自分の親や祖父母の暮らしぶりに至近距離で寄り添うことから・・・
いよいよ師走。いつもながら時の流れる速さに驚きます。
この時期になると喪中はがきが届き始めますが、享年を見ると90歳代、中には百歳以上という場合もここ数年珍しくなくなってきました。
現在百歳超の方は大正時代の末期、90代であれば昭和ひと桁の生まれにあたります。
この世代は中学か小学校で終戦、つまり育ち盛り食べ盛りの頃に極度の食糧難に遭遇した年代です。
また働き盛りの時代は高度経済成長期、エアコンも家風呂もなく週休1日で身体が休まりませんでした。
タバコやお酒に関するリスクマネジメントの意識なども今とは比べ物にならない希薄さでした。
定年は55歳、男性の寿命は70歳にもなかなか届きませんでした。
そういう、いわば身体にとって大変シビアな時代を生きて来られた人たちはまさか自分が百年近くも生きるなんて想像もしておられなかったことと思います。
これは一般個人に限らず行政にとっても想定外なこと、何なら高齢者の健康を扱う専門の学会でさえ栄養や運動、疾病ケアなどの対策については後手後手に回りながらなかなか追いついていないのが実像です。
高齢者介護については日進月歩でさまざまな仕組みが整備されてきていますが、ここで想定外の難しさのひとつは「自分は何とか頑張ってやっていける。施設の世話になるのなんかゴメンだ」と思うご老人が少なくないことにあります。
独力で行き切るんだという気概そのものは非常に重要なものではあります。が、あくまでもそれは主観的なもの、実際には自立はどう考えても難しく、転倒したり、交通事故に遭ったりして結局はより大きな周囲のケアが必要ということになってしまいがちです。
またケアについて素人である家族が何の準備もなく手に負えることは限られています。
これらのギャップについては高齢化先進国である日本といえども、まだ大きな空洞となって残っているように思われます。
いま60代よりも若い世代は栄養環境、医療環境とも豊かな時代の日本で生きて来ましたから、戦争や食糧難を経て「図らずも超高齢に至った世代」に比べれば様々な点で自身の将来に対して準備を整える余裕が与えられているはずです。
健康状態は齢を経るにつれて個人差が大きくなってくることが知られていますが、現在の超高齢の人たちのことをしっかり見つめながら「ああいうふうにできれば良いな(あるいはああいう風にはなりたくないな)」というイメージを等身大のリアリティで描いて行くことが最良の準備になるのではないかと思います。
してみれば、最も身近なところで自分の親や祖父母にしっかり寄り添い、積極的にかかわって行くことが何よりも「将来の自分自身への生きた対策」を得て行く上でのヒントになるのではないでしょうか。次回の更新は12/8(木)です。
Comments