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人生を野球の試合にたとえれば・・・


 

生まれてから死ぬまでを野球の試合にたとえて考えたらどうなるでしょうか。


最初の命はお母さんの胎内にあるときに始まっていますのでこれを1回の表としましょう。


すると産声をあげてからが1回の裏になります。


前半戦の3回あたりまでが幼少~青春時代にあたるとしますと、社会に出て仕事にまい進するのが4-6回かもしれません。


あとの7-9回を戦ったあとリタイアして試合終了となる・・・、と、まあラフに描けばそんなところかと思います。


最近ではファイア(FIRE:Financial Independence, Retire Early(経済的自立と早期リタイア)といってもう6回(あるいは3回!)のウラ終了くらいで大きな財産を蓄えてリタイアすることをめざす人もあるようです。


ひとつの節目として60歳という年齢があるとすれば、これを6回のウラと考えるのか9回ウラと考えるのか?このあたりにはちょっと興味深い捉え方のちがいがあるように思います。


というのは昨今では「延長戦」があたり前のような感じになっているからです。


属している組織によって試合終了回数が決まっているのでしょうが、その前後に他球団に移ったりフリーになってプレーを続けることもあります。


このあたり、いつを終了とかんがえながら戦うのかというマインドセットはけっこう「精神的な老い」などとも関係するように思います。


一方身体の側の試合終了は回数ではなく時間で決まっているといえます。


寿命が延びている現代ではこの制限時間が延びていることになります。


身体を構成する成分には加齢とともに増加してくるものと減少して来るものがあります。


たとえばL-カルニチンなどはしだいに減少してくる成分のひとつですから、試合制限時間が長くなる状況にあっては、タイムリーに差し入れしてゆくことも戦略上有効だろうと思います。


いずれにせよ、人生のゲームは長丁場です。


いつくるかもしれない最終回のために、何とかうまく勝ち越してファイナルを迎えたいものです。次回の更新は9/1(木)です。

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