回の更新は9/14(木)です。

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