偏見にとらわれない・・・・なんてムリ?
心理学の教えによればヒトの認識には「ステレオタイプ」や「偏見」があるということです。 「偏見」がその人やものの属性の故に特別な扱いにつながる場合それがポジティブならば「えこひいき」、ネガティブな扱いに連動するならば「差別」になり、これはいずれにせよ早晩どこかに不都合なことが起きてきます。 一方、ステレオタイプというのは固定観念・既成概念のことで、一般に多くの人がそうだと思っていること、という意味です。 たとえば「高齢になると認知力が低下してくる」とか「日本人はルールを守りたがる」といったことがステレオタイプにあたります。 「多くの日本人は過剰なほどマスクをつけている」ということは一定の事実であり、これには「日本人はルールを守りたがる」というステレオタイプの解釈が伴いがちです。 ですが、一般に多くの人に信じられていること(ステレオタイプ)がほんとうに正しいかどうかはわかりません。 しばしば固定観念や既成概念は新しく見出された事実によって覆されることもあり、むしろそれが進歩につながります。 他方、偏見(バイアス)というのはステレオタイプに感情や判断が加わったものです。 「女性は男性よりも情緒的である」「日本語は論理的な思考に向かない言語である」「一流メーカーの医薬品はよく効く」等々がそれです。 たとえば「偏見を持ってはいけない」ということもそれ自体が固定観念であり偏見であるという逆説も成り立つでしょう。 なるほど、改めて考えてみると感情や判断の動物であるヒトはおよそ固定観念や偏見にとらわれない認識などそもそも不可能であり、やることなすことがそういった意識に基づいていると考えた方が正しいと思います(これもまた偏見ですが!)。 ところで、医薬品やサプリメントの効き目を調べるときにプラセボ(偽薬)群を設けることがよく行われます。 これはたとえばメリケン粉を固めたようなものであってもこれが非常に強い催眠作用があるものだと名医(と信ずる人から)与えられたら本当に眠ってしまうというような現象、つまりバイアスを消去して被験品の真の効き目を見極めるための方法です。 サプリメントもきちんとした効果が証明されることはもちろん必要なことではありますが、その一方でプラセボ効果によって体調がよくなる、というような部分が残っていても大いに結構なことではないかと思います(これは医薬品にしても同じことです)。 「効かないはずのもの」というのも固定観念ですが、「効くにちがいない」ということもまた固定観念であり「サプリメントは効き目の悪い医薬品だ」という考えは「偏見」だと「思う」と言ってしまえばそれがまた別の偏見だということになります。 けっこう入り組んだ話になってしまいましたが本日申し上げたかったことは、思い込みや偏見をなくそうとすることよりもこと健康に関しては「結果として気分や体調が良くなったかどうか」を個々人が判断すればよいという考え方があってしかるべきではないか、そのようなことです。次回の更新は8/25(木)です。
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